山城・摂津国境の天王山頂部に位置し、南北朝期や応仁・文明の乱から戦国期にかけての京都をめぐる動乱の中、諸勢力が布陣しましたが、現在見られる遺構は清須会議の後に羽柴秀吉が改修した際のもので、秀吉が大坂城に居城を移したことにより廃城となりました。
阪急・大山崎駅から登城開始(この日は久しぶりに電車利用)。ハイキングコースを進み、旗立松~十七烈士の墓~酒解神社と経て、駅から約50分で天王山頂部の主郭に到着。酒解神社から主郭までの間にも虎口や土塁、曲輪などがある…はずなんですが、藪に沈んでいてよくわかりませんでした。ハイキングコースとしてはよく整備されていますが、山城として訪れる人はさほど多くないということでしょうか。
主郭には説明板や歴史マップが建てられており、北端には天守台とされる土壇があります。天守台の周囲には石垣が一部遺っており、主郭には転用石があちこちに転がっていました。主郭西下の曲輪は北西辺に土塁がめぐり、南に一段下の曲輪には井戸跡があります。さらに下段の曲輪には石垣があるようですが、この日は電車のためトレッキングシューズでなくスニーカー履きだったので、藪に分け入るのは断念しました。主郭部から来た道を戻る途中、来た時にはよくわからなかった喰違い虎口と竪土塁に気付きました(でもやっぱり藪の中…)。また、竪土塁の北側の曲輪群の先には横堀が見られました。
山崎城は宝寺城とも宝積寺城とも呼ばれ、秀吉期には南麓の宝積寺(宝寺)も城域に含まれていたようですが、宝積寺には秀吉が一夜で建てたとされる三重塔(重文)や、山崎の戦いで宝積寺に本陣を置いた秀吉が腰掛けて采配をふるったと伝わる出世石など、秀吉ゆかりの史跡が見られます。スーパーゼネコン秀吉組には「一夜○○」ネタが多いですね。
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