本丸跡に大きな石製の案内台があるが、寝かしてあるため読むには支障が無いが、画像は撮りづらい。その文面に、嘉吉・文安の頃、信州の依田忠政が築いたとされている。中後閑にある長源寺にある文明二年(1470)十月三日付けの依田信濃入道寄進状が・・・。その他は立地、縄張などが記されている。
駐車場からの散策路は公園化に伴い整備された、とあったが、右手に東郭群の城塁を見ながら上る。東郭群は木々が多く全体像が掴みづらい。戻り主郭方向へ行けば、東郭・本丸と二の丸間の大堀切にでる。左手が二の丸で、堀切側が櫓台跡とあり、以前の写真には模擬櫓(井楼)が建っている。二の丸は細長い郭で端に東屋が建っている。大堀切をさきへ行けば左に南郭があり、右の本丸との堀切になる。道は公園化で整備したと案内板にある。南郭も東屋がある狭い郭である。西郭は数段で草が刈られ公園広場になる。東郭より高く本丸があり、坂虎口になるのか上れば、本丸内へ。北側に東屋・石製の説明板、南側は一段高くなり、端に城址碑、周囲に庚申塚が立ち並んでいる。百庚申と書かれた説明板がある。東郭に下りて北郭に向かう。北第一堀切、北第二堀切・北第三堀切とあり、北郭内は広くなく、ここも東屋が建っている。
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