続百名城に選定された福島県会津美里町の向羽黒山城です。1561年葦名全盛時代を築いた盛氏により8年の歳月をかけ築かれたとされます。盛氏は会津北部の領内をまとめ上げると、周辺を戦いにより新潟東部から会津地方全域、福島中通り地方を勢力下に置き中興の祖と呼ばれます。城ができると盛氏は家督を唯一の男子盛興へ譲り向羽黒城へ隠居。しかし1574年盛興は世継ぎを残さず病死、二階堂氏からの人質であった盛隆を養子としますが、家臣に惨殺され、跡継ぎに問題を抱える中盛氏は1580年60歳で没します。その後、常陸佐竹義重の子義広を当主に迎えるものの、1589年伊達政宗の侵攻を受け摺上原の合戦に敗れ会津支配に終止符が打たれます。城は黒川(会津若松)城から南西6㎞の標高408mの山頂に一曲輪を置き、周辺に二曲輪、三曲輪の他複数の曲輪を配し、東西1.4㎞南北1.5㎞の東北随一の規模とされます。城は西の越後方面や南の下野方面からの攻撃から守るための戦略上の詰めの城とされ、山城の周辺に城下町が置かれたとされます。葦名氏が去ったあとも、伊達・蒲生・上杉氏が改修を繰り返し会津地方を守る重要な城として整備されたと言われます。しかし、1601年関ヶ原の戦い後、廃城となっています。城麓の会津美里町インフォメーションセンターに無料パンフレットが置いてあります。
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