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くろもり

遥かなる上州 (2013/07/20 訪問)

御館(おたて)の乱の舞台となった御館ですが、個人的には関東管領上杉憲政公が上野国平井城を追われて、ここで過ごしていたのかという印象が強いです。憲政公が越後に落ちのびたことにより、上杉謙信が誕生することになるわけですが・・・結局、憲政公は旧領復帰は果たせず、ここ越後で亡くなってしまいます。その最後も、御館の乱で上杉景虎公の和睦の使者として上杉景勝公の元へ向かう途中で、景勝派の者により殺されてしまうという元関東管領としては悲しすぎる最期でした。

そんな憲政公がいた御館も、現在は御館公園になっています。
現地の説明では二重の堀があり、東京ドーム1.6倍の大きさがあったそうですが、主郭跡の公園は南北50m×東西50m程の広さです。館跡の南側は線路になっているのですが、そこから春日山城を見ることができます。

春日山城から徒歩で訪れたのですが、5kmで1時間くらいでした。春日山城から越後府中への道、きっと、謙信公も通っていたのだと思うと幸せ過ぎて、この日は合計4万歩を越えたのですが、疲れたなんて思い出全くなく、上杉ーズハイに覚醒していたようです。

憲政公、平井城に帰りたかったのかな?それとも海が近くでここが気に入っていたのかな?なんて想像していましたが、でも、やっぱり憲政公は平井城に戻して、関東の地で眠らせてあげたかったです。

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にのまる

湖南、湖北の境目の城のひとつ (2018/12/15 訪問)

鎌刃城から米原まで戻る途中で寄りました。
米原高校のあたりから井伊直政が整備した深坂道を通りましたが、なかなかよい雰囲気で、女子が好きそうな古民家カフェもありました。

湯谷神社の登城口から入城。最初のうちはなだらかで心地よい散策路だったのですが、だんだん道が狭くなって、傾斜も出てきて、崖際すれすれになってきて、落ち葉もすごくて…、写真③の感じです。こんな道でも「遊歩道」と言ってしまう滋賀県、さすが山城の宝庫…。
何とか北城の堀切に到着。ここからがほんとのスタートのようですが、もう限界だーっ!と思ったので、ここをゴールにしてしまいました。

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小城小次郎

唐津城

前回全力で駆け上った本丸にはエレベーターで行けることを知って愕然(笑)。名護屋城図屏風を模した天守は存在すら怪しいが威風堂々としてるしまあよしとしよう。しかし「唐ワンくん」はこれでいいのかw

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カルビン

信長の褒美 (2015/03/20 訪問)

以前家を深夜0時に出て車で滋賀県を目指した時、途中で休憩がてら立ち寄ったのが沓掛城。
以前から各サイトで見てて一度行きたかった場所です。

愛知県の中地区にして遺構が残っていたので是非来たかったものの、公共交通機関での訪問が難しかった為、車で遠征したこの日やっと来る事が出来たって寸法ですw

近年漫画「いくさの子」を読んで存在を知った梁田政綱に、桶狭間合戦にて今川軍の侵攻をいち早く信長に告げた事を一番手柄としてここ沓掛城を賜ったとされたみたいですね。


沓掛城は現在公園となっていて、土塁・堀等のシンプルな遺構が見られます。


沓掛城近辺はお城の多い愛知県には珍しく、周囲4kmの近場にお城が無く(自分の調べた限りでですが)、一番近くの史跡が桶狭間古戦場関連になるみたいなので、複数の史跡を合わせて見学するにはちょっと中途半端な位置になるのが難点でしょうか・・・

沓掛城址公園には無料駐車場もあるので、車での訪問が無難でしょう。

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チェブ

膝が大爆笑。 (2018/12/09 訪問)

今まで運動をしてこなかった私には、小田急線の「向ヶ丘遊園駅」から「枡形城」のある生田緑地までの坂道がきつかったです。
いやいや、生田緑地の入口に着いたとき、目の前の長い山階段で、膝と相談。膝がOKだと言うので登りました。
そこからも、しんどかったです。
膝が笑うどころではなく大爆笑でした。
立河原の戦いで北条 宗瑞、今川 氏親が「枡形城」に入城してから立河に向かってます。
先人たちの体力、頭が下がります。

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ジャイ

彦根城 (2018/08/19 訪問)

ひこにゃんと石垣など

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イオ

天下人の証 (2018/12/16 訪問)

なんだかんだ言いながらも、今の模擬天守の堂々たる姿も好きなんですが、大阪城といえばやはり、幅広く深い堀と幾重にも屈曲した石垣、そして桁外れの巨石たち! 普通の規模のお城を巡ってから大阪城に来ると、改めて壮大なスケール感に圧倒させられます。
豊臣期には天下人の絶対的な権力の象徴として、徳川期には豊臣の時代が終わり徳川の天下となったことを誇示するため、比類の無い城として築かれた、まさに天下人の証としての城といえるでしょうか。

…などと考えていたら、昨日、徳川期の大坂城は将軍の居城とすることを想定して築かれたとする書状発見のニュースが! つくづく天下人のための城なんですね。

この日は、大手口から桜門を経て天守に登り、極楽橋を渡って京橋口に抜けるというルートで、所要約2時間半。西の丸庭園(乾櫓、焔硝蔵)や一番櫓、玉造口なども巡れば計4時間はかかるはず。やはり大変な巨城ですね。

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todo94

続日本100名城スタンプ79個目 (2018/12/15 訪問)

スタンプ置き場所の嵐山町役場はとてもきれいでした。立派なパンフレットも手に入ります。これが三度目の杉山城ですが、細かく折れている空堀や土塁には、いつも見とれてしまいます。南郭から入り、北郭に抜けて本丸に戻り東三の郭まで脚を伸ばしました。

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カルビン

麓の飼い猫だったそうで (2018/12/16 訪問)

土日遠征の最大の目的地・ついに備中松山城登城致しました。
前日黒井城から駅へ戻る途中で事前に高梁市観光案内所へ連絡し、翌日備中高梁駅から乗り合いタクシーにて8号目・ふいご峠まで(片道500円)運んで頂きました。

帰りのタクシー送迎時間まで80分くらいだった為、そこから寒い中急いで700mの登りを休みなしで進んだおかげで、大手門跡の絶景の所では息切れ・喉痛で失速orz

大手門で撮影しながら休みつつ本丸までの石垣祭りを進み、本丸の有料区間へ。
中では何やら人だかりが出来ていましたが、どうやら猫城主・さんじゅーろーをTV局が撮影に来ていたみたいで、一般の方々にかわるがわるさんじゅーろーが抱っこされていました。
・・・心なしか嫌そうに見えたのは気のせいでは無かったと思うww

さんじゅーろーは麓で飼われていたのが、天災(台風か何か)で驚いて山上に登ってしまったところを保護されたんだそうな。
飼い主に返してあげなかったのかな?とちょっと疑問w


天守はざっと見学し、その後裏手に回って二重櫓、後曲輪周辺、搦手門等を見学。
時間あれば更に奥の大松山城まで行きたかったですが、流石に時間足らず。。。

よくこんな険しく高い山上に石垣だけでなく天守まで築いたもんですよ。
間違いなく一見する価値はあります。

・・・しかし、高い所苦手な方には結構厳しいかもしれません(正直二度登るのは躊躇します(冷汗))
が、城下町見る時間なかったので、再訪した際には城下町メインで行きたいですね~

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チェブ

ふわふわのお城跡。 (2018/12/15 訪問)

「謙信一夜城」の後に「古屋城」に行きました。
一夜城が住宅街の公園でした。古屋城の近くに行くと建設中のお宅や区画整理されている地域だったので心配しました。
後で調べて分かったのですが、少しの間、発掘調査や公園整備の為、立ち入り禁止になっていたそうです。
入口には新しい看板がありました。
入城すると地面がふわふわ。これは落ち葉のせいか公園の配慮か、不明です。
「雲の上を歩いているみたい」なんて乙女な事を言いたいのですが、私「よたよた」しているようにしか見えないでしょう。
新しいお宅に若い家族が引っ越して来た時の為に 、「児童公園」を作ってください!
「古屋城」のふわふわ、子供たちは大好評だと思いますから!

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朝田 辰兵衛

巽櫓から臨む明石海峡大橋… (2017/08/28 訪問)

この距離が約400年と思うと,いろいろと考えたり…,まばたきひとつであっという間にも思えたりで…。

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はる

呪いの木

とある木を写真でとろうとしたら友達も私も二人とも携帯を落としました。


という話を友達から聞きました(笑)

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モト

堀や小口や土塁など、見所のある城跡です (2018/11/27 訪問)

小高い山の上にある腰越城です。
竪堀、横堀も見ることができ、珍しい囮小口も確認できました。
皆様の投稿にもあるように車は城跡の入り口の近くにあるセンターパトリエの広い駐車場に停めることができました。
入り口の看板を目印に登城を開始です。
山に入るとすぐに雰囲気のある柵のある入り口です。
そこからまっすぐ進む本格的に山の上へと続く階段がありますが、この階段にはなかなか息が切れました。

登り切っていよいよ城跡ですが、案内板や階段なども整備されていて見学しやすいようになっていました。
わかりやすい竪堀や横堀はもちろんのこと、囮小口などの所々のポイントも見過ごすことなく押さえることができました。
本郭やニノ郭などの構図や、それぞれの郭までの堀、それを仕切る竪堀など見所が満載です。

また、食い違い小口など、城跡の欲するポイントもありますが、その中でもなんといっても囮小口がいい!
一見普通の小口のように登るといやいや、罠です。
囮小口には騙されてしまいました。
なるほど、これは面白い。
当時は面白いでは済まされないでしょうけど。
わずかですが、石垣も見れてかなり満足な城跡でした。

中世城郭を確認する上では理解しやすい素晴らしい城跡ではないかと思います。

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todo94

続日本100名城スタンプ78個目 (2018/12/15 訪問)

スタンプ置き場所の嵐山史跡の博物館に嘗ては、国史跡・比企城館跡群の菅谷館、杉山城、小倉城、武蔵松山城のリーフレットが置いてありましたが、なくなっていました。小倉城の城内にはそのリーフレットがありましたが、菅谷館、杉山城のものはありません。もっと立派なパンフレットを作ったからなのでしょうね。博物館の企画展・越山~上杉謙信侵攻と関東の城、興味深く拝見させて頂きました。

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たかりん

二本松の松は二股と聞く。今度確かめに参る! (2018/06/16 訪問)

名作大河「独眼竜政宗」で政宗(渡辺謙)が二本松畠山氏の当主義継の面前でそのコウモリ外交を揶揄したセリフです。当主を継いだ直後でイキっていた居丈高な態度が悲劇を生むわけですが…。そんな二本松城、戊辰戦争では二本松少年隊の悲話が残るなど、歴史の表舞台にたつものの悲劇の城というイメージです。登城口に向かうと、まずは二本松少年隊の迫力ある銅像がお出迎え。そこから正面を眺めると左右に広がる高石垣の上に、二層隅櫓、櫓門、多聞櫓、土塀などが復元されており、このお城の「宣材写真」で使われる構図が広がっています。箕輪門をくぐって三の丸へ進むと二股どころではない立派な枝ぶりの松が何本もありました。山頂の本丸は徒歩でも行けますが、時間の都合で一旦戻り車で移動、対向車きたらアウトの狭い道を上ると駐車場に到着、歩くとすぐに展望が開けて迫力の本丸石垣が現れました。平成に入っての復元とのことで、最初は巨大な天守台のように見えましたが、石垣の上全体が本丸で天守台はその中にさらに積まれており、ほか複数の櫓台跡で構成されています。スゴイので必ず寄ってください。

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くろもり

祈恋 (2013/07/20 訪問)

春日山駅から徒歩で訪問しました。駅から大手口入口まで徒歩25分くらい。大手口から南三ノ丸屋敷跡、柿崎和泉守屋敷跡、景勝屋敷跡、井戸曲輪、実城(本丸)跡まで、写真とりまくっていたので1時間くらいかかったのですが、普通に歩けば25~30分程の道のりだと思います。多数の方は春日山神社の方から登城すると思うのであまり役に立たない情報かもしれませんが・・・

春日山城の麓にある林泉寺も上杉(長尾)氏以外にも、堀氏や榊原氏の墓等があるので、堀氏や榊原氏が好きな方なら訪れてよいと思います。私が訪れた時も堀氏の墓の前で熱心に手を合わせている一人の女性の方がいて、非常に印象に残っています。堀氏の墓は堀秀政・秀重・秀治のものは確認できました。

また、林泉寺にあった大槻磐渓(おおつきばんけい)翁の春日山懐古の漢詩も胸を打ちました。
江戸時代に既に謙信公を慕って春日山城へ来て往時を懐古する人がおり、自分も磐渓翁に遅れること100年以上経って、同じように春日山城と公を懐古している。なんとも不思議な感情になりました。

最後の写真は大正初期の春日山城の絵葉書です。昔、ヤフーオークションで落札しました。手持ちの中で一番古い春日山城の写真です。今見ることができる春日山城よりは公の時代には近いですが、本音は天正時代の春日山城を見てみたいです。タイムマシーンがあれば私が真っ先に見に行く城、それがここ春日山城です。

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朝田 辰兵衛

Oh!親愛なる日本人よ。 (2017/08/27 訪問)

城内では,セルフサービスによるビデオ放映がアリ。視聴していると,平気で前を通り過ぎる人の群れ…。残念なことに,日本人でした。アメリカ人と思しき方は,しっかり裏を廻っていたのに…。
運が悪いことというのは時として続くもので,月見櫓の画像を誤って削除してしまうという悲しい現実…。
おみやげは,敷島堂の“瀬戸内レモンサブレ”で。日持ちするし,フルーティーな岡山らしさが出ていることから。

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にのまる

石づくりの山城 (2018/12/15 訪問)

番場バス停から南に延びる宿場を進むと左手に鎌刃城入口(3㎞コースの44ガード)がありますが、そこはスルーしてまずはスタンプ置き場の源右衛門さんへ。
「どうか熊に会いませんように。パンパンッ!🙏🙏」の気持ちをこめてお賽銭箱のようなボックスにパンフレット代100円を投入しました。
源右衛門さんからさらに少し進んだ左手の民家の間の道を抜けると、2㎞コースの入口、43ガードです。都会派女子なので(←何を今さら…)、この標準コースを選択しました。
それほど急な山道ではありませんが、かと言って平坦なわけでもなく、結構距離があって、狭い崖っぷちもたまに通ります。それから、ダイナミックな倒木の先が突き刺すようにこっちに向いているのがマジやめてほしいと思ったのと、何か所か設置してあった大きな「熊よけ缶」が逆に怖かったのと…で、遺構群に到達するまでは楽しむ余裕は全くありませんでした。
ですが、突然大堀切が現れた時には脱力するくらいに感動っ☆彡
ここが山の上だとは俄かには信じられないくらいの石積み。500年以上前の戦国期の先駆的な大城郭跡を目の当たりにして、いろんなものが吹っ飛んでいきました(^O^)/
木組みの大櫓と物見台がありましたが上がっていいものかどうかわからず…万が一床板踏み抜いて破壊してしまったら歴史に名を残すことになってしまうかもしれないのでやめておきました。
西郭は私ごときが行ってはいけないところだと思ったので行かずに下山を始めたところで、第一城人発見!こんなところで人に会うと、会話もしたくなります。ハイカーさんではなくてお城巡りの静岡の方でした。
下りは、はじめは43ガードに戻るつもりだったのですが、途中の土橋のようなところの分岐に「←蓮華寺」と案内看板が出ていたので、ついそっちに曲がってしまいました。蓮華寺は宿場入口に近い方にあったので、もしかして抜け道?と思ってしまったのです。その道が3㎞コースだ(゚д゚)!と気づいた時にはもう遅い。仕方がないのでそのまま進み、とりあえず44ガードから脱出しました。
そして、改めて正面から蓮華寺へ。鎌刃城主土肥元頼の墓所があります。また、1333年に六波羅探題北条仲時ら430余名が自刃した地であり(知らなかったけど)、山の方に向かってたくさんの供養塔がありました。
いつか西郭に行けるくらい大人になったら( *´艸`)、青龍の滝にも行ってみたいです。

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増尾丸

上田城 (2018/11/06 訪問)

真田‼

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カルビン

朝駆け (2018/12/16 訪問)

ついに同じお城2度目の投稿をする事になりました(汗)
前回書いた時にはこんなに早く再訪するとは思ってなかったので(-ω-;)ゞ

前の投稿は夜間開催中の訪問でしたが、今度は早朝暗いうちの朝駆けしてきましたw


正直夜に訪問した事に満足したのは何だったんだ・・・と思える程、早朝見学して見ていなかったエリアが、思っていたレベルとは程遠く広かった事に愕然orz
個人的に特に素晴らしいと思ったのが、南側にある御殿跡から見る鉄門跡方面の石垣でした。

眠い中次の訪問地への移動前に朝駆けしてきて大正解でしたヽ(゚◇゚ )ノ


・・・しかしここで満足してしまい、小早川秀秋の菩提寺・瑞雲寺を訪問するのをすっかり忘れてしまったのですがw


岡山駅から岡山城に行くには路面電車(岡山電気軌道)で城下駅に下車するのがオススメです(片道100円なのでりーずなぼーw)

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