加治木城は日本で初めて鉄砲が実戦で使われたとされる加治木城の戦いの舞台です。鉄砲伝来から6年後の1549年のことで、種子島の領主・種子島時尭から鉄砲を贈られた島津軍が使用したそうです。
加治木城は、比高70~80m程のシラス台地上に築かれ、各曲輪を堀切で区切った連郭式の縄張りの城でした。切岸や曲輪跡等ははっきりと分かるのですが、手入れがされていないので、散策は少し苦労しました。本丸跡は私有地、西ノ丸の方へ向かうと「ザボン畑」になっていたので散策を諦めました。
車での訪問の場合、県道から長い坂を登った所に車一台分のスペースがあり、そこに縄張図もありました。
城びとさんに未登録ですが、加治木高校に加治木館跡があり、こちらが「鬼島津」と恐れられた島津義弘公が晩年を過ごした所と伝わります。石垣があるのですが、亀甲積みなのに石に穴がぼこぼこあいた軽石のような素材なので、ちょっと不思議な感じがしました。
1~5枚目が加治木城、6~9枚目が加治木館の写真です。
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