富松城から徒歩にてアプローチしました。ここは荒木村重の有岡城を織田信長が攻めた時に陣がおかれた城だったのですね。有岡城落城後、一族家臣がここで処刑されたということで大きく立派な故六百三十餘人之碑が建てられていました。イオさんの情報で昭和公園東側の道路が堀跡とのことでしたのでこちらにも脚を伸ばしてきました。
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2024/10/26 07:29
2024/03/11 12:31
有岡城落城の悲劇の地 (2023/12/23 訪問)
七松環濠とも呼ばれる中世以来の環濠集落で、織田信長の有岡城攻めに際して織田信忠が陣城として改修しました。有岡城が落城すると、荒木村重の家臣妻子ら六百数十名は七松城に移送されて処刑されたと伝わります。
JR神戸線・立花駅から徒歩で登城。七松八幡神社あたりが城跡とされ、境内にはこの地で処刑された武士及び家族の慰霊碑が建てられています。明瞭な遺構は見られませんが、七松八幡神社は微高地にあり、境内東辺の道が環濠跡、昭和公園東辺の道路脇が堀跡とも云われています。なお、七松八幡神社の北隣にある弘誓寺の太鼓楼(?)は、唯一お城っぽさを感じさせる建物でした(むろん遺構ではありませんが)。
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2023/09/14 22:19
2023/08/20 23:35
荒木村重ゆかりの地で惨劇の跡の地。 (2023/08/12 訪問)
七松城は環濠集落の中に置かれた城で、かつて荒木村重が
織田信長を裏切った際に有岡城攻めの陣城として
利用されたとあり、有岡城落城後、
天正7年(1579)12月13日 122人の女性たちがが磔に
かけられ、他510あまりが家4軒に押し込められ
焼殺されたということです。
城跡の中心は七松八幡宮で、境内には
七松城落城なくなられた武士及び家族 故六百二十余人之碑
が建っているのですが‥ 数は合ってるんだけど
落城したのは有岡城では? 誰もつっこんでないけど
これは突っ込んじゃいけない所だったんだろうか‥?
七松城の西側には堀の形状に水路が残りかつての環濠集落の
名残をしのばせます。一部は暗渠になっているようです。
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分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な改修者 | 織田信忠 |
主な城主 | 織田氏 |
遺構 | 堀跡 |
再建造物 | 石碑(七松城落城なくなられた武士及び家族 故六百三十余人之碑) |
住所 | 兵庫県尼崎市七松町3(七松八幡神社) |