【平賀城】
<駐車場他>瀧不動寺前に駐車スペースあり。または城跡東側の霊園手前、道路カーブミラーの所<36.226034, 138.510709>の道路脇
<交通手段>車
<見所>石垣・石切り場
<感想>2泊3日松本・佐久・吾妻の山城攻めの旅2日目5城目。平賀城は1184年に平賀義信が築いたと伝えられる。平賀義信は平安時代末期の河内源氏の武将で父は新羅三郎義光の四男、平賀氏の祖でもあります。本家平賀家はその後新田氏に内包されていき、平賀郷の在地土豪が平賀氏を名乗るようになります。戦国時代には小笠原氏庶流の大井氏の出である平賀玄信という者がこの平賀城主であったようです。
上記瀧不動寺に駐車できるのを知らず、城山保育園付近の道路脇に駐車して登城しました。瀧不動寺も当時は勿論山城の一部に含まれていただろうし下仁田街道側に接しているのでこちら側が防備の要かも。瀧不動寺は切り立った大岩が多くここも岩の切岸兼石切り場だったかもしれません。城跡はさほど広くない山頂の削平地に連郭に主郭2郭3郭と段々にあります。南西面の傾斜地と北東面の傾斜地に横幅の広い段曲輪があります。北東面の曲輪群の先に出丸があり霊園手前のカーブミラーの道路に出ます。出丸の南側曲輪壁には良好に石垣が残されています。出丸南方向にさらに連郭の段曲輪になっており崩れた石垣遺構が残ります。
凄いのが南西面の曲輪群で幅150m程の段が6段程度、麓付近の住宅地のすぐ手前まで広がっています。石垣が良好に残り曲輪の区画が明瞭に分かります。曲輪の間々の仕切り石垣はスロープ状になっています。最奥の主郭の南壁にあたる箇所に巨石群がありここも石切り場だったように思います。南西面の曲輪群は麓から見上げると圧巻の見応えで、やはり葉の落ちた冬場がいいと思います。素晴らしい城跡で百・続百名城以外のマイベストに入る城跡でした。お勧めです。
<満足度>◆◆◆
+ 続きを読む