たかねじょう

高根城

静岡県浜松市

別名 : 久頭郷城、久頭合城
旧国名 : 遠江

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本曲輪
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しんちゃん

イカス山城天国 (2014/01/24 訪問)

日帰り遠州山城ハシゴ旅、高根城だけどりこぼしちゃったんだな。この城だけ外れた所にあるんですわ‥‥‥ガサゴソ‥‥‥
高根城には応永21年(1414)奥山金吾正らが伊良親王を守護して奥山に仮宮を設け、城を築いたという伝承があります。伝承の真偽はさておいて、戦国期奥山氏は永禄年間(1558~70)後半、今川氏の勢いが衰えると今川・武田・徳川のいずれにつくかで揉めに揉め、内部分裂で城は落城したそうです。その後武田氏によって改修を受けますが、武田氏滅亡後、徳川によってさらに改修を受けている可能性は有りますね。
いいかんじに山城が再建されている貴重な城で、本曲輪には土塀、門、井楼櫓、蔵、主殿がひとしきり再現されています。各郭の間を堀切で区切ってあって、南側には二重堀切が有り見所がたくさんあります。
中部には愛知の足助城(有料)や長野の荒砥城(有料)など再現された山城が多いですが、なんといってもここはタダなんですね。

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城好きのメガネ

「高根城」 (2023/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★★
高根城は、南北朝時代に尹良親王(後醍醐天皇の孫)を守護するため豪族の奥山氏が築いたとされる。山麓には親王の仮宮が建てられた。戦国時代には今川氏の傘下に入ったが、武田氏の遠江侵攻の際に落城した。以後、武田氏の拠点となり、大改修が行われる。長篠の戦いにより武田氏が遠江から撤退すると廃城となる。2001年頃に、井楼櫓、城門などが復元される。現在、曲輪、土塁、堀切が遺されている。

<アクセス>
JR向市場駅 徒歩20分

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ヒロケン

戦国の山城 (2022/07/16 訪問)

高根城は、標高420mの九頭合の山頂に位置し、南北朝時代、後醍醐天皇の孫尹良親王を守るためにこの地の豪族、奥山定則が築いたとされています。戦国時代、この地を治めていた今川義元公が桶狭間で討たれると、三河の徳川家康公や、甲斐の武田信玄公の勢力が及ぶところとなり、武田氏と徳川氏の争奪の地となりましたが、高根城主民部少輔貞益の時、信州遠山郷の遠山土佐守に攻められ落城しています。この頃、高根城は武田方の遠江侵攻の拠点として、大改修が行われたと考えられています。

現在の高根城は市指定史跡として、発掘調査をもとに復元整備が行われ、本曲輪には、井楼櫓・主殿(管理棟)・城門などが復元され戦国時代の山城が再現されています。

城びとの「日本100名城・続日本100名城に負けない名城」を見て、3回目の訪問を決めました。車を利用し、自宅から2時間ほどで行くことが出来、駐車場・トイレも完備されています。また、駐車場からの登山道もよく整備されています。そして何よりこれほど復元されているにも関わらず、無料なんです。(*^▽^*)
戦国時代の山城が忠実に復元され、自分が訪問した際は、朝靄がかかり今にも戦国の武者が出てきそうな感じで、戦国にふれた時間を過ごすことが出来ました。

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おっちゃん

高根城概略図 (2017/10/15 訪問)

現地案内板より抜粋。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 奥山定則
築城年 南北朝時代
主な改修者 武田氏
主な城主 奥山氏、武田氏
遺構 曲輪、土塁、堀切
指定文化財 市史跡(高根城跡)
再建造物 主殿、門、井楼櫓、塀、説明板
住所 静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方
問い合わせ先 浜松市役所生活文化部文化財課
問い合わせ先電話番号 053-457-2466