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勝野武士

賤ヶ岳の麓の酒蔵。

江戸時代の蔵で今でも仕込みをしているという『冨田酒造』。
ここの銘柄の一つが、その名も『七本鎗』。
大吟醸は特に口当たりが良くて柔らかく、それでいて程良くキリッとしていて呑みやすいです。
ラベルの書体はなんと、あの北大路魯山人の手になるもの。なんでもここはゆかりの深い酒蔵なんだとか。
魯山人が愛した昔ながらのお酒、是非。

ちなみに木之本駅周辺だと、『菓匠 禄兵衛』の丁稚羊羹。竹の皮に包まれた、上品な甘さで美味ですよ。
あと、『つるやパン』のご存知(?)サラダパン。真ん中を縦に割ったコッペパンに沢庵を細かく刻んでマヨネーズで和えたものを挟んでます。…好き嫌いがはっきり別れそうですが(笑)、程良い塩気と沢庵×マヨネーズ×パンが意外に好相性で、僕はドハマりというか大好きです(笑)。

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todo94

3度目の日本100名城スタンプラリー83個目 (2018/10/20 訪問)

これが5度目の徳島城。とりあえず徳島城博物館にてスタンプを捺し、展示をさらっと拝見してから歩いて献血ルームアミコに向かった。700回目の節目の献血を完了してから徳島城に舞い戻る。9年前の阿波おどり翌日以来、2度目の本丸踏破。東二の丸経由で登り西二の丸経由で下城した。緑泥片岩の石垣が特徴的な徳島城だが、海峡の対岸の和歌山城にも見られる。

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勝野武士

長浜観光のあとには是非。

北国街道から少し逸れますが、『茂美志屋』というお店があります。
こちらでいただける長浜の郷土料理として『のっぺいうどん』という、具だくさんのとろみのついたうどんがあります。寒い時期には特にオススメですよ。
あとはビワマスの刺身も絶品です。

ちなみに、長浜はうなぎ屋さんが点在しています。
お金に余裕できたら行ってみたい…!

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名張藤堂家の居館 (2018/10/13 訪問)

1585年に豊臣秀吉の命で筒井定次が伊賀上野20万石へ移ると、定次は伊賀上野城を築き、家臣の松倉勝重に名張8000石を与えて名張城を築かせました!
勝重は城の完成を待たずに亡くなり、嫡男重政が家督と築城事業を引き継いだが、重政は定次と衝突し、筒井氏のもとを去っていった!
その後、名張城に城代として桃ヶ谷国仲が入った!
しかしながら、1608年に筒井氏は所領を没収され、国仲もここを去っていった!
筒井氏に代わって、伊勢・伊賀22万石を与えられた藤堂高虎は、家臣の梅原武政を名張城代に任命しました!
しかし、武政は失政続きで1617年に解任され、高虎の異母弟で伊賀上野城代の高清の支配となりました!
一方、丹羽長秀の三男として生まれ、豊臣秀長の養子を経て、高虎の養子に入った藤堂高吉は、高虎の後継者と思われておりましたが、1601年に実子の高次が誕生したことで高虎との関係が悪化しました!
高虎が伊勢・伊賀に移ったのに伴い、高吉は伊予今治2万石を与えられたが、1636年に高吉は伊勢・伊賀名張2万石へ移されました!
高吉は廃城となっていた名張城に殿館を築き、名張陣屋と言った!
高吉の子孫である藤堂宮内家は独立した大名ではなく、藤堂本家の藩内領主という扱いでした!
これを不服として、享保年間には本家からの独立を幕府に働きかけたが失敗して、結局、藩内領主のまま幕末まで存続しました!
高吉の実兄である丹羽長重、そして育ての親である藤堂高虎は、いずれも築城名人として名高い!
名張陣屋の遺構は、名張藤堂家邸跡や移築された太鼓門などが現存されています!

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小城小次郎

龍岡城

幕末のどさくさに築城された「日本にふたつ」の五稜郭。お城というにはあまりにも小さいそのフォルムと、未完成のまま役割を終えた歴史とが、むしろ滑稽でさえある。

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にのまる

谷村城の詰め城 (2018/10/21 訪問)

谷村城とは桂川を挟んで対岸に位置しており、現役の頃は橋で繋がっていたのだそうです。
登城口はあまり危険な感じはしませんでした。すぐに内堀がありますが、倒木と笹薮で奥まで行くことは叶いませんでした。
三の丸、二の丸、帯曲輪を通って順調に本丸に到達。東照宮が建っていたのは天領だったからでしょうか。
本丸から先が見どころ満載のはずなのですが、乗り越え難い巨大な倒木と潜り難い草薮にあえなく撤退。中途半端な城攻めになってしまいました。
これから行かれる方は、私の草ばっかりの写真ではなく、dougenさんやじゅんじんさんの遺構がバッチリの美肌写真が絶対にいいのでそちらを参考になさってください!
標高があまりないせいか、富士山は頭をのぞかせていただけでした。「富士山見るなら我が城、岩殿へ!」という小山田信茂の声が聞こえてきましたが……その手に乗るか!!勝頼くんと同じ轍は踏まないっ!一回行ったから岩殿はもういいっ(´༎ຶོρ༎ຶོ`)

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オチョ

鹿だらけの海城 (2015/09/26 訪問)

鹿島は北条港の目と鼻の先にあり、渡船であっという間に渡ることができます。
島の大部分を占める小山に主郭があり所々に僅かながら石垣が残り、公園化されて分かりづらい部分はありますがいくつかの曲輪も残っております。
四国勢で唯一明治維新まで大名として生き残った来島村上氏の四国征伐後の居城ですが、今は鹿島の名前の通り鹿の居城と化しています(笑)

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カルビン

そこへ至る道も、山登りも大変 (2015/05/30 訪問)

先日upしました勝間田城以上に登城口が茶畑パーティな花倉城
こういうシチュエーションを味わうと、バイクで登城される方がとても羨ましく思えます(道が狭くても大丈夫だし、駐車スペースに困らなさそうですし・・・でもバイクはバイクで苦労する事多いんだろうなぁ)

さて、花倉城は今川義元兄弟の家長争いの場な訳ですが・・・公家のような成りをしていたとされるひ弱なイメージの義元さんには登城するのに体力持つのか?ってくらいなかなかの登山が待ってまして・・・(汗)

メタボで高所恐怖症な自分に至っては体力もメンタルも疲弊する事にorz


遺構は入口の土橋の先は主郭附近に集中していると思われますが、主郭から先に続く道には遺構は見受けられませんでしたので、それほど大きな規模では無いのかもしれません
(道中の登りの大変さと高所でそわそわしていた為に気が付かなかったのかもしれませんが・・・)


麓の新東名高速沿いにある長慶寺に太原雪斎と今川泰範(義元の先祖)のお墓があるので、セット訪問推奨です

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todo94

続日本100名城スタンプ59個目 (2018/10/20 訪問)

9年前、阿波おどりを見た翌日に訪れた時は、見性寺周りの濠と矢竹や説明板をチェックしただけだった。グーグルマップにもここが勝瑞城跡として表示されているから。今回は発掘調査されている館跡がメイン。枯山水庭園跡はかなりしょぼいけど濠跡の規模はなかなかのものである。発掘・調査・整備が更に進んでいくことが期待される。なお、土日のスタンプ置き場のガソリンスタンドは最寄りのエネオスでは無くちょっと離れた昭和シェル石油なので、ご注意を。

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チェブ

続100名城効果?真田丸効果? (2018/05/05 訪問)

群馬県の続100名城を沼田城→名胡桃城→岩櫃城の順番で回りました。
スタンプ帳を持っている方が同じように回っているらしく同じ方に何回もお見掛けして笑ってしまいました。
見学して思ったのですが整備が新しいので、なんか違和感…。
5~8年位前に行った時は草ボーボーで入れなかったりしたお城も名城に選ばれて整備させているようですね。
私は草刈り程度していただいて、あとは そのままにしてくれた方が いいな。想像力は無限大ですからね。
でも、愚痴ったわりに、いただいたクリアファイルは大切に使ってまーす!

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オチョ

予想外の遺構の良さでした (2015/09/26 訪問)

松山市野外活動センターから横山城へのハイキングコースがあります。
ハイキングコースに入るとすぐに人一人分の土橋のついた堀切が現れ、その後も何重にも連続して堀切が造られておりこれだけでもかなり圧巻です。
数条の堀切を抜けると曲輪下の斜面沿いの道や急な尾根道を越えると主郭部に到達でき、主郭部は天然の巨石が多く聳えています。
この城のもう一つの見所がこの巨石で、上に登ると多数の柱穴が残っており、貯水用の穴が空いた巨石も二箇所確認できます。
僅かながら石積みの名残のようなものや礎石遺構も確認できるなど非常に見所が多く、規模の差はありますが苗木城にも似た雰囲気を感じることができます。
何故かあまり有名な城ではありませんがかなり独特な造りで特に堀切好きな方、柱穴好きな方にはとてもオススメの城です。

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朝田 辰兵衛

現在の白山神社&白山公園一帯。 (2018/10/24 訪問)

新潟城の存在そのものを証明する資料は,岡山大学の「池田家文庫」に絵図が現存しているが,新潟城の所在は不明とのこと。現在の白山神社&白山公園一帯が推定地とされています(←Wikipediaより)。
1872年(明治5年)に白山神社境内を新潟遊園として,第2代新潟県令楠本正隆が整備工事を開始。
現存する白山神社も1873年(明治6年)ごろの創建とされています。
その沿革資料が白山公園南部に位置する,新潟県政記念館(旧新潟県会議事堂)に展示されています。
入館は無料なので,まずここをチェックしてから散策することをドススメします。
現在の状況を城郭に当てはめれば,以下のようになると思います(あくまでも個人的所感)。
・大手門…白山神社鳥居(←古町通の起点となっているため)
・本丸…美由岐賀岡(←楠本正隆像&新潟遊園碑が建立されているため)
・本丸庭園&茶処…蓮池&燕喜館(←燕喜館は斎藤喜十郎家の邸宅の一部を移築再建し,現在も茶を振る舞っているため)
・本丸御殿…白山神社(←これは異論ないでしょう)
・城主居館…新潟県政記念館(←これも異論ないでしょう)
・二の丸…信濃川側空中庭園(←再建土塁に見えちゃう)
以上が散策レポートです。
遺構消滅,推定地,再建造物ナシって,最難関の城といえます。

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オダリン

大分駅から徒歩で (2010/09/29 訪問)

大好きな石垣と水堀があって隅櫓が白壁の塀で結ばれているこれが城という雰囲気であるが、ここは宗門櫓と人質櫓が現存しているが他の隅櫓が復元されているがそれに対しての案内表示が少ない。もっとPRをすべきである。

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chacha

見えませんでした (2017/09/17 訪問)

お天気が良くて澄み切ってる時は、天守から富士山が見えます。2013年の春に行った時は霞で見えず。今回は曇って見えませんでした(笑)2年前12月は見えたのですがね。

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dougen

2015.9.3登城 (2015/09/03 訪問)

家族旅行で軽井沢に行った際に立ち寄りました。
前回は雨でゆっくり散策できなかったのですが、改めて城址を歩くと小諸城の要害っぷりを改めて感じることができました。
ただし、家族旅行だと城址の隅々までゆっくりと散策できないのが残念です。

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dougen

2015.3.8登城 (2015/03/08 訪問)

ロワジールホテル那覇のすぐ裏に三重城址があります。
往時のままでは無いと思われますが、石垣があり、主郭は広場と神社があります。
現在も港に面しており、往時も那覇港を守る重要な拠点だったことを伺うことができます。

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へいくろう

石垣山城の後に訪問 (2018/10/21 訪問)

石垣山城の後に午後から訪問。
このお城はこれで2回目です。
早川駅から小田原漁港を回り小田原城へ。
なので反対側の報徳二宮神社→天守閣→常磐木門→銅門→馬出門と逆回り。
天守閣はこども遊園地側から見るのも良い感じ。
そして以前から気になっていた外郎なるものを確認するために、ういろう博物館へお立ち寄り。
ういろうって名古屋も有名かと思いますが、小田原のも美味しいですね (^o^)
この後は小田原城のボランティアガイドさんに聞いた 総構 の遺構を見に行きました。
小峯御鐘ノ台大掘切まで歩いて20分~30分。
圧巻でした。
中を歩くことができて更に嬉しかった。
石垣山城、小田原城、総構、一日で全て回れたことがまた良かったです (*^^*)

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朝田 辰兵衛

6段石垣前のポールが… (2016/08/27 訪問)

6段石垣前のポールが残念でなりません。「以前はなかったハズ」と(他のサイトで)どなたかがおっしゃってました。しかし,イイものはイイですネ!あらゆる角度からいろいろな顔を振りまいてくれます。大勢の方が雨に見舞われたとのことですが,私も約2年前にゲリラ豪雨に見舞われながら岩村駅から徒歩で登城しました。城下町をゆっくり散策している余裕もなかったですが,しっかりと岩村名物“カステーラ”を購入しました。

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お市と三姉妹のゆかりの地 (2018/10/13 訪問)

伊勢上野城は、織田信長の弟の織田信包が津城の仮城として、1570年に分部光嘉に命じて築城しました!
当初は信包の居城であったが1580年に津城が完成すると、信包は津城に移り、分部光嘉が城主となりました!
城の本曲輪は四方を土塁に囲まれた方形の曲輪で、北隅には櫓台や虎口が残されています!
二曲輪は、幅約20mの堀切で防備されています!
また、この城は信長なによって攻められ浅井長政が自害した後、信長の計らいでお市と三姉妹が移り住んだ城なんです!
お江は、0歳から7歳までこの地で過ごしました!
その後に廃城になり、後に津城の藩主となる藤堂高虎により取り壊されました!
現在は、城郭の跡のみが残っています!
標高38mの伊勢街道沿いの台地に造られたこの城からは、伊勢湾や鈴鹿連峰が一望出来、展望台となった今でも当時を偲ぶことが出来るので有ります!


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chacha

関ヶ原の戦いの三成 (2018/10/08 訪問)

三成がここから関ヶ原の戦いに……
関ヶ原の戦いのDVDが楽しめました。30分かかるので時間にゆとりが必要ですね。

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