高槻城は元は入江氏の城でしたが、永禄12年(1569)本圀寺の変で入江元秀は足利義輝の屋敷を攻めた際に討死し、その後は和田惟政が城主になりました。元亀4年(1573)惟政の子・惟長が高山右近を謀殺しようとして斬り合いになり、右近は駆け付けた高山家の家臣に誤って斬りつけられ、首を半分ほども切る重傷を負うも奇跡的に回復したそうです。
かなり眉唾な話なのですが、この後右近は荒木村重に属し高槻城4万石を領しました。
高槻城は多くの遺構を失ったものの、堀の一部が残っているようです。
大阪府立槻の木高校が本丸跡で、芸術文化劇場南館が二の丸跡で駐車場はここを借りています。本丸・二の丸を囲うように三の丸があり、高槻市立第一中学校と高槻城公園は本丸の東側に位置しています。芸術文化劇場南館の北側の堀はちょうどかつての水堀の位置と一致しているようです。
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