つるじょう

鶴城

兵庫県豊岡市

別名 : 田結庄の城、田結庄城
旧国名 : 但馬

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愛宕神社 (2026/03/20 訪問)

 円山川とその支流六方川の合流点近くの標高115mの愛宕山にある城址です。主郭を中心に尾根に曲輪を展開しています。畝状空堀群が縄張り図に描かれていますが、浅くなって見にくくなっていました。愛宕神社から主郭周辺の主要な場所は概ね整備されていてストレス少なく散策できます。
 東側の尾根の堀切は比較的容易に行けました。西北にある尾根にも縄張り図では堀切が描いてあり、行こうとしましたが最初は道が見つかりません。あきらめて帰ろうとしたときに愛宕神社の北の曲輪から主郭の切岸に張り付いている細い道を見つけてしまいました。その道を通り西北の尾根に行き展開している曲輪を降りて行きました。堀切を見つけそのまま降りて行けば連郭式に配置してある曲輪を経由して下城できそうなので進んで行きました。最後の曲輪までは何とか来ましたが、そこから下りる道も踏み跡もありません。ピンクのリボンが付いている木を見つけて降りようとしましたが、踏み跡もなくかなり角度があり自分の力量では下りるのは無理と判断。比較的緩い斜面を選んで、木々を頼りに何とか下りて下城しました。
 年を取って来たので無理はしないと誓ったのに結構無理しました。

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ぴーかる

鶴城 (2024/12/30 訪問)

【鶴城】
<駐車場他>登城口前のごみステーション広場<35.553707,134.826417>に駐車。
<交通手段>車

<見所>切岸・竪堀
<感想>縁起祈願、鶴亀楽々旅2城目。現地説明板によると鶴城は山名四天王のひとりに数えられた国人・田結庄氏の居城であり、伝承では永享年間(1429~1449年)に山名宗全が築城したとされます。1575年の野田合戦において垣屋豊継らに城を攻められ田結庄是義は自害して以降1580年まで垣屋豊継の城となったようです。
 縄張りは南の円山川を天然の堀として、西側に向かって鶴が翼を広げたような形になっています。北側は山続き、東の背後は崖になっています。攻め口はやはり西側から登っていくことになるのでしょう。
 城跡は河岸整備された登城口から登っていくと、愛宕妙見堂跡に入ります。かつての曲輪跡に建てられた御堂跡で側面に古い石垣が残ります。広い尾根上曲輪を通り、Ⅳ郭南の虎口に隅角部の残る石垣がありますが現地説明板にある1619年に建てられた宝城寺のものかと思われます。Ⅳ郭が城跡の中で一番広く、最高部のⅠ郭が物見程度の広さなので、私はⅣ郭が主郭とみました。Ⅳ郭の東側の腰曲輪との側面にも古い崩れた石垣が残っていて城跡遺構と思いたい雰囲気のある石垣跡があります。Ⅰ郭の北側は高低差のある堀切があり、その北側から小さな段曲輪が連なっています。主要部の東側の畝状竪堀群ですが、私が見たときには落ち葉の堆積が多いせいか、大竪堀が1条確認できましたが、畝と群は表面観察では見受けられませんでした。

<満足度>◆◆◇

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todo94

想像以上の奥行 (2023/11/24 訪問)

出石三城をクリアして豊岡市中心部に向かいます。雨が落ちてきてしまったので三開山城をスルーして鶴城へ。雨は小降りになっていたので鶴城攻略に踏み切りました。遠景は街中の小さな山城のように見えます。愛宕妙見堂あたりがピークのように感じられてしまうのですが、愛宕神社はそのずっと先でした。主郭はさらに奥。こんなに懐が深い城だとは思ってもいませんでした。ちょうど雨が上がってくれたのは幸運以外の何物でもありません。車でお越しの際は、麓の船町会館に3台ほどの駐車スペースがあります。

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但馬 山名氏を支える国人の城を巡る (2023/03/05 訪問)

城びと先人が遠望(ホトトギスさん)と縄張り図(おっちゃんさん)をアップされているので、現地写真を中心に投稿します。
城は、 円山川右岸にあり、玄武洞に行く道沿いに登城口(愛宕山登山口)があります。愛宕神社があるのは、Ⅳの郭ですが、広くて、説明板もあり、Ⅲの郭へは、一旦下りるので、主郭かと思いました。主郭付近には、畝状竪堀が認識されます。
玄武洞が近いだけあって、六角形の玄武岩が、さりげなく転がってました。鶴城の山体は、玄武岩・流紋岩を伴う安山岩質凝灰角礫岩ですと。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 山名宗全
築城年 永享年間(1429〜1441)
主な城主 田結庄氏
遺構 曲輪、土塁、堀切
指定文化財 市史跡
住所 兵庫県豊岡市山本