「後閑城」の西側駐車場を目指していましたが、工事中の為に、東側駐車場を利用しました。
お花見もできる城址公園の割に、東側は山城に入るような感じがしました。
木々に覆われ、落ち葉のフカフカした遊歩道を歩いていたら開けた郭に出ました。
足元ばかり見ていましたが大堀切の案内板があり、見逃さずにすみました。
細長い二ノ丸から本丸へ向かいます。
本丸は、ぐるっと百庚申が囲っていました。
旧後閑城の家臣3名が発起人となり建立しました。その数128基。地元の方々も協力したそうです。
1440年代に、依田 忠政さんが築城しました。
その後、北条(きたじょう) 政時さん。
その後は新田 景純さん。
「後閑城」を『はい どーぞ』と譲り渡した訳でもないのでしょうが、百庚申の説明板には
歴代の城主と戦死者の供養
と、ありました。
奪う方も奪われた方も、供養されてました。
本丸からは遠くの山々と、桜の木々が見えました。
穏やかな気持ちになったのは、素晴らしい景色と、地元の方々と先人の優しさに触れたからかもしれません。
降りませんでしたが、下に西側駐車場があるような感じです。
この地域は、庚申塔をよく見かけました。
庚申塔は江戸時代の風習で、各地で見られました。しかし迷信、道路拡張等で撤去してしまったようです。
この日の「後閑城」は、少し前に刈込み作業をしたようで、伸びたアザミの紫とトンボの赤が綺麗でした。
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