下関に対応して「かみのせき」と言うこの町は、原発の建設が予定されている。賛成、反対双方の看板を見つけることができたが、町民は概ね賛成の様子。上関城は村上水軍ゆかりの城。歴史公園としてとてもきれいに整備されていた。村上水軍のテリトリーの西端に位置し、通行税徴収に当たっていた城とのこと。陶晴賢の攻撃を受け、陶氏の城となっている。
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2018/04/05 20:14
かみのせき (2012/01/28 訪問)
下関に対応して「かみのせき」と言うこの町は、原発の建設が予定されている。賛成、反対双方の看板を見つけることができたが、町民は概ね賛成の様子。上関城は村上水軍ゆかりの城。歴史公園としてとてもきれいに整備されていた。村上水軍のテリトリーの西端に位置し、通行税徴収に当たっていた城とのこと。陶晴賢の攻撃を受け、陶氏の城となっている。
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2018/04/05 06:48
陶晴賢 (2012/01/28 訪問)
主君・大内氏の領国を奪い後に毛利元就に厳島にて破れる戦国の梟雄・陶晴賢の居城。山城ではあるが、二の丸三の丸まで車で乗りつけることができるので攻城は楽である。世間一般の陶晴賢のイメージはあまりよろしくないと思うのだが、地元の皆さんには英雄として愛されていることがよくわかった。城もきれいに整っていて大切にされていることが伝わってくる。本丸から、西の丸、蔵屋敷跡まで一通り足を伸ばし、本丸下の畝状竪堀もしっかりと拝んできた。本丸からの眺望も素晴らしいのだが、曇天の下では瀬戸内の島々は霞んでしまっている。
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2018/04/05 06:42
三大夜景のついでに (2012/02/11 訪問)
て腱を痛めてしまい、下りがつらくてならない。痛みに耐えて山を下り市バスで摩耶山に向かった。ロープウェー虹の駅あたりが摩耶山城なのだそうだが、城の遺構ははっきりとはわからなかった。細い道を辿って西曲輪の主郭にはたどり着けたのではないかと思う。メインの登山道に戻って旧天上寺の仁王門まで足を伸ばしてからロープウェー駅まで戻り、掬星台にのぼった。
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2018/04/05 06:37
新神戸駅からなら近いのに (2012/02/11 訪問)
うろこの家の裏手を通る遊歩道から滝山城を目指すと途中に「城山」の表示。滝山城のことに違いないと思って歩を進めたが一向に城に辿り着く気配がない。何度も心が折れそうになったが、頂上付近で滝山城の行き先表示を漸く見つけることができた。残石もかなり見かけたが、大規模な堀切は見応えがあった。
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2018/04/05 06:31
模擬石垣 (2012/02/11 訪問)
信長に離反した荒木村重がまず入ったのが花隈城。模擬の石垣の中は駐車場になっている。山陽本線の車窓から初めてこの城の石垣を見つけたときには色めき立ったものだが残念なことだ。
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2018/04/04 23:38
2018/04/04 23:31
2018/04/04 23:23
2018/04/04 19:47
大河ドラマ「平清盛」 (2012/02/11 訪問)
清盛塚から歩いてすぐの地に兵庫城の城址碑がある。荒木村重の花隈城を廃して池田恒興が築城した城だが、城地は運河となってしまって遺構は全く残らない。清盛くんというキャラクターの像が橋の袂に立っていた。
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2018/04/04 19:38
南郷城音頭 (2012/02/26 訪問)
山頂の本丸には南郷城音頭の歌詞が記された立て札が建っていた。城からの絶景を歌った歌だが、天気予報とはほど遠い曇天では眺望を十分に堪能するというわけにはいかなかった。
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2018/04/04 19:34
飯野城の支城 (2012/02/25 訪問)
飯野城の支城で木崎原の戦いの発端ともなった城である。軽自動車でないと困難というクランクをクリアして竃門神社のある本丸まで車で乗りつけた。
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2018/04/04 19:28
六地蔵塔 (2012/02/25 訪問)
飯野城は島津義弘の居城。公園として整備されているのは本丸周りだけで立ち入り困難な二の丸、三の丸も入れるとかなり規模の大きな城である。伊藤氏と島津義弘が戦った木崎原古戦場跡には石碑と島津義弘が建てたという六地蔵塔があった。島津義弘は激戦の地には戦没者を悼む六地蔵塔を建てているとのこと。
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2018/04/04 13:02
満開の桜 (2018/04/01 訪問)
本数は少ないが桜は満開だった。
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2018/04/04 12:54
遺構はない (2007/04/10 訪問)
興福寺の門跡寺院大乗院の境内の一部になり現在は奈良の一流ホテルの奈良ホテルの敷地になっている。ホテルのティーラウンジで珈琲をいただいた。
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2018/04/04 06:12
堀 (2012/02/25 訪問)
日本歴史地図帳に載っていた小林城の登城口が目に付いたので立ち寄っていくことにした。島津の大軍に攻められながらなんとか持ちこたえた伊東祐義築城の堅城であるが、堀が死体で埋まるほどの激戦だったとのこと。その空堀は今、朽ちた竹で満たされている。
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2018/04/04 05:27
模擬天守 (2012/02/25 訪問)
模擬天守であるので「あやしい天守閣」という本にもしっかりと取り上げられている綾城であるが、中世の望楼風の模擬天守は異彩を放っている。城郭研究者の故井上宗和氏による畢生の大作である。築山に雛人形をちりばめた雛山が綾城にも展示されていたのでちょこっと覗いていった。
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2018/04/04 05:15
古事記編纂1300年 (2012/02/25 訪問)
伊東氏が佐土原城から移った城・宮崎城にはさほど期待していなかったのだが、これが中々の城。南九州に多い群郭式の城だからさほどの登山はないだろうと思っていたが、結構な山城でしっかりと汗をかいてしまった。それぞれの郭を城と呼ぶのは南九州の群郭式の城の特徴である。
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2018/04/04 05:10
濱口梧陵ゆかりの地へ行く前に (2012/03/11 訪問)
和歌山県下の中世山城の中ではその規模と遺構の残存度で随一のものとの説明が記されていたが、全く同感である。攻城後は、「稲むらの火」の浜口梧陵ゆかりの地をめぐって日帰りドライブの締めとした。14:46のサイレンは車中で聴く。
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2018/04/04 00:20
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