さじじょう

佐治城

滋賀県甲賀市


旧国名 : 近江

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山頂部
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ぴーかる

佐治城 (2023/12/23 訪問)

【佐治城】
<駐車場他>駐車場はなし。道路脇<34.940780, 136.216430>に停めました。
<交通手段>車

<見所>堀切・土塁
<感想>現地説明板によると佐治城の城主は佐治氏(小佐治氏)とされ、1585年豊臣秀吉の領地没収に対して籠城し抵抗したが、堀秀政・中村一氏に攻められ落城したといわれています。
 先達のじゅんじんさんの投稿登城時のゲートに入ってすぐにあるトラロープは私が行った時には無くなっていましたので奥まで進むことができました。積雪に関係あるのかもしれません。ゲートの外側にある土塁が中まで続き、先の南側が堀切になっています。奥に枡形池という堀があり、その南側が愛宕山山頂(土塁上曲輪を兼ねている)があります。山頂の西側は竹林となっていて段曲輪が数段あります。南側斜面を散策し忘れてしまいました。りゅうじん池の背後の僅かに残る土塁から南側の土塁までが主郭だったようですが、かなり改変・平坦地にされていて甲賀郡の単郭方形高土塁の遺構は見られませんでした。

<満足度>◆◆◇

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じゅんじん

森の中は立ち入り禁止 (2021/01/02 訪問)

森の中は防獣柵を開けてもトラロープで立ち入り禁止でした。土塁が残っています。池は堀の一部でしょう。

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YAICHI

なぜか京都山科に石碑があるそうです。 (2020/01/12 訪問)

城跡は甲賀町小佐治集落の北、野洲川方面を見下ろす丘陵上に位置します。城山北側の説明板付近(34.940739,136.216601)に駐車。水堀跡(桝形池)の後方に整地された広い主郭、害獣柵内に土塁、空堀、土橋、山頂郭等の遺構が見られます。城主は佐治氏(小佐治氏)とされ、織田信長の近江侵攻に伴いその配下となりましたが、天正13(1585)年に羽柴秀吉の領地没収に対しては篭城して抵抗、堀秀政・中村一氏に攻められ落城したとされます。令和元年度「日本遺産」認定において、日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀-リアル忍者を求めて-(平成29年度認定)」のストーリーを構成する文化財について、追加認定を受けました。市指定史跡。

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甲賀の丘の城 (2019/03/29 訪問)

いわぴいさんのレポートを参考に攻城。レポートの通り、Ⅰ郭から愛宕山(Ⅰ郭南の高まり)への堀と土橋は見ごたえあり。愛宕山の南と西は水利施設及びその工事のための道作りで、どこまでが遺構か判然としないが、それらしき平削地、切岸や土塁が認識できる。西側のⅢ郭はⅠ、Ⅱ郭と同じ高さ。遺構が良くわかる。西南のⅣ郭は、Ⅲ郭から数十m下り、道を越えて少し藪漕ぎ。本城は、甲賀地域に多い単郭重厚土塁囲みの城作りとは違った縄張りである。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 平(佐治)業国
築城年 康平5年(1063)
主な城主 佐治氏
遺構 曲輪、土塁、堀切
指定文化財 市史跡(佐治城跡)
再建造物 説明板
住所 滋賀県甲賀市甲賀町小佐治字城殿
問い合わせ先 甲賀市歴史文化財課
問い合わせ先電話番号 0748-69-2250