埼玉県行田市の関東七名城の一つ小説や映画の「のぼうの城」で有名となった忍城です。15世紀後半成田氏により築城されたとされます。1559年上杉謙信が関東に侵攻すると成田氏は謙信に従い1561年の謙信による北条氏の居城小田原城攻めにも参加、しかし、攻略できず謙信が撤退すると成田氏は離反、これに対して謙信は1574年忍城を包囲しますが、城は持ちこたえています。その後、成田氏は北条氏に従い、1590年秀吉の小田原征伐では、忍城は石田三成、大谷吉継、真田昌幸等3万余の軍勢に包囲されます。成田氏当主長氏は小田原城に籠城していたため、忍城は長氏の娘甲斐姫と一族が農民などを含め3千名が籠城。三成は、忍城が沼地など湿地帯に囲まれた堅城のため、28kmの堤を築き水攻めを決行。しかし、城方は夜半に堤を破壊決壊させ、大水が三成軍を襲い被害を与えたとされます。しかし、籠城1ケ月小田原城が開城したため、忍城も降伏開城しています。成田氏は領地没収となりますが、甲斐姫が秀吉の側室となったことから那須烏山2万石の大名となっています。関東に徳川家康が移封となると、忍城には家康の四男松平忠吉が10万石で城主となり、その後、1639年老中阿部氏が城主となると整備拡張が行われ、1823年には奥平松平氏が城主となり明治維新まで続いています。城は、北の利根川と南の荒川に挟まれた沼地と湿地帯に点在する島を曲輪とし曲輪間を橋で結んだ堅城で、現在は、沼地が埋め立てられ市街地化していますが、本丸跡に模擬御三階櫓が建てられ、一部土塁や堀が残り、高麗門と藩校進修館の門が移築されています。
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