御無沙汰しておりますm(_ _)m
暫く諸事情によりお城づいておりませんでしたが、なんとか時間が取れたので、とりあえず近場で(というほど近場でもないのですが)久し振りに訪れてみました。
ここは舞子砲台跡とも呼ばれていますが、正式には国史跡『明石藩舞子台場跡』となっております。
時は幕末、文久三年(1863)幕命により外国船に対する備えとして勝安房守(海舟)の指導の元、明石藩によって約2年かけて築造されました。
ここから明石海峡を挟んで対岸(淡路島)の徳島藩松帆台場とで外国船を挟撃するという、「何としても大坂には向かわすまいぞ!」と固い意志を感じる程の鉄壁の守備体制を誇っていました。
しかし幸か不幸か、一度も使用されることなく明治を迎え、明治の末頃に火災に遭って以降、上側4m程を崩されてしまいました。
元々は約10mほどの高さを誇る『総石垣造の台場』だったそうで、現在は海面より約6m分が残っており、全体の東側約4割程が地下保存、今我々が見ることが出来るのは全体約5~6割ぐらいの下半分の石垣です。
通常、上側は大砲を撃ったときの衝撃を軽減するために土塁を築くのですが、何故かこの舞子台場だけは『総石垣』なのです。これは全国的にみても非常に珍しいそうです。
今も昔も明石海峡は交通の要衝であり、今は外国船ならぬフェリーや漁船などが行き交っていますが、現地に立って対岸の淡路島をみて、たまたま来たフェリーを外国船に見立ててみると、非常に緊迫した情勢を感じ取ることができます。
明石海峡を行く船にしてみれば、物々しい雰囲気に恐怖すら感じたことでしょう。
対岸にあるという松帆台場跡も、俄然行ってみたくなりましたね。
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