南側の神社より登城。東から西に向かいました。西側に城址碑があります。もっと無いか行くと・・・道がなくなり藪と小川を越えて道路に出ました。山城あるあるですね。
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2018/07/11 06:05
2018/07/11 05:31
国史跡 (2008/05/10 訪問)
ここも史跡碑を確認しただけ。
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2018/07/11 05:15
国史跡 (2008/05/10 訪問)
勝山館と共に国史跡に指定されている遺構もあるのだが、史跡碑を確認するだけにとどめる。
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2018/07/11 01:25
2014.11.22登城 (2014/11/22 訪問)
福原城から県道285号を東へ。県道52号に入りさらに東へ行くと佐久山小学校があり、隣接する御殿山公園が佐久山城址となります。ちょうど御殿山公園で紅葉祭りを行っており、ほほえみセンターが臨時駐車場になっていました。
紅葉祭りが開催されるほど、御殿山公園は紅葉の名所の様で多くの人が訪れていました。
幸いなこと(?)に城址の遺構付近には紅葉があまりなく、ゆっくりと散策を楽しむことができました。
遺構としては、江戸時代の交代寄合陣屋の名残の土塁や中世の山城の横堀や堀切の遺構を合わせて散策できます。
紅葉が見事なので、紅葉祭り開催時期に登城することをオススメします。
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2018/07/11 00:15
冬はお休み (2018/07/01 訪問)
三匹の鯱の三階櫓は堀越しに眺めるしかなく丁字型なのも鯱の姿もしっかりと捉えることは難しかったのですが、表門(櫓門)・旧二の丸隅櫓・辰巳櫓は中も見学することができました。公開ゾーンは100名城にしてはとても狭いのですが、狭いおかげで、広い城だと通り抜けてしまうだけになりがちな門もじっくりと観察できます、というかしてしまいます。帯曲輪や土塁の復元構想もあるようで、実現したらさらに見ごたえのある城址になりそうです。
新発田駅前の大きな病院と長く静かな商店街、隣の西新発田の殷賑ぶりが好対照で印象的でした。
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2018/07/10 22:31
2018/07/10 21:41
2018/07/10 19:16
最初の日本100名城スタンプラリーは此処でコンプリート (2008/05/17 訪問)
市電で市役所前まで乗り、重要文化財の長塀沿いに加藤清正像まで歩く。櫨方門脇の備前堀からは既に飯田丸五階櫓が見えていた。前回訪れた2003年には全く姿を見せておらず、今回初めて拝むことができた次第。正直、本丸御殿よりも期待していた飯田丸五階櫓であったが、見事な石垣の上に載るその佇まいは期待を遥かに超える素晴らしさだった。自分を天守に見立てて櫓に家臣の名前をつけた加藤清正。飯田丸は重臣、飯田覚兵衛に因む。池波正太郎の「火の国の城」は既に2006年に読了しているのでこの飯田丸五階櫓は2年間も恋いこがれていた存在だったのだ。坂を登って頬当御門に到着。ここは二の丸、三の丸駐車場からの入り口に当たり非常に人通りが多い。スタンプはなるべく閑散としている所でゲットしたいので此所はパス。重文の宇土櫓前の素晴らしい空堀と二の丸の堀や復元された櫓・門を楽しんで櫨方門へと舞い戻った。期待通り、櫨方門のスタンプは素晴らしい状態。これで、日本100名城のスタンプラリー完遂である。11ヶ月と15日、基本的には土日しか遠出が叶わない(しかも必ず第1日曜には所用が入る)身でありながら1年足らずで100個のスタンプをコンプリートできたのは想定以上の出来である。櫨方門からはいると目の前に竹の丸からの見事な石垣群が広がっている。素晴らしい石垣の眺めなのだが、観光客はさほど多くない。私はここからの熊本城の眺めに感銘を受けためこの城が最も好きな城になっていると言って良い。多くの観光客が頬当て御門から宇土櫓、本丸御殿、天守を見て終わりにしてしまっていることが残念でならない。駐車場を利用する観光客も備前堀からの飯田丸を見て櫨方門から入城し、竹の丸からの圧倒的な石垣をぜひ堪能して欲しいと思う。竹の丸から本丸へと向かっていくと、二様の石垣という見どころもチェックできるわけだし。本丸へ赴く前に飯田丸五階櫓の中を見学していく。床板をとめる釘の感触が足裏に心地よい。窓が小さく、眺望は楽しめないが、木造での復元を存分に楽しむことができる。続いて重文の宇土櫓にも登る。現存十二天守の中に入れても規模の面では上位に食い込むこの櫓は熊本城の必見スポットである。飯田丸に対する執心があったとはいえ、世間が騒いでいる本丸御殿は勿論、大きな存在。それでもゴールデンウイーク明けで混雑のピークは去った様子。楽に見学できそうな気配だつたので天守の方を先に見ていくことにした。西南戦争のかちあい弾の展示が見あたらなかったが、どんどんと歩を進めて大天守の最上階へ。落成間もない本丸御殿を俯瞰してみた。屋根の漆喰の白さが眩しいが、何年かすれば落ち着いたたたずまいとなるであろう。いよいよ本丸御殿へと向かう。NHKの特集番組を見、期待を大きくふくらませてきた。幸いにして待ち時間は0分。地下通路を抜けてあっという間に本丸御殿内にはいることができた。本丸御殿内は勿論撮影禁止。カメラを持っていたためしっかりたしなめられたが、翌週の25日(日)からは昭君の間と若松の間以外の撮影が可能となっている。滝の絵の若松の間は待ち時間無し。目玉の昭君の間も人だかりこそあったが、すぐにのぞき込むことができた。短いながらも説明も聞くことができ、襖絵、格天井としっかりと楽しむことができた。本丸御殿に時間がかからなかったので大分ゆとりができた。数寄屋丸二階大広間を見て東竹の丸に降り、本丸御殿を見上げつつ不開門から出て谷干城像、横井湘南維新群像をチェックしてから三の丸に移築されている細川刑部邸へと向かった。熊本城との共通券を買っておけば良かったのだが後の祭り。刑部家は細川忠利の弟・興孝に始まる細川家一門。その本邸に相応しい規模と格式を持っている。
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2018/07/10 19:13
2018/07/10 19:04
お城めぐりナイト!の前に (2008/06/28 訪問)
山手線内に江戸城以外で遺構を残す唯一の城という国史跡の白金長者屋敷。実は2007年10月に訪れていたのだが、月曜で国立自然教育園が閉園だったという辛酸をなめていたのだ。今回、目出度く国史跡の土塁を拝むことができた。写真ではよくわからない土塁であるが、肉眼ではよくぞ山手線内にこれだけの城の遺構が残っているものだと感嘆させられるほどの遺構が確認できる。
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2018/07/10 19:03
2018/07/10 06:10
再訪 (2015/05/30 訪問)
豪徳寺の近くには世田谷城もあるので立ち寄っていった。お城めぐりナイトに参加した2008年6月以来、2度目の訪城である。ごく小さな城址公園であるが、地元の人々にはとてもよく利用されているようである。ついでなので2014年11月に立ち寄った世田谷代官屋敷まで脚を伸ばしてみた。
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2018/07/10 05:55
隠れた名城 (2008/07/05 訪問)
ロードマップ上に発見して急遽、赴くことにした後閑城。全く期待をしていなかったのだが、きれいに整備されていて郭や堀切がはっきりとわかる素晴らしい城だった。本丸と二の丸、南郭は大堀切で分かたれており、一城別郭の形になっているという。歴史の舞台に登場する城であったなら史跡に指定されてもおかしくない見事さだった。長野県小県郡の依田氏による築城というのはいかにもマイナーだもんな。
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2018/07/10 01:32
とき311号、速い! (2018/07/01 訪問)
駅からのあまりの暑さに、登城口にたどり着いた時にはうれしくて木陰にダイブ‼︎
七曲りも緩やかなのでそれほどきつくなく、標高135メートルの平山城なので山頂までも15分程度(だったような気がします)。
石垣群は年代も様々で、古い石積みを生かしてさらに積み上げたもの、崩落のため積みなおしたもの、苔むす武骨な野面積み、整備後のシャープな切込接ぎなど、目移りして仕方がありませんでした。おとぎの国のお城山♪
天守台からの日本海の眺めもため息が出るほど美しく、毎日この景色を見ていたら視力もよくなるのではないかと…、もう遅いけど。
中世遺構散策コースも駆け抜けました。季節的には多分限界。生い茂る草で遺構の確認はほぼできませんでしたが、ここまで来てスルーするのもなんかちょっとアレなので。・・・よい子は秋に行きましょう(^O^)/
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2018/07/09 22:45
2018/07/09 19:55
再訪 (2008/07/05 訪問)
前回撮影した写真がピンボケだったための撮り直し。今回はISO値を高感度にすることで手ブレを防止することができた。闇雲に高感度にすると画質が落ちてしまうのだが、ピンボケになるよりはましである。下草が刈られてなく、蜘蛛の巣も残っている中、大量の汗を流して本丸、二の丸へと足を伸ばした。
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2018/07/09 19:45
続日本100名城 (2008/07/20 訪問)
浜田城は幕末の第二次長州征伐で長州軍の近代装備に抗せず、城に火を放って遁走した松平氏の居城である。司馬遼太郎の浜田藩追懐の碑がたっていた。本丸まわりには結構立派な石垣が残っていて港を見下ろせるなど、眺望もいい。
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2018/07/09 19:31
三増古戦場の近く (2016/01/03 訪問)
武田(信玄)vs北条(氏康)の戦い・三増古戦場から近くにある城址
車を停められる場所がなく、中学校の裏山にあるとされる城の地形は確認出来ず
中学校前の解説版はなんとか確認できました。
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2018/07/09 19:24
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