近江未踏城廻りで肥田城を初登城しました、水田の中に城址小公園が有り案内板、石碑、駐車場が揃っており大変ありがたい。
駐車場:グーグルマップの肥田城跡マーク地(35°12'05"N 136°12'27"N h=100)、肥田城跡小公園約1反くらいの広さ余裕有り。
参考資料:城郭放浪記さん城びと投稿の皆さんグーグルマップに依る。
グーグルマップの肥田城跡目標に合わせて到着、新しく小公園として整備されたらしく駐車場がよく整備されている、北西奥に山王祠が祀られている。また大きな自然丸石に肥田城跡と刻んだ石碑(H22.11、記)、整備されて14年経っていたのですねでも真新しく感じます、肥田城跡の案内解説板、小解説板も有り分かり易くなっています。
県道204号線から駐車場へ入る時にチラッと見た城名碑と小案内板の確認探訪から開始、ここは県道204号線北側沿道沿いに肥田城跡石碑と小立案内板がある、ここは城びとの肥田城指示マーク地となります。
そこから県道を西に戻り南西に約150m進み、住吉神社の斜め南にグーグルマップ史跡マーク地肥田城土塁豪跡が在り、土塁と改修されていますが堀跡を確認できます、後で案内板の肥田城跡地図を確認したら南西角の土塁と濠らしく、ここ辺りを起点として南側に環濠土塁が約480m東に伸びて北にクランクして約280m環濠土塁が続き宇曽川に繋がっていた様です。
そこから戻り県道204号線へ、東へ進み城郭放浪記さんの肥田城マーク地である肥田町公民館へ駐車場も有ります、月曜日で休館、案内板に解説シートを置いてありますと有りましたがゲットできず、公民館隣の歴史資料館・崇徳寺へ山門が茅葺で趣がある、中に入って肥田町歴史ロマンロードめぐりMapが張って有り撮影、崇徳寺は歴代城主菩提寺の様です。西町大通りに出て宇曽川に架かる高橋より上流下流を眺める、高橋の南に豊穣の石碑、城下町肥田の立小看板、肥田町歴史ロマンロードめぐりマップ大案内板が有り、西町大通り東町大通り登町大通りの通りと町屋往来は昔のままだそうです。
駐車場に戻って車で、北西に在るグーグル史跡マーク「肥田城水攻堤」聖泉大学の北側に在ります、そこには立派な自然石「史跡肥田城水攻堤」碑と小立看板がり堤も確認。秀吉の水攻めより早い段階で堤を築いて水攻め合戦が有った様で新知識を得ました。
案内解説板によると
肥田城は土着の豪族高野瀬隆重が六角氏の命により築いたと伝えられる平地城館です。以後長く六角氏の配下にあった高野瀬氏でしたが、秀隆の代に浅井長政と通じます。そのため、永禄2年(1556年)の「肥田城の水攻め」、翌年の「野良田表の合戦」と2度に渡り六角承禎の大規模な攻撃を受けましたが、浅井方の援軍により勝利。
高野瀬秀隆亡き後、肥田城には織田信長・豊臣秀吉の下で蜂谷頼隆・長谷川秀一が城主となって活躍しますが、秀一の病死とともに廃城となる。
江戸時代になり、肥田城の中心部は開墾されて「上新田」「下新田」の美田に生まれ変わります、その周辺の寺社、登町、西町、東町は城下町の町屋が整備された区域でした、今も名残があります。
+ 続きを読む










