たくさんある日本三大稲荷の一つで岐阜県海津市にある「千代保稲荷神社(ちよほいなりじんじゃ)」地元では通称「おちょぼさん」に行った際に近くを通ったので訪れました。
車での訪問だったのですが、城址碑のある「城跡公園」の駐車場の情報がなかったので、近くまで行って駐車できる場所がなさそうなら諦めて通り過ぎようかと思っていましたが、城跡公園東側の南北に走る道の路肩が少し広くなっており、車通りも少ない道だったので(滞在時間6分で通過した車は1台でした)路肩に駐車させてもらいささっと散策しました。
「城跡公園」に城址碑と説明板、公園から南に100m程の所に水堀を復元した小さな公園があり、ここにも説明板がありました。「城跡公園」の北東の明誠高校が城跡と伝わりますが、現地の古地図を見ると「城跡公園」の真北が松平氏の居館があった場所のようです。
関ヶ原の合戦後、高須城には高須藩初代藩主・徳永寿昌(とくながながまさ)が5万石で入封し、後に小笠原氏、松平(尾張)氏と入封しました。
幕末の日本の歴史に大きく関わる「高須四兄弟」は高須藩松平家10代藩主の松平義建(まつだいらよしたつ)公の
次男・尾張藩14代・17代藩主 徳川義勝(とくがわよしかつ)公
五男・一橋徳川家10代当主 徳川茂徳(とくがわもちなが)公
七男・会津藩松平(保科)家9代藩主 松平容保(まつだいらかたもり)公
九男・桑名藩松平(久松)家4代藩主 松平定敬(まつだいらさだあき)公
後、23歳で早世してしまいましたが、三男・松平武成(まつだいらたけなり)公は石見浜田藩の松平(越智)家3代藩主です。
兄弟5人が殿様て凄い・・・さらに早世した三男・武成公以外はみな10万石以上の大名でした。
「高須四兄弟」と言っても、みんな江戸で生まれているので兄弟がここ高須で育ったわけではなさそうですが、幕末に思いを馳せるのが好きな方はここで会津や函館に心がリンクするのではないでしょうか。
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