1枚目は、線路越しに小諸城の三の門を見ています。2枚目は、大手門です。線路の内側にあります。これはお城の敷地が鉄道に分断されているからです。同様のところは、長岡城、三原城、甲府城、福山城などです。鉄道を敷いたのは明治新政府ですが、これらの藩は、幕府側です。単なる偶然とは思えませんが。小諸城は、城下の一番ひくいところに城があると言う穴城です。小諸の場合、河岸段丘の上にある街道側を通そうとしたようですが、そこに住んでいる養蚕で生業を立てていた人たちが反対して城の敷地に通したという事情があるそうです。
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