【揖斐城】
<駐車場他>麓の三輪神社に駐車させてもらいました。または城山台公園駐車場<35.492865, 136.573047>利用可能です。
<交通手段>車
<見所>曲輪・切岸・堀切
<感想>揖斐城は1343年頃に土岐頼康またはその弟の土岐頼雄が築城したそうです。兄頼康は弟頼雄に揖斐城を守らせ以降揖斐氏を称して約200年にわたり居城とします。1547年に斎藤道三の攻撃で城は落城し以降は揖斐氏の家臣堀池氏が居城としますが今度は織田信長の進攻により稲葉一鉄により落城、のちに一鉄の息子稲葉貞通が城主となりますが後に破却され麓に揖斐陣屋が建てられました。
登城ルートは一心寺本堂左手から登って行くルートと城山台公園から北の搦手から入り込むルートとあります。道はハイキングコースとして整備され、城跡内も整備されているので非常に見やすいです。城跡はほぼ南北に連なる連郭式で現地縄張り図では南端の方に主郭を置き、北に二の丸、三の丸を置いている。その更に北に標高の一番高そうな場所に周囲を高切岸で防御した出丸(太鼓曲輪)がある。各曲輪間に堀切、堀切からの竪堀が明瞭に残っています。
石垣遺構は全然見受けられなかったが、元々は石垣もあったかと想像します。麓の居館を関ケ原後に揖斐陣屋建設時に石垣を崩して使用したかと予想します。200年以上詰め城として使われた城だけあっていい遺構、見応えあります。
<満足度>◆◆◇
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