鬼ノ身城がいつ、誰によって築かれた城であったかについては伝えられていが、南北朝時代末期には今川上総介泰範が、16世紀初めからは上田氏が城主になったことがわかっている。5代目の上田孫次郎実親は、備中松山城主三村元親の弟で、三村方に所属していた。天正2年(1574)に謀反を起こしたことで同年11月に毛利方の大群が備中国に出陣してきた。三村方は居城の松山城をはじめ、備中国内にある出場の防御を固め、鬼ノ身城へも3000騎を配置した。しかし、三村方の諸城はことごとく落城した。【案内板より抜粋】
総社市山田 華光寺を目指していくと途中で道が二股に分かれる。右に行くと鬼ノ身城、左に行くと華光寺の案内板がある。そこから蟻ヶ峠まで小型車ならいけるが、道はとても狭く舗装はされていない。華光寺の方に少し行くと道が広くなり路駐ができる。ここから歩くと片道2.5kmほどある。道は歩きやすい。
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