いわくらじょう

岩倉城

鳥取県倉吉市

別名 : 小鴨城
旧国名 : 伯耆

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主郭
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ぴーかる

岩倉城 (2024/02/17 訪問)

【岩倉城】
<駐車場他>城跡説明板<35.387530, 133.804034>の所の道路脇が広く数台停めれる。または登城口<35.387790, 133.806084>の道路合流地点に車を寄せれば1台停めれる。
<交通手段>車

<見所>堀切・曲輪・井戸跡
<感想>日帰り羽衣伝説の旅4城目。現地説明板によると岩倉城を築城した小鴨氏は奈良・平安時代にはすでに名があり、伯耆国国衙の在地官人として務めたとされています。鎌倉時代に岩倉城を築城し代々の居城とします。鎌倉・室町時代には小鴨氏は伯耆国守護の山名氏の守護代を務めますが戦国時代1524年に尼子経久が侵攻して城は落城します。尼子氏が毛利氏に敗れると小鴨氏は毛利氏によって旧領を回復し羽衣石城の南条氏の家臣団に組み込まれます。南条氏が毛利氏から離れ、織田氏に属するようになると吉川元長の軍勢が岩倉城に攻め落城します。
 登城口の北150m程行った右手に推定大手口跡があります。今は普通の谷に見えます。登城口から主要部までは25分くらい登ります。道があるので迷うことはありません。当時は途中道にも曲輪はあったろうと思いますが、現在表面観察できる遺構は薄くなった堀切が2条程あるのみ(つぶやき:やっぱ山陰地方には堀切少ない)です。主要部の手前に近づくとやや急斜面になり岩場で造った城門跡か?、城跡らしくなってきます。二郭下段の小曲輪群を通って広い二郭に着きます。
 主要部は主郭・二郭・井戸曲輪の3つの構造で二郭は広い曲輪が2つ段で付いた構造になっています。段差に石垣があったような跡があります。二郭に付随するように谷の扇状曲輪に井戸曲輪があります。井戸が斜面の際ではなく、曲輪のど真ん中にあります。石組井戸であったような石列が縁に残っています。主郭は二郭から一旦やや狭地を抜けて上段に広い曲輪になっています。城のメイン所は二郭で主郭は二郭の奥の詰曲輪という感じに見受けられました。
 麓に居館があり、いかにも古い詰めの山城という感じの城跡で、しかも度々攻撃を受けて使用されている、なかなか見応えある城跡でした。

<満足度>◆◆◇

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todo94

手頃な山城 (2016/04/29 訪問)

攻略に難渋することなく、そこそこの遺構を楽しむことができるお手頃な山城でした。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 小鴨元兼
築城年 寿永元年(1182)
主な城主 小鴨氏
廃城年 慶長5年(1600)
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
再建造物 碑、説明板
住所 鳥取県倉吉市岩倉
問い合わせ先 倉吉市
問い合わせ先電話番号 0858-22-8111