いびじょう

揖斐城

岐阜県揖斐郡

別名 : (揖斐陣屋)
旧国名 : 美濃

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しんしんちゃん

土岐氏庶流・揖斐氏の山城。非常に散策しやすい。 (2019/11/10 訪問)

揖斐城は揖斐川の北に位置する城台山に築かれており濃尾平野を眼下に収めることが出来ます。一心寺から登城道が続いていて南の丸から本丸にたどり着きます。本丸の北東部に枡形を残し大きな竪堀が目を引きます。尾根上に沿って郭が続き、折れ曲がりながら北東に続きます。曲輪→二の丸→三の丸→太鼓曲輪・出丸→北の丸→搦手曲輪→堀切と尾根上を進むだけで次々と遺構を見ることが出来、気が付いたら最後の堀切まで来ていました。
土岐頼清の子・揖斐出羽守頼雄による築城とされ後に斎藤道三に攻められ消失し廃城となったようです。

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ぴーかる

揖斐城 (2022/04/09 訪問)

【揖斐城】
<駐車場他>麓の三輪神社に駐車させてもらいました。または城山台公園駐車場<35.492865, 136.573047>利用可能です。
<交通手段>車

<見所>曲輪・切岸・堀切
<感想>揖斐城は1343年頃に土岐頼康またはその弟の土岐頼雄が築城したそうです。兄頼康は弟頼雄に揖斐城を守らせ以降揖斐氏を称して約200年にわたり居城とします。1547年に斎藤道三の攻撃で城は落城し以降は揖斐氏の家臣堀池氏が居城としますが今度は織田信長の進攻により稲葉一鉄により落城、のちに一鉄の息子稲葉貞通が城主となりますが後に破却され麓に揖斐陣屋が建てられました。
 登城ルートは一心寺本堂左手から登って行くルートと城山台公園から北の搦手から入り込むルートとあります。道はハイキングコースとして整備され、城跡内も整備されているので非常に見やすいです。城跡はほぼ南北に連なる連郭式で現地縄張り図では南端の方に主郭を置き、北に二の丸、三の丸を置いている。その更に北に標高の一番高そうな場所に周囲を高切岸で防御した出丸(太鼓曲輪)がある。各曲輪間に堀切、堀切からの竪堀が明瞭に残っています。
 石垣遺構は全然見受けられなかったが、元々は石垣もあったかと想像します。麓の居館を関ケ原後に揖斐陣屋建設時に石垣を崩して使用したかと予想します。200年以上詰め城として使われた城だけあっていい遺構、見応えあります。

<満足度>◆◆◇

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揖斐氏の城 (2020/03/26 訪問)

 折れ曲がった地形の連郭式の山城で桝形虎口、竪堀、堀切などを見ることができます。井戸が二ノ丸の南側山腹にあり、今でも水を湛えています。登城路はいくつかありますが、自分は三輪神社から登城しました。養老鉄道揖斐駅から徒歩約20分で登城口のある三輪神社に着きます。そこから城域まで約25分くらいでしょうか。登城路はよく整備され、曲輪などの表示も充実していて概ね見学しやすい城址です。井戸へ行く道だけは細く崖っぷちなので要注意です。縄張り図には西の丸曲輪、大手曲輪が描かれていて行こうとしましたが、道がわからず断念しました。

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じゅんじん

お寺裏山 (2005/09/23 訪問)

揖斐川町が眺められます

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 揖斐(土岐)頼雄?
築城年 興国4年〔南朝〕/康永2年〔北朝〕(1343)
主な城主 揖斐氏、稲葉氏
廃城年 不明
遺構 曲輪、土塁、堀切、井戸
指定文化財 町史跡
住所 岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪