たもんやまじょう

多聞山城

奈良県奈良市

別名 : 多聞城
旧国名 : 大和

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①若草小学校(奥に城跡碑)
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)9日目:多聞山城 (2024/09/30 訪問)

奈良交通の手貝町バス停から徒歩5分くらいで、若草中学校校門前(34.694071、135.83139)に着きました。

1560年(永禄3年)松永久秀によって築かれました。 松永久秀の出自については定かではないようですが、三好長慶に仕えて重用されました。
1553年(天文22年)に摂津国滝山城主、1559年(永禄2年)に信貴山城主、そして1560年(永禄3年)には興福寺を敗って大和国の支配を強め、多聞山城を築いて拠点の一つとしました。
1564年(永禄7年)三好長慶が飯盛山城で病没すると、松永久秀は三好三人衆と将軍足利義輝の暗殺するなど畿内での勢力を増しました。
しかし、三好三人衆と仲違いしたことにより、大和より追い出した筒井順慶と結んだ三好三人衆と争うことになります。
1568年(永禄11年)織田信長が足利義昭を奉じて上洛すると、すぐさまこれに従いました。
1570年(元亀元年)筒井順慶の勢力が盛り返すと、筒井順慶も織田信長に帰順し、その斡旋もあって和睦となりました。
その後、将軍足利義昭が画策した信長包囲網に加わり反旗を翻しましたが、1573年(天正元年)甲斐の武田信玄が没すると包囲網も破綻し、久秀は多聞山城を明け渡すことで信長に降り、信貴山城へ退きました。
信長は城番として明智光秀、柴田勝家などを置きましたが、1576年(天正4年)大和守護職に任ぜられた筒井順慶は多聞山城に入らず廃城となりました。

多聞山城は若草中学校のある丘陵に築かれ、四重の天守があったそうです。
多聞山城の中心部は若草中学校の敷地となっており、中に入って見学することはできませんので、校門越し城址碑を確認しました。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=鬼薗山城を目指す為、奈良交通の手貝町バス停からバスで県庁前バス停に向かいました。

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しんちゃん

当時、最も先進的だった平山城。 (2023/07/16 訪問)

多聞山城は松永久秀によって標高115m、比高30mの多聞山(眉間寺山)の山頂に築かれました。大和支配に適した立地にあり、石垣や贅を尽くした建築物に四重の天守まで備えた近代的な平山城で、西の丸は聖武天皇や光明皇后の陵墓がある佐保山に築かれていたそうです。
さすがに見学は難しいですが城址の主要部を占めている若草中学校の校門の隙間から城址碑を確認することが出来ます。
また中学校校舎と体育館の間にある道路は、かつての堀跡だったみたいです。

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松永久秀 (2023/12/28 訪問)

 奈良市立若草中学校付近が城址です。冬休み中だとは思いましたが、学校なので説明板と東堀切跡を確認して撤退しました。石碑があるはずだと思い捜しましたがわかりませんでした。校門の中にあるようですね。後で見ると写真に写っていました。土手に鹿がいました。奈良公園より離れていますが、こんなところにもいるのかと驚きました。
 近鉄奈良駅より徒歩にて登城しました。

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ぴーかる

地理的条件と周辺環境、東大寺との近さを感じる (2023/06/17 訪問)

【多聞山城】
<駐車場他>タイムズ東大寺転害門西24時間550円に駐車しそこから徒歩
<交通手段>車

<感想>日帰り奈良ちょこ城150㎞の旅3城目。聖武天皇陵墓⇒西方院山城⇒東大寺転害門を経て登城しました。
 多聞山城は当時まだ三好長慶の家臣時代だった松永久秀が1559年大和支配の強化を図るため筒井順慶の勢力を圧倒し築城されました。1573年、松永久秀が1回目の謀反を起こした時の降服条件として信長に多聞山城を明け渡します。その後信長は塙直政を城主にしますが、石山本願寺との戦いで討死したのでその後筒井順慶を大和守護にして1576年に多聞山城の破却を命じます。多聞山城は結局16年間ほどしか使用されなかった城でした。石垣は筒井城や郡山城に転用されたそうです。
 本丸を含む主要部は現在若草中学校になっているため周辺散策だけにしました。南の佐保川が天然の堀としていたことがよく分かります。校門前に説明板、上方に五輪塔が集められた場所が敷地内にあるのが見えます。東側に回り東堀切跡を見ました。東堀切跡の南側から東大寺大仏殿が見えます。東大寺に布陣した三好三人衆との戦い、東大寺大仏殿の戦いの距離感がよく伝わります。残る遺構は少ないですが奈良の中心部、全盛期には大和国全域を寺領とした興福寺のすぐ北に築城した松永久秀の下剋上の力が感じられる想像で楽しめる場所でもありました。

<満足度>◆◇◇

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城郭情報

分類・構造 平山城
天守構造 高矢倉?[4重?/築年不明/解体]
築城主 松永久秀
築城年 永禄3年(1560)
主な改修者 不明
主な城主 松永久秀、柴田勝家、塙直政
廃城年 天正4年(1576)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 石碑、説明板
住所 奈良県奈良市法蓮町多聞山
問い合わせ先 奈良県文化財保存課
問い合わせ先電話番号 0742-27-9866