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勝野武士

三田市内に残る伝承の門。 (2018/10/31 訪問)

三田市内、九鬼家の菩提寺である心月院に、湯山御殿から移築されたと伝わる門が残っています。
全体的に堂々としていて、デザインはシンプルながらも梁の上部に菱形に組まれた建具が、豪壮な中にも軽やかなエッセンスを加えていて、カッコいい門です。
梁や柱も太くて、とても立派です。
三田陣屋に寄ったら、是非。

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モト

空堀の魅力を存分に味わえます (2018/10/24 訪問)

深く見事な空堀が周囲を囲っていて、空堀の魅力を味わうならかなりオススメの城址です。
阿弥陀寺に車を停めて、脇を奥に進むとその城址はありました。
入り口からすぐに深い空堀が見え、私はすでにニヤニヤです。
主郭、二の丸を空堀が囲っていて堀底などを歩いて見学できるようになっています。
私は主郭からまわったのですが、二の丸からまわるコースがオススメです。
なぜなら主郭の空堀も見事ですが、二の丸を囲む空堀も見事だからです。
二の丸からまわりますとロスなく全部をまわれると思います。
私は主郭を囲む堀を見たり歩いたり、本丸に行って土塁を見たりして、それでも十分に満足いたしました。
が、満足してそのまま見逃して帰りそうになりましたが二の丸を思い出して行ってみると、なんとこれまた見事っす。

まさかこれほどすばらしい城址の雰囲気が味わえる場所だとは思わず、大満足でした。
ぜひ、水戸、ひたちなか方面の城巡りの際は足を延ばしていただきたい城址でした。

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勝野武士

九鬼家、決して矜持を失わず。 (2018/10/31 訪問)

三田は何度か行ったことはあるのですが、じっくりと街を歩いたのは初めてだったりします。

三田城は武庫川を天然の堀として、すぐ南西の段丘上に築かれたお城です。
最初に築かれたのははっきりしないようですが、室町時代半ばには既に車瀬城として存在していたようです。
荒木村重の家臣である荒木平太夫が、その車瀬城を近世城郭に作り替え、城下町を整備したようです。
村重が謀反の末に出奔した後、織田方家臣の山崎堅家が入り、また後に徳川の天下となると九鬼久隆がお家騒動を理由に志摩國鳥羽から石高を削られた上で移封となり、車瀬城の一帯を三田陣屋として再整備、以降明治を迎えたのです。

時代とともに城主や城そのものの姿、城の名称さえも目まぐるしく変化したこのお城、現在は旧三田城だった曲輪が有馬高校に、九鬼家の居館だった曲輪は三田小学校となっています。当然入れません(タイーホされちゃいますね)が、周囲に水堀や空堀が残っています。
そして、水軍の技術を忘れない為に船を浮かべて調練をしていたという三田御池もしっかり残っています。跡地がそのままそっくり学校敷地となったおかげか、全体的に江戸時代の頃の面影が良く残っていました。
あと、小学校の校長室の床下に台所の跡が保存されているそうです。井戸跡も敷地内に残されているそうですが、どうあがいても学校敷地内には入れませんので、コンプライアンスの遵守をお願い申し上げます(笑)。

唯一の建造物遺構として、近くの金心寺には御下屋敷の黒門が山門として移築され現存しています。
但し随分と改変されているそうで、当時は控え門付きの薬医門だったようです。

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朝田 辰兵衛

リニューアル後の内部に見とれていたら… (2016/11/27 訪問)

外廻りがおろそかになりました。

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dougen

2016.9.6登城 (2016/09/06 訪問)

JR久留米駅から徒歩20分ぐらいのところにある篠山神社が久留米城址となります。
久留米城址に着いた時には既に19時少し前ぐらいで、駆け足での散策となりました。
二の丸、三の丸は市街化により石碑のみですが、本丸は高石垣が残っていて見応えがあります。
続100名城に選ばれたこともあり、再登城する際は、ゆっくりと改めて散策したいところです。

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にのまる

古利根沼のほとり (2018/10/30 訪問)

人の手を入れるのは最小限で留め、自生による再生を見守ってるんだろうなと感じる自然公園の中でした。(つまり少し怖いT_T)
かつての城域のほとんどは宅地化され、まさしく最後の砦的に残った城址。
現地案内板の縄張り図に3本の空堀が載っていたので、この日のミッションはこの3本を見つけることにして探索開始。蜘蛛の巣・倒木・藪という最近流行りのトラップ地獄に苦戦しながら、2郭と3郭の間の空堀と土塁は見つけましたが、あとの2本は分からずじまい。団地建設で消滅したということにしてケリをつけました( ̄^ ̄)ゞ
このお城は北条家臣の河村氏が城主だったとか。2週間ほど前に行った山北町の、あの素晴らしい畝堀と恐ろしいセラピーロードの河村城の河村さんだ!
中峠城は芝原城とも呼ばれるそうです。藪に慣れてくると、小鳥のさえずりやハラハラと舞い散る木の葉に深まりゆく秋を感じセンチメンタルな気分に…乙女のフリはやめておきます(^_^;)
中峠の読み方、忘れそうです。ビャーだったかビューだったかビョーだったか。

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カルビン

熱量半端無かったことでしょう (2014/07/16 訪問)

大河ドラマ[風林火山]にて、海野口城のロケ地として使われた荒砥城。
登城口手前の駐車場まで車で登れるので、山城ですが攻略はそれほどきつくは有りません。
(注・入場料がかかりますのでご注意を)

流石に完全な現存では無いでしょうけれど、かなりイケてる石積み祭りに出会えました。
他にも復元?建造物もあり、ちょっとしたテーマパーク的なお城の見学が可能です。


城域は広いものの、各郭や通路自体はどちらかと言うと狭く・・・

大河のシーン覚えていますが、確か結構な人数がいたハズなので、待機場所は出演者やエキストラの方々、撮影スタッフでごった返していたに違いない(汗)

夏場だったら暑苦しかったでしょうなぁ。。。


訪問したのは4年前になりますが、その際に石積みの間に結構大きいと思われる蛇の抜け殻を発見したので、念のため訪問時はご注意下さい。

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チェブ

はしゃぎすぎ注意! (2018/10/28 訪問)

山城がなかなか攻略できず、説明板ばかり写真が増え、「城びと」なのか「看板びと」なのか分からなくなってきました。
みなさんの投稿で滝の城なら、と思い早朝に行ってきました。
満足です!!
私みたいなお城初心者は、このくらいが、いいんです。

怖くて写真に撮りませんでしたが、「血の出る松の碑」があります。
ここも北条氏照公の支城で秀吉さんにやられました。
浅野長政軍が攻めていた時、沢山の死者がでたそうです。近くの松を切ったら赤い樹液が出てきた事から、「血の出る松」と名付けられました。松は枯れてしまったそうです。

お城って、先人達が命のやり取りをした場所でもありました。
改めて、お城の素晴しさ見ておこうと思いました。

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tsuchinari

100個目の城 (2018/10/31 訪問)

現存十二天守の一つ、弘前城。ここで100名城完全登城になると同時に現存天守も全て巡ることになる。本などでみる弘前城はまず縄張りが広い。航空写真などで観ると分かりやすいのだが、今残る城郭でここまで広い縄張りをはっきり残す城郭はそうない。正直航空写真でみると天守がどこなのか分からなくなるほど。さらに付け加えると形が長方形。京都の二条城を意識したとの説もあるらしい。
天守は現在石垣の工事で移動中だが趣ある雰囲気は健在。他にも櫓に門。廃城令や空襲を乗り越えてきた価値ある文化財が数多く残されている。天守だけではないたくさんの魅力が詰まっていて、最後の城に選んで間違いなかったと感じた。天守が元の場所に戻るまであと二年、石垣も全て修理完了するまでにあと五年。またその頃に訪れたいものです。

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tsuchinari

日本の歴史に"松前"あり! (2018/10/30 訪問)

松前城最寄の木古内駅から路線バスで約1時間半。バスを降りたのは18時半くらいだったが、すでに日は落ち、あまり明かりがないためか既に深夜のような雰囲気。さらに道路のすぐ横からは日本海の荒々しい波が打ち寄せていた。
このどう見ても厳しい雰囲気がむしろ私をわくわく楽しみにさせてくれる。
松前城の歴史は一般的には幕末が知られるが、地元の方によれば、実は室町以前から海上交易が盛んで、日本各地様々な場所と縁があるらしい。私自身今でこそ広島在住だがもとは四国の香川県で生まれ育った。今回、色々と話を聞かせていただいた方の奥様の家庭は、曽祖母より以前は讃岐(今の香川県)で暮らし、明治維新後この松前に移り住んだらしい。繋がりってあるものですね。城好き同士で語り合える。これも百名城巡りの醍醐味の一つ。さぁ、次が100個目です。

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オダリン

厳島の戦いの舞台 (2013/12/14 訪問)

頂上にシカがいた!!! 奈良といっしょだな・・・

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刑部

街中の小さな神社 (2018/04/12 訪問)

町中の道路にウルトラマンや怪獣達がいます

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モト

土橋と竪堀が魅力的でした。 (2018/10/24 訪問)

ハイキングくらいの登山道を上がって行くと土橋と竪堀があります。
私の勉強不足だと思いますが、そこまではわかる遺構が確認できないまま登っていました。
それが遺構だとすぐにわかるような魅力的な土橋と竪堀の登場に大満足でした。

そこからさらに登ると本郭と櫓台跡がありました。
そこからの景色は眺めがよく、きれいでしたよ。
戻る道でもやはり先ほどの土橋と竪堀を眺めて帰りました。

城址は山の上にありますが、山の登山道のあるところまである程度、車で行けますのでそこからは頂上までは15分くらいでしょうか。
駐車場はなかったので車が行けるところまで上がり切った場所に停めました。

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まっつん

レンタサイクルで突撃! (2018/10/29 訪問)

伊達政宗が晩年過ごした若林城。
以前、『ブラタモリ』の仙台編を見て、外周だけでもと思って訪れました。
城跡は宮城刑務所になっているので中は見学できません。
何かやらかして捕まれば別なんでしょうが・・・。
ここにもレンタサイクルで行きました。車で行くよりも外周を見て回るならこれが正解だったと思いました。
フェンス越しに遠巻きに堀跡と土塁が確認できました。

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まっつん

レンタサイクルで突撃! (2018/10/29 訪問)

たぶんこれで4度目の仙台城。
これまでは仙台駅からバスや地下鉄を利用して城に訪れましたが、今回はレンタサイクルで行ってみました!
レンタサイクルは電動アシスト付きだったので行くこと自体は余裕でした。
が、レンタサイクルの駐輪場が三の丸の子門跡付近にあったのでマジメにそこに駐輪してから徒歩で坂道を登って本丸跡へ行ったのですが、本丸跡には駐車場があるんだし上まで自転車で行けばよかったんですよね。。
ま、城は足で攻めるもんだ!ってことで。

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じゅんじん

集落の一角に (2018/10/28 訪問)

石碑と説明板がありました。土地区画改良の影響で移動したのだとか。

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todo94

(2018/10/21 訪問)

鳴門ICのほど近く。四国を離れる前に再訪してみた。今回は公園側から茨を掻き分けて無理矢理よじ登ってみたが、傷だらけになっただけで新たな遺構を見いだすには至らなかった。畝状竪堀を期待していたんだけど残念。山頂には貯水タンクの廃墟がある。

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朝田 辰兵衛

雪と紅葉のコラボを愛でようと… (2016/11/26 訪問)

JR高尾駅は,高尾山の登山客で賑わってました。

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にのまる

伝源経基館 (2018/10/27 訪問)

鴻巣高校の裏手です。
館があったと考えられている平場を堀がぐるっと囲んでいます。土塁もしっかり残っていて、在りし日の方形居館の姿をイメージすることができました。
曲輪内は木々がすくすくと育っていて、木漏れ日が美しかったです。育ちすぎてちょっと窮屈な感じもしましたが。ここは鴻巣市の自然保護地区に指定されているそうです。この先ずっと守られていくということですね。元住人の源経基さんもきっと喜んでおられることと思います。伝だけど。

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チェブ

嫌な予感的中! (2018/10/27 訪問)

杉山城や菅谷館を見学した後に、車が停められるお城って浅はかな考え方で腰越城に行きました。
先の2城は整備が行き届いていて歩きやすかったし腰越城もきっと大丈夫。
またまた勘違いの始まりです。
車はセンターパトリア小川の駐車場に止めさせていただきました。
広い駐車場の端っこに「腰越城入り口」を発見しましたが、ご自由にどーぞ的な杖を見た時に、嫌な予感がしました。

……やはり、引き返して来ました。
秋にあった台風の影響か、みなさんの写真に写っている小さな木の門は壊れてました。という、言い訳。
あの坂の上には素晴らしい城跡があるのでしょう!
今は私、山城、自分の足下しか見れてません。

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