唐沢山神社の境内です。神様だけでなく、神社の方々がお住まいです。堀切に浄水装置があったりしますが、仕方がありませんね。よく保存していただいていることに感謝しつつ、失礼にならないように見て回りたいものです。
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2018/10/26 22:12
人の住む城 (2018/10/21 訪問)
唐沢山神社の境内です。神様だけでなく、神社の方々がお住まいです。堀切に浄水装置があったりしますが、仕方がありませんね。よく保存していただいていることに感謝しつつ、失礼にならないように見て回りたいものです。
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2018/10/26 21:46
思っていた以上にすばらしい城址です (2018/10/21 訪問)
バスツアー2日目は長篠城へ。
ガイドさんの案内で遺構をめぐります。
長篠といえば「長篠の戦」が有名ですが、
実際の戦場は設楽原。
地元では「長篠・設楽原の戦」と言うそうです。
広大な本丸もすばらしいですが、
本丸と二の丸の間の空堀は
「まっこと(本当に)見事!」でした。
JR飯田線に分断されながらも
よくぞ残してくれたものです。
ちなみに、
長篠・設楽原の戦に敗れた武田氏は
やがて滅亡するというのが定説ですが、
武田勝頼が土佐へ落ち延びたという伝説が
高知県にはあります。
武田勝頼の墓と言われている墓が高知県仁淀川町にあり、
不思議な縁を感じました。
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2018/10/26 20:05
2018/10/26 19:47
観光地・修善寺の近く (2014/08/24 訪問)
信長から謙信に送られた、あの洛中洛外図屏風を描いた狩野永徳と血縁関係にあったとされる狩野氏の拠点となったお城
狩野城は狩野氏が足利茶々丸を擁護していた為、伊勢新九郎:後の後北条家初代当主・早雲に落城させられてしまいます
お城は東西に長く、南は山の斜面がキツイものの、北側が全体的に防御力薄い感じがします
実際登城口は北側にありますので
遺構は中心部にある主郭を軸に堀・土塁等が中央に集中しておりました
ちょっと風化で鋭さに欠けるところはありましたが、そんなにガッカリする程では無いかと
主郭まではそこそこの登りになってましたが、それ程急坂は無いので、かなり散策しやすいお城と言えるでしょう
自分降りてきた際、サンダル履きのオバチャンが「この格好で頻繁にここ登ってるよ~」って言ってましたし・・・良いのか?(汗)
公共交通機関での訪問は難しいですし、広い無料駐車場あるので車での訪問推奨ですが・・・修善寺といえば有名な観光地で、時間帯・訪問時期によっては大渋滞します(自分も週末の渋滞にハマった)ので、朝一での訪問等、時間をずらされた方が良さそうです
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2018/10/26 18:55
9/13の・・・土曜日 (2014/09/13 訪問)
2014年の9月13日は残念ながら土曜日w
その為ジェイ〇ンには襲われる事はありませんでした・・・が、ちょっとしたアクシデントに見舞われました(汗)
場所は滝山城からほど近い場所にある高月城
現在は案内があるようですが、当時は場所がはっきりと解らず、目印の潰れた●ブホテルを目標に登城しました
(丁度建物に入る道の目の前に登城口があった)
現在は案内がある代わりに城域に入れなくなってしまったようですね(案内の意味無いですね、それ)
ま、お城見学者ではない人間も含めて当時からゴミを捨てる人(特に粗大ゴミ)が多かったようで、周囲が散乱していた為、土地の所有者様も迷惑していたんだと思いますので仕方がないですが・・・ちょっと勿体ないです
ちなみに最奥の主郭と思われる郭にある田畑までの道以外は整備されていなかった為、入口付近の土塁以外は藪のせいで堀とか見辛いものになっていた為、そんなにそそられるお城ではありませんでした
(他には虎口とか井戸跡と思われる場所くらいか)
帰りにはジェ〇ソンならぬ、虫に顔面を襲われました(たぶんバッタかとw)
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2018/10/26 17:28
2018/10/26 17:23
三木城包囲網の付城の一つ。 (2018/10/26 訪問)
平成25年に国史跡に指定された『三木城跡及び付城跡・土塁』のうちの一つ。
羽柴秀吉による三木城攻めの際、三木城の南方に毛利軍による魚住城から三木城への兵糧や物資の補給を絶つために付城を何カ所も築き、それらを二重~四重の土塁でつないだものです。この大塚城はその付城のひとつです。
前々から気になっていたのですが、本日ようやく訪れることができました。
何回か蜘蛛の巣のトラップにかかったり木々が多く薄暗かったり蚊にめっちゃかまれたりしましたが、下草が刈られ、見学しやすかったです。
で、遺構ですが、これがかなりしっかり残っていましたよ。
まず、『大塚城』の名が示すように古墳を利用したであろう痕跡が随所にみられました。主郭の土塁は周濠の堰堤部に手を加えたようで、中央部は円墳っぽい。ここはどうやら物見台として利用したのでしょうか。
それだけでなく、外枡形らしき土塁の形状やら横矢掛を何カ所も見受けられました。
いかにも織豊期の陣城って感じで興奮しました(笑)。
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2018/10/26 06:46
3階建ての塔 (2018/10/21 訪問)
夷山緑地の後背の小丘が夷山城。殉国平和の塔の右脇が登城路かと思ったが進むことはできなかった。山の周りを一周してみたが、登城路を見つけることはできなかった。一見、城郭風建築物に見える3階建ての塔があったが、あれは何なのだろう。
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2018/10/26 00:16
2018/10/25 23:21
秀吉と家康の天守台 (2018/10/20 訪問)
駿府城天守台の発掘調査で見つかった豊臣秀吉が家臣の中村一氏に築かせたと考えられる天守台の一般公開があったので見学してきました(静岡旅行の日程に一般公開の日10/20・10/21が後追いで重なってラッキーでした)。
家康さんの像のすぐ西側、駿府城の天守台の南東部に秀吉時代の天守台があったようです。
現地でもらった資料によると秀吉時代の天守台全てが家康時代の天守台の下になったわけではないように見えます。
南東部は突き出ていたようですので、秀吉時代と家康時代の天守台両方を復元して同時に見られる・・・なんてことも将来あり得るかもしれません。
何より嬉しかったのは平成31年度は天守台の内側を掘り下げて今川時代の遺構を調査するとのこと。今川義元公や氏真公時代の遺構が何かしら見つかる事を心待ちにしています。
※秀吉時代の天守台と発掘作業で見つかった金箔瓦の一般公開は11月22日(木)からの予定だそうです。
写真1枚目・・・家康時代と秀吉時代の石垣。手前が家康時代、奥が秀吉時代(西から)。
写真2枚目・・・金箔瓦の展示予定の案内。
写真3枚目・・・家康公お手植えのミカン。まだまだ緑色。
写真4枚目・・・駿府城の南西にある四足門跡の石垣。
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2018/10/25 22:08
鮫ヶ尾城
悲劇の美武将・上杉景虎が最期を遂げたこのお城は、なるほど景虎が頼りたくなるくらい頼りがいのある堅城だった。
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2018/10/25 21:17
石碑の周りは「ぎんなん」だらけ… (2018/10/21 訪問)
名鉄豊田市駅から自転車で10分ほど。
矢作川沿いの閑静な住宅街にあります。
訪れたのは日曜日の朝6時半頃…
公園内にある「マムシに注意!」の看板と
東隣の新興住宅地住民の方々から
不審者と間違われないだろうかと
少々ビビりましたが、
城内(公園内)に突入しました。
石碑(写真2)近くには大きな銀杏の木があり、
一歩踏み出すたびに
路面に落ちた完熟「ぎんなん」の臭いが襲いかかります。
これといった遺構はありませんが、
書院跡の礎石、城址西側の土塁が
ありし日の寺部城を思い起こさせます。
また、城址南西にはかつての城主を祀る
「守綱神社」があります。
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2018/10/25 21:10
津軽為信“最後の居城” (2018/10/25 訪問)
土塁がカッコいい、ナイスな城跡。
岩木山も望めます。
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2018/10/25 20:56
津軽氏の城 (2018/10/25 訪問)
石垣の大規模な修復工事の為、本丸の中央に移動の天守。
そのおかげで、天守と岩木山が一緒に写せました。
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2018/10/25 20:22
どこもかしこも秀吉に潰された! (2018/10/21 訪問)
八王子の陣馬街道を下って行くと、山城が沢山ありそうな雰囲気になります。
浄福寺城は北条 氏照が続100名城の滝山城に移る前に本拠地にしていたそうです。
立派な山城です!
が、坂(?) 壁(?)登れません。素人の私は怪我するに決まってます!だから、見上げて来ました。
帰って来て気が付きましたが植物の種?が、身体中に付いてました。草もボーボーです!
私の行動範囲はだいたい北条氏の城跡が多いのですが、秀吉さんの小田原征伐で、どこもかしこも、やっつけられてます。
あと何回、説明板の「小田原征伐で廃城」の文を読むんだろうっと思います。
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2018/10/25 20:19
信濃岡城です (2015/05/01 訪問)
日本100名城になっている大分県ではなく、埼玉県朝霞にある岡城でもなく、長野県の上田原古戦場に近い場所にある岡城です
(他にも岡城はありそうですな)
こちら信濃岡城は開発によって残された城域はかなり縮小されているものの、主郭とそれに沿ったに大きな堀が残されておりました
ここだけを見学しに遠くから来るのはちょっと勿体ない感じがしますが、他に近場に塩田城、上田原古戦場(板垣信方墓等)、上田城、真田郷城群等々が存在し、更に真田氏関連人物の菩提寺が複数・ごんべの墓・ちょっと足を延ばして村上氏関連史跡も見られるので、上田駅を拠点にじっくりと見学したいところです
やはり車での訪問が便利ですが、岡城に関しては駐車場がなく、城脇の1台分開いていた駐車スペースに無理やり止めてダッシュで散策したのでご注意下さい
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2018/10/25 17:50
2018/10/25 12:25
素晴らしい空堀と土塁に引き込まれます (2018/10/16 訪問)
入り口から土塁が見えて早くも期待が膨らみます。
土塁を眺めながら進むとすぐに深い空堀が出てきます。
この城跡を囲んでいる空堀が見事なんです。
深いし、畝ってますしこれには思わずにやけてしまいました。
郭への入り口にある土橋も雰囲気があります。
郭も土塁に囲まれており、これぞ城跡だと誰もがわかる感じです。
まとまっていて、なかなか見応えのある城跡です。
寄ったら満足のぜひぜひオススメしたい城跡です。
きっとご満足いただけますよ。
駐車場も完備されてますし、ある程度の場所をナビでセットすれば近くまでくるとメインの道にも道案内があるので行きやすいと思います。
追伸
この時期は近くにあります、ひたちなか海浜公園のコキアもきれいでした。
10枚目の写真に載せてみました。
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2018/10/25 07:44
城下に残る遺構と、姫路藩家老ゆかりの和菓子。
何度行っても新しい発見があって飽きない世界的名城。
姫路城西側にある好古園は西御屋敷跡(藩主榊原政岑が吉原で高尾太夫を身請けしここに住まわせたとか。ちなみにこれら一連の派手な暮らしっぷりに徳川吉宗がキレて、結果大幅減封され越後高田に移封されちゃいました…)と周辺の武家屋敷の町割りを再現し、それぞれが美しい庭園となっております。庭園越しにみる姫路城、格別ですよ。
国道二号線沿いはかつての中堀跡。今でも腰巻き土塁や門跡の石垣が残っていて、城の厳重な守りをここでも感じることができます。散策するにはかなり範囲が広いので、お時間に余裕があれば是非。
ちなみに、姫路駅あたりはかつて姫路城総構の外堀と南の入り口だった飾磨門があったところ。ここは残念ながら何も残っていません。
お土産にオススメなのは西二階町にある『伊勢屋本店』にある『玉椿』という上生菓子。
柔らかく赤い求肥餅の中に黄餡を包んだ、見た目はシンプルながらも美しく、そして上品な甘さで、僕にとって世界一大好きなお菓子かも(笑)。
実はこれ、江戸中期に木綿で藩財政を立て直した家老河合寸翁が作らせ、命名したのだとか。寸翁は茶の湯の心得もあったのですね。
まさに、地元を代表する銘菓です。
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2018/10/25 07:04
賤ヶ岳の麓の酒蔵。
江戸時代の蔵で今でも仕込みをしているという『冨田酒造』。
ここの銘柄の一つが、その名も『七本鎗』。
大吟醸は特に口当たりが良くて柔らかく、それでいて程良くキリッとしていて呑みやすいです。
ラベルの書体はなんと、あの北大路魯山人の手になるもの。なんでもここはゆかりの深い酒蔵なんだとか。
魯山人が愛した昔ながらのお酒、是非。
ちなみに木之本駅周辺だと、『菓匠 禄兵衛』の丁稚羊羹。竹の皮に包まれた、上品な甘さで美味ですよ。
あと、『つるやパン』のご存知(?)サラダパン。真ん中を縦に割ったコッペパンに沢庵を細かく刻んでマヨネーズで和えたものを挟んでます。…好き嫌いがはっきり別れそうですが(笑)、程良い塩気と沢庵×マヨネーズ×パンが意外に好相性で、僕はドハマりというか大好きです(笑)。
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