明治維新まで存続した城ですが、明治初期に鉄道建設資材として石垣が使用されたり、陸軍が城内を利用したこともあり遺構はほとんど残っていません。公園の東縁に三の丸と外堀の段差の説明板があります。見ると確かに段差はあるのですが、この時期は草が生えていてわかりにくかった。先人の投稿を見ると冬に来た方が明瞭ですね。
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2024/10/05 22:49
2024/10/05 22:32
2024/01/03 18:49
本丸跡に学校がある城 (2023/05/04 訪問)
勝龍寺城から芥川山城へ向かう途中に登城。高槻市立しろあと歴史館の駐車場に奇跡的に車を駐車できたのでここから登城開始。
というのも、この日は高槻JAZZ STREETのイベント真っ最中。高槻城公園や二の丸跡に2023年3月オープンした高槻城公園芸術文化劇場とその周辺には、音楽を楽しむ大勢の人だかり。その人波のなか城址を歩き、本丸があった現高校周辺を回って30分ほどで撤退。
歴史館では高槻城と芥川城の資料が展示されていて、キリシタン高山右近が城主だった高槻城だけに、発掘されたロザリオの展示に目を引きました。
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2023/07/12 08:22
転用石垣石めぐり (2023/05/21 訪問)
(続き)
前回に城下はひとめぐりしていますが、見落としや遠方で行けずにいたところもあるので、市内にある(転用)石垣石をめぐってみました。
しろあと歴史館(高槻市城内町)
入口脇に二の丸跡での発掘調査で発見された高山期の石垣石が展示されています。前回、歴史館前の思案石(外堀沿いの石垣石)は確認しているんですが……むしろどうして見落としたんだろう?
高槻城公園(高槻市城内町)
北西口を出たところにも高槻城の石垣石が移設されています。こちらは見落としではありませんが、前回は道路工事の器材が置かれていてよく見られなかったので再訪です。
上宮天満宮(高槻市天神町)
参道の石垣に高槻城の石垣石が転用されている…らしいんですが、現地には案内等は何もなく、矢穴などのわかりやすい痕跡も見当たらず、結局どれがそうなのかはよくわかりませんでした。
JR京都線(高槻市川西町)
清水池公園の北側からJRの線路の下をくぐるレンガアーチ橋には高槻城の石垣石が転用されており、矢穴のある石垣石も多く見られます(高槻まちかど遺産番号H29-3)。また、芥川に架かる橋脚にも高槻城の石垣石が転用されているそうですが……よくわかりませんでした。
…で、ひと通り行けたかな、と思いつつ帰宅して城びとを覗いてみると、ちょうど赤い城さんの高槻城の投稿があり、槻の木高校内の石垣石を見落としていたことに気付きました。すぐ目の前まで行っていたのに……やれやれ。
# 赤い城さん
高槻でなく高松に決まったんですね。私は四国はほぼ未踏の地なので、四国の城の投稿も楽しみにしております。
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分類・構造 | 平城 |
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天守構造 | 型式不明[3重天守/築年不明/破却] |
築城主 | 近藤忠範 |
築城年 | 10世紀末 |
主な改修者 | 和田惟政、土岐定義 |
主な城主 | 入江氏、和田氏、高山氏、内藤氏、永井氏 |
廃城年 | 明治7年(1874) |
遺構 | 堀、移築門 |
指定文化財 | 府史跡(高槻城跡) |
再建造物 | 模擬石垣、模擬天守台、石碑、説明板 |
住所 | 大阪府高槻市城内町、大手町他 |
問い合わせ先 | 高槻市街にぎわい部文化財課 |
問い合わせ先電話番号 | 072-674-7652 |