ごかんじょう

後閑城

群馬県安中市


旧国名 : 上野

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城好きのメガネ

「後閑城」 (2024/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★★
後閑城は後閑氏の居城として築かれたとされる。武田氏の滅亡後は後北条氏に属する。小田原征伐では松井田城の大道寺政繁の組下となるが後北条氏の滅亡とともに廃城となる。現在、曲輪、堀切などが遺されている。

<アクセス>
JR磯部駅 徒歩50分

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チェブ

敵味方関係なく供養する、やさしい家臣。 (2023/10/30 訪問)

「後閑城」の西側駐車場を目指していましたが、工事中の為に、東側駐車場を利用しました。
お花見もできる城址公園の割に、東側は山城に入るような感じがしました。
木々に覆われ、落ち葉のフカフカした遊歩道を歩いていたら開けた郭に出ました。
足元ばかり見ていましたが大堀切の案内板があり、見逃さずにすみました。
細長い二ノ丸から本丸へ向かいます。
本丸は、ぐるっと百庚申が囲っていました。
旧後閑城の家臣3名が発起人となり建立しました。その数128基。地元の方々も協力したそうです。

1440年代に、依田 忠政さんが築城しました。
その後、北条(きたじょう) 政時さん。
その後は新田 景純さん。
「後閑城」を『はい どーぞ』と譲り渡した訳でもないのでしょうが、百庚申の説明板には
歴代の城主と戦死者の供養
と、ありました。
奪う方も奪われた方も、供養されてました。
本丸からは遠くの山々と、桜の木々が見えました。
穏やかな気持ちになったのは、素晴らしい景色と、地元の方々と先人の優しさに触れたからかもしれません。
降りませんでしたが、下に西側駐車場があるような感じです。

この地域は、庚申塔をよく見かけました。
庚申塔は江戸時代の風習で、各地で見られました。しかし迷信、道路拡張等で撤去してしまったようです。

この日の「後閑城」は、少し前に刈込み作業をしたようで、伸びたアザミの紫とトンボの赤が綺麗でした。

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赤い城

公園になっているものの見応えはあります (2022/12/10 訪問)

後閑城址公園になっていて駐車場もあります。
西側の駐車場に停めてまずは南側から。
南曲輪と西側の曲輪の間には深い堀切があり、通路になっています。
さらに進むと東側にも曲輪がありました。
主郭に登り.、北側に進んで行きました。
北側は三重の堀があり、かなりの防御性があります。
かなり整備された公園なので実感としては湧きませんがかなり良い城であることは間違いありません。

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新ろくべえ

後閑城に行きました (2020/08/09 訪問)

(前に出てくる退会済みユーザーともじがいっしょなのは
退会済みユーザーが私だからです
くわしくは私のサイトを開いてみて下さい)
後閑城行きました。
さいしょは東駐車場にとめたのですが、
東駐車場の近くに遺構がなかったので西駐車場にとめました。
そこにはトイレがあるのでべんりです。
西第三郭が西駐車場になりそこから西第一郭、西第二郭のほうをすすみ本丸にいきます。
本丸からは東郭が見えます。
山なども見えます。
ぼくはおすすめなしろです。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 依田忠政
築城年 文安2年(1445)
主な城主 依田氏、後閑(新田)氏
遺構 曲輪、堀切
指定文化財 市史跡
再建造物 模擬櫓、模擬門、碑、説明板
住所 群馬県安中市中後関板詰、谷津、大上サ、金蔵谷津(本丸谷津394)