御館(おたて)の乱の舞台となった御館ですが、個人的には関東管領上杉憲政公が上野国平井城を追われて、ここで過ごしていたのかという印象が強いです。憲政公が越後に落ちのびたことにより、上杉謙信が誕生することになるわけですが・・・結局、憲政公は旧領復帰は果たせず、ここ越後で亡くなってしまいます。その最後も、御館の乱で上杉景虎公の和睦の使者として上杉景勝公の元へ向かう途中で、景勝派の者により殺されてしまうという元関東管領としては悲しすぎる最期でした。
そんな憲政公がいた御館も、現在は御館公園になっています。
現地の説明では二重の堀があり、東京ドーム1.6倍の大きさがあったそうですが、主郭跡の公園は南北50m×東西50m程の広さです。館跡の南側は線路になっているのですが、そこから春日山城を見ることができます。
春日山城から徒歩で訪れたのですが、5kmで1時間くらいでした。春日山城から越後府中への道、きっと、謙信公も通っていたのだと思うと幸せ過ぎて、この日は合計4万歩を越えたのですが、疲れたなんて思い出全くなく、上杉ーズハイに覚醒していたようです。
憲政公、平井城に帰りたかったのかな?それとも海が近くでここが気に入っていたのかな?なんて想像していましたが、でも、やっぱり憲政公は平井城に戻して、関東の地で眠らせてあげたかったです。
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