東の広瀬城と西の高堂城の中間地点にある
砦です。
この場所には小規模な砦が5つあります。
蓬ケ洞砦2箇所、寺洞砦2箇所、オトシ砦。
この中で蓬ケ洞砦は遺構の残り状態が良い
ですね。62m x 25m の楕円形の主格の両端
に堀切、側面には長さ5m 位の畝堀が数十本
取り巻いてます。
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2023/11/05 12:43
2023/11/05 11:28
人吉城探訪 (2023/10/26 訪問)
人吉城を訪問しました。人吉城は令和2年の豪雨災害による被災のため、災害復旧工事により一部区域が立入禁止となっていました。人吉城歴史館も被災により休館中でした(パンフレット、スタンプはOK)。
復旧途中ではありますが、城内は草刈り等の整備が良くなされ、三の丸、二の丸、本丸と散策し易いお城でした。
見所は、西洋式石垣の「はね出し石垣」です。相良神社横から球磨川側の堀合門に抜けると見ることができます(石垣下の通路は工事中でした)。
西外曲輪側の胸川・球磨川の合流地には角櫓や多門櫓が復元されていました。
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2023/11/05 11:09
【安芸万徳院】広島県北広島町 国史跡万徳院跡(2/2) (2023/10/05 訪問)
万徳院跡は史跡吉川氏城館跡群の一つで国史跡に成っており、毛利元就の孫で吉川元春の嫡男が建立した寺院です、此処の石垣も吉川元春館の石垣の様に立石を使った特徴ある立石垣です、これで立石垣を吉川元春館、松本屋敷、万徳院跡と3ヶ所確認体験しました。
寺院の南端に立石垣、中央に表門と石段、東脇に通用門跡と北に続く通用門スロープ、発掘調査されて本堂跡、庫裏跡は礎石地表展示と説明板、風呂屋が復元されています、池庭の復元、坪庭風小庭復元されて奇麗に整備されています。
一番の見所は立石垣塁でしょう!
吉川氏城館跡群の国史跡の内、吉川元春館、万徳院跡、小倉山城跡の三ヶ所は発掘調査のうえよく整備されて大変見学探訪し易くなっています。
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2023/11/05 10:47
【安芸万徳院】広島県北広島町 参道とガイダンスホール(1/2) (2023/10/05 訪問)
万徳院跡は吉川氏城館跡群の「国史跡万徳院跡」と成っており、現在は発掘調査によって万徳院跡歴史公園として整備されています、寺院の建立は吉川元長(吉川元春の嫡男)が天正2年(1572年)頃と言われています。
住所:広島県山県郡北広島町舞綱、万徳院跡歴史公園
駐車場:万徳院跡歴史公園の専用駐車場、余裕の駐車、トイレはガイダンスホール青松内を利用。
参考資料:グーグルマップ、吉川元春館戦国の庭歴史館でパンフレット入手「万徳院跡」による。
7年前吉川元春館探訪時には万徳院跡はスルーしていましたので、今回は是非にと松本屋敷、吉川元春館探訪の後吉川元春館から国道433号線の北側に案内板が有りそれに従い舗装された林道を約1km程、途中の分岐点にも案内板あり、駐車場は整備されて奇麗、同利用。
駐車場北にガイダンスホール「青松」が有り、無人でしたが施設内は展示、休憩、トイレ利用、ガイダンスホール青松は発掘調査の成果を基に本堂復元した建物です、ガイダンス東横より参道が続き、南端に折れが有り参道入り口からは本堂が見えない様にされて居ます、折れからは約150m程の直線の参道が伸びて居ます、道端には排水用の溝も有ります、寺院南端の立石垣を今か今かとワクワクする参道の歩みでした。
続く
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2023/11/05 09:56
2023/11/05 09:49
飯山城跡公園 (2023/11/04 訪問)
戦国時代は上杉氏と武田氏の激戦の地で、江戸時代は飯山藩として明治まで栄えた地にある城です。飯山城址公園として整備されています。本丸周囲には枡形を含めた石垣が残っていました。土塁、切岸、復元城門などを見ることができます。周囲には水堀があったようですが、今はありません。三日月堀跡の説明板が飯山高校グランド近くにありました。
新幹線飯山駅より徒歩20分くらいで城址に行くことができます。
余談ですが、今回は行っていませんが飯山市にある真宗寺は文豪・島崎藤村の小説「破戒」に出てくる蓮華寺のモデルとなったお寺です。(読んだことはありませんが) 藤村はこの町を「雪国の小京都」とよんだそうです。
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2023/11/05 09:29
2023/11/05 09:18
見晴らしの良い狼煙台はこちらです (2023/11/03 訪問)
花ヶ埼街道(直江津の越後府中から直峰城に通ずる道)を監視する要衝に位置し、戦国時代には春日山城の支城としての役目を果たしたと考えられている城址です。曲輪や堀切などが残っています。上岡側から登城しました。大池側からの登城口もあるようです。本丸側と狼煙台とに道は分かれますが、新しい「見晴らしの良い狼煙台はこちらです」の看板につられて狼煙台方面から散策しました。確かに狼煙台からの眺望はすばらしいです。日本海が、この日はきれいに見えました。さらに進むと堀切があります。そのまま尾根を進むと土塁等があるようですが、時間の制限もあるので引き返して本丸跡へ向かいました。土塁や空堀などを見ることができます。
城址は雁金城跡保存会により整備されているようで、主要な登城路は歩きやすくなっています。登城口にはパンフレットもありました。
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2023/11/05 09:02
上杉謙信関東往還の要衝の地 (2023/11/03 訪問)
南北朝時代に築かれたとされ、南朝方であった風間氏の居城であったと伝わっています。戦国時代には上杉謙信が関東へ出陣する往還の要衝の地にあり繋ぎの城として重視されていたようです。
登城路は2つあります。駐車場の「ピカピカのトイレ」の看板から西側の登城路を登って行くと「伝 上杉藤五郎房友殿 屋敷跡」の標柱があり、その後も各所に屋敷跡の標柱が曲輪に立っています。途中に水の手としても活用されていたような池がありました。階段が多いですが登城路は整備されています。東側の登城路にもても同じように屋敷跡の標柱が立っています。カズサンが草刈りの現場に遭遇されたそうですが、主な曲輪は草刈りもされていて見学しやすくなっています。眺望はすばらしく、本丸には「春日山遠望⇒」の標識があり春日山が見えているようですが、どの山が春日山なのかわかりませんでした。反対側を見ると日本海がきれいに見えました。西側にある多重堀へ行きたかったのですが、下調べが不足していて行く道がわからず結局時間切れで断念しました。楽しみにしていた場所だったので残念です。尾根にはいくつか堀切があるようですが、全部は確認できていません。それでも曲輪の跡、空堀等を見ることができ整備も比較的されていていい城址だと思います。
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2023/11/05 08:18
カモシカと遭遇 (2023/11/03 訪問)
保倉川と小倉川、細野川との合流点に近く、北側に三国峠へと続く街道が通る交通の要衝を押さえていた城で直峰城の支城であったといわれています。登城口からは所々に曲輪が展開し、標識があり見学しやすくなっています。
本丸でカモシカと遭遇しました。目の前を大きな獣が移動するのが見えたので、今年は熊野出没情報が多く緊張しました。すぐにカモシカとわかりホッとしました。カモシカはすばやく本丸から降りて行ったのですが、後で下を見るとこちらをじっと見ていました。帰りに近くにある虫川の大杉を見ましたが、迫力がありました。
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2023/11/05 03:44
柿崎景家 (2023/11/02 訪問)
上杉謙信の重臣柿崎景家の居城です。北陸自動車道・柿崎インターチェンジの料金所と国道8号を結ぶループ状の道路に囲まれた場所にありますが、遺構はないと思われます。楞厳寺に移築門がありますが、今回は行っていません。
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2023/11/05 03:40
御館公園 (2023/11/02 訪問)
福島城跡からゆっくり歩いていたら日が暮れてしまいました。遺構があるわけではないので撮影して退却しました。
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2023/11/05 03:36
古城小学校 (2023/11/02 訪問)
堀氏によって築かれた城ですが、堀氏の改易に伴い短命に終わっています。後にここを治めた松平忠輝は高田城を築き福島城は廃城となります。毎年、梅雨の時期に関川・保倉川が氾濫して水害を被ったからともされています。別の理由として海岸横にあり波の音がうるさくて寝られないからと伝わっています。
古城小学校(廃校となっています)付近にあったとされますが、遺構はありません。城址碑と説明板がありました。
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2023/11/05 03:31
2023/11/05 03:16
高床山森林公園 (2023/11/02 訪問)
信越国境飯山口を抑える上杉氏の城と伝わっています。基本的には本丸を中心に尾根に曲輪を階段状に配置した縄張です。主要な郭の周囲には多くの腰曲輪があり、要所に堀切、畝状竪堀、横堀、土塁等を見ることができます。堀切は深く、畝状竪堀も数カ所に見られました。堀切は深く残っているものには階段が設置してありました。畝状竪堀は主要な郭の周囲に40条が確認されているようです。井戸もありましたが、その近くにも畝状竪堀がありテンションが上がります。階段状竪堀という遺構があり、初めて目にした表現でしたので興味深く見学しました。高床山森林公園の登城口から寄り道をしながら発電所の建物が見えるまで散策しましたが、帰って来てから「甲信越の名城を歩く」新潟編に掲載されている縄張り図を確認すると石積みの表記がありました。もう少し藪漕ぎをしてでも散策すればまだまだ遺構を見ることができるような気がします。
尾根に堀切を設けた単純な縄張りを想像していただけに、期待上の城址でした。自分としては新潟県内ではトップクラスの城址です。眺望もよく妙高山などが見えるはずでしたが、この日は頂上付近はもやがかかっていてよく見えませんでした。
高床山森林公園キャンプ場の第4駐車場に登城口があり、約5分で城域へ到達します。手入れもされていて散策もしやすい城址です。
ただ高床山森林公園へ行く道は11月中旬から4月頃まで閉鎖されるとのことでした。行かれる方はHPなどで確認をすることをお勧めします。
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2023/11/04 22:11
雨上がりの登城 (2023/04/16 訪問)
名古屋駅からJR東海で米原まで行き、JR西日本に乗り換えて河毛駅から30分歩くと登城口に着きます。そこから約2時間の満喫です。4月に行ったのでもうあまり記憶がないですが、最初確かどっかの分岐点を誤って真っ直ぐ行ったので山の頂上まで来てしまいました。その後下山して同じ分岐点を今度は左に曲がってみると、なんとか、大石垣と本丸にたどり着けました。
ということなので、下記に載せている写真はどこの写真か曖昧でわかりません。
石垣と門跡が見どころです。
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2023/11/04 22:08
西不明門~本丸一文字門~巽櫓跡 (2023/09/08 訪問)
坤櫓から土塁の上(遊歩道になっています)を歩いて西不明門へ。
折れ曲がりや石垣を眺めていると、はるばる遠くまで来てよかったとしみじみ思い、充足感が湧いてきます。
下におりて枡形に櫓門を想像再建し、出たり入ったり隠れたりして楽しいひと時を過ごしました。
西不明門の外側は後まわしにして、二の丸土塁の約1/4(南→西)を歩いたところで本丸へ向かいました。
三年前に訪れた際はフェンスが張りめぐらされており、お散歩中の方と本丸御殿復元の夢を語りあった記憶が。
本丸へは西側の散策園路から入りました。本丸御殿跡の整備が完了したらなくなりそうな気がする入口です。本丸へは“大手橋を渡り一文字門から枡形へ入る”ものだったので、中から外に向かうのはそれだけで新鮮かつ妙な感覚でした。
歩きながら、この土塁上に長大な土塀が!この石垣の上に一文字門が!と想像すると、夢が膨らみます。というよりあまりに壮大なロマンで、考えただけでドキドキしてきました。
古写真や史料をお持ちの方が現れますように🙏
今日のこの日を懐かしみつつ公園整備が完了した姿を見に来られたらいいな(完成予定は10年後)☺️
本丸一文字門を出たら土塁ウォーキング再開です。
郷土資料館の裏、「山形城墟碑」のあたりからのぼって巽櫓跡へ。
櫓台には塀を支える礎石が二列。各時代の改変を知ることができます。
そして何と!巽櫓、再建されていました!!
遊び心なのか本気なのか、何かのイベント用なのか非常時用の倉庫か何かなのか?全くわからなかったけれど、こういうサプライズ、大好きです。
白漆喰をイメージしたと思われる真っ白な二重櫓で、内側には装飾はなく外側に破風がついている本格仕様です!
ここから二の丸東大手門まで(南→東)歩きます。塀の礎石がまっすぐに延びていて、礎石好きには堪らない光景です。(このあともっとすごい塀礎石に出会うのですが。)
<つづく>
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2023/11/04 21:47
2023/11/04 21:41
2023/11/04 21:37
匂坂三兄弟 (2023/04/02 訪問)
今川に仕えた猛将・匂坂長能が台地端への築城提言を蹴っ飛ばして平地にこしらえたのが匂坂館。一応台地端にも匂坂城はある(どちらも遺構はないが)。長能の息子達が姉川で真柄十郎を討ち取る大手柄をあげた匂坂三兄弟。
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