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こげら

沼津城本丸跡 (2019/11/21 訪問)

今は中央公園となっています。案内板しか偲ぶものはありませんが、周囲の地名に城下町の風情が残っています。

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todo94

国史跡 (2019/11/17 訪問)

堀底道に導かれ延々と登山して大きく時間をロスしてしまいました。三角点を確認して延々と引き返し、なんとか主郭にはたどり着けたようです。主郭下にはかなり大きな堀切がありました。雨上がりのため、落ち葉で靴はぬれてしまいましたが、飛騨路の紅葉は美しかったです。

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にのまる

朝の城さんぽ (2019/11/02 訪問)

日の出とともにお城散歩。
なんだ、この清々しさは!!

あーさやけーのひかりのなかにーたつかげはー♪

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スミヤキ

災い転じて福となす (2019/04/09 訪問)

山城歩きのベストシーズンになりましたね。
しかしながら、先月に伊豆半島、関東に上陸した台風19号は、多くの厳しい爪痕を残しました。

今春登城した、関東屈指の山城、八王子城も倒木や土石流により、本丸登山道橋崩落、斜面崩落で本丸方面要害地区が見学中止になっています。麓の御主殿跡、ガイダンス施設は、見学可能になったようです。

八王子城は、関東山地の東端部、北浅川と城山川に挟まれた標高 470mの急峻な深沢山を本体にして、周囲の尾根、谷、丘陵などを取り込んだ広大な山城です。山頂付近の曲輪群、本丸を中心とする要害地区、山麓の北条氏照の館、御主殿のあった居館地区に分かれています。

山頂付近の曲輪跡にある見晴らし台からは、南に相模湾、北東に筑波山が見渡せる絶景が広がっています。山中には、堀切や石垣などが現存しており、とても見応えのあるお城です。今回の災害後、新たな戦国遺構が地中から顔を覗かせたとも。再度訪れたい場所です。

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朝田 辰兵衛

仙石山森タワーは… (2019/11/17 訪問)

「せんごく・やまもりたわー」と読むのではなく,「せんごくやま・もりたわー」と読むんですね!
恥ずい勘違いをしていました。最寄り駅は六本木一丁目駅。
地図を平面的に見ると,仙石山森タワーの周囲が堀で囲まれていたように思えます。
また,散策して気づきましたが,御組坂という坂は,もしかしたら昔は大手道だったりして…。

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トーダイ

城跡碑と案内板は確認できます (2017/10/25 訪問)

加島城は、加島の豪族浅川兵庫頭の居城でしたが、天正3年(1575年)
長宗我部元親の大軍が侵入して落城しました。藩政時代に至り、加島
南端に遠見番所が置かれ、異国船を監視していました。

登城入口<33.633849,134.375174>前に駐車、奥の曲輪跡一部(津波
避難場所)に城跡碑と案内板は確認できますが、それ以上進めません。

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エグ1394

津城 (2019/11/20 訪問)

久しぶりに津城へ行ってきました。
津城は信長の弟である織田信包の居城として知られています。お市の方とその娘たち(浅井三姉妹)も信包とともに伊勢上野城からこの城に移り、お市の方が柴田勝家と再婚するまでの2年間を過ごしました。江戸時代には築城の名手と謳われる藤堂高虎によって近代城郭として大改修され、その後は明治時代まで藤堂氏の居城となりました。遺構としては本丸の石垣や内堀の一部が残っています。現在は「お城公園、お城西公園」として整備されており、藩校「有造館」の正門である入徳門が移築現存しています。また、隅櫓が再建され、公園内には藤堂高虎像もあります。

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トーダイ

当時の石垣と虎口が残っています (2018/03/02 訪問)

旭城は、小倉藩の支藩である新田藩の藩主小笠原貞正により明治3年(1870)
築かれましたが、翌年明治4年の廃藩置県により廃城となり「日本の歴史上、
最後に築かれた城」です。

城址には千束八幡神社と千束小学校が建てられており、境内の周囲に当時の
石垣と虎口が残っています。

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エグ1394

松坂城 (2019/11/20 訪問)

松坂城へ行ってきました。御城番屋敷の風景もよかったです。
松坂城は蒲生氏郷によって築かれた城です。現在は城址公園となっており、穴太衆によって築かれた豪壮な高石垣のみが残っています。また、中御門跡などに桝形虎口を見ることもできます。周囲には本居宣長記念館や武家長屋の御城番屋敷があります。春にはソメイヨシノ、山桜あわせて約300本もの桜が石垣をピンクの花で埋めつくし、多くの観光客でにぎわいます。

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エグ1394

鳥羽城 (2019/11/20 訪問)

鳥羽城へいってきました。TOBAのモニュメントがあり、本丸からの景色は綺麗でした。
岩村城を思わせるような石垣でした。
鳥羽城は九鬼水軍を率いた九鬼嘉隆によって築かれた城です。水軍の城らしく、かつては大手門(大手水門)が海側へ突き出して築かれていたそうです。現在は本丸周辺に石垣の一部が残っています。また、山麓が三ノ丸広場として整備されています。鳥羽港から定期船で30分のところにある答志島には九鬼嘉隆の墓があります。鳥羽水族館が城址のすぐそばにあります。

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エグ1394

田丸城 (2019/11/20 訪問)

田丸城へ行ってきました。仮設の模擬天守がありました。
村山龍平記念館で御城印をセルフで作成しました。
田丸城は南北朝時代に南朝方の拠点として北畠親房、北畠顕信によって築かれたといわれています。戦国時代には織田信長の伊勢侵攻に伴い、北畠具教の養嗣子となった織田信雄の居城として、3重3階の天守を備えた近世城郭へ改修されますが、5年後に火災で天守を焼失してしまったため現存していません。江戸時代には徳川御三家の一つ紀州徳川家の治める紀州藩の所領として、久野氏が城主を務めました。現在も天守台や石垣、堀などの遺構が残っており、他所へ移築されていた富士見門、三の丸の奥書院なども再移築され、整備されています。田丸城は南北朝時代の中世城郭と織豊系の近世城郭と両方の遺構をあわせ持つ城となっています。

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チェブ

戸塚高校。 (2019/10/20 訪問)

「畠山 重保館」に行きました。
重保さんは、鵯越で愛馬をおんぶした畠山 重忠さんの息子です。

ナビの目的地は戸塚高校でした。
「畠山 重保館」の石碑や説明板はありません。
遺構もありません。
高い場所にありました。
重保さんの居館は鎌倉にもあるようです。

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カルビン

でかいイチョウの木があります。 (2016/10/15 訪問)

甲斐源氏・加賀美遠光や穴山氏等、武田系の戦国武将と縁がある長栄山 本国寺が下山城になっております。

遺構は残って無い様ですが、境内にある穴山八幡神社が穴山信君を祀っている等、歴史的なバックボーンは有る様です。
一応城碑はあります。

国指定天然記念物にもなっている大イチョウの木が山門奥正面にありますが、これは日蓮上人が重病の為身延山久遠寺より常陸に湯治に向かう際、ここで1泊した時に植えたものだそうです。

ちなみにこのイチョウの木はメスだった為、訪問した季節は丁度シーズンだった事も重なり銀杏のオイニ~が凄かったです(汗)


周辺には南部氏や穴山氏や日蓮上人関連の史跡やゆかりのあるお寺がが多いですが、公共交通機関での訪問は厳しいので、車かバイクでのセット訪問が宜しいかと。

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イオ

天端の石敷き (2019/10/13 訪問)

幕末、幕府の命により明石藩が勝海舟の設計・総指揮のもと築造した台場で、対岸(淡路島)の阿波藩・松帆台場と連携して明石海峡を航行する外国船の脅威に備えることを目的としましたが、記録によると、弾薬庫や兵舎などの施設は建設されず、大砲も据えられることはなかったようです。

幕末に数多く築造された台場の中でも、総石垣の台場は舞子台場の他に例がなく、現在でも海岸護岸の石垣に往時の石垣(の下層部分の一部)を見ることができます。また、台場跡の北部には、発掘調査で発見された台場背面の天端の石敷きが公開保存されています。

船上城の後、明石藩つながりで舞子台場にも立ち寄りましたが、天端の石敷きの所在を現地で確認できなかった(帰ってから写真を見ていて気付きました……説明板の奥にあるやん!)ので、松帆台場や淡路島の城めぐりの前後にでも改めて訪れたいと思っています。
 

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いんげん丸虫

上杉謙信 (2019/11/10 訪問)

川中島の際に上杉謙信が築いたとされる。壮大な山城です。数ヶ所で石積も見ることができます。西斜面には長い竪堀、横堀もあるのですが、作業道が数本あって不明瞭になってるのが残念です。

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刑部

山深い城址 (2019/11/17 訪問)

入り口が封鎖なのでここで車を止めて城址の登り口まで徒歩で1400メートルを登りました20分かからず到着、そこからまた困難な山城でした落ち葉が行く手をさえぎるように足がとられました。
倒れ木がなくなってきたのでもう少しで車可能になりそうです。

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todo94

土塁残存 (2019/11/02 訪問)

光明寺がその故地に当たります。説明板や城址碑はありませんでしたが、土塁が視認でき嬉しい限り。

この後に訪れた黒部市の長安寺館にももっと立派な土塁がありましたが、善念寺館には遺構は見当たりませんでした。

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小城小次郎

浜松城

天守台に余計なスペースが生まれるほどに小柄な天守の傍らに、史実に基づき復元された富士見門。黒い天守と白い門。これは不協和音ぎりぎりの調和だ。

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刑部

本丸の方が低い? (2019/11/17 訪問)

お寺さんより低い位置に本丸があるようです、普通 本丸が1番高い位置になるのですがここはお寺から道路を挟み本丸を見下ろす感じです。本丸周りの堀は見事に遺されています。

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シロマサ

林田陣屋跡(兵庫県姫路市) (2019/10/30 訪問)

姫路市と宍粟市を結ぶ国道29号線の中間に位置する陣屋跡。
藩祖建部政長は大阪の陣の功により、元和3年(1617)に播磨林田の地に陣屋を築いた。
この地はかつて窪山城のあった場所で、以後10代明治維新まで続きます。

国道29号線(宍粟市から)林田川の手前を左折して、南に行くと県道435線あたります。
この県道435線を左折すると、直ぐに藩校の敬業館講堂が見えます。
敬業館講堂の西横の林田中学校の北側が林田陣屋跡です。
現在本丸跡は梅園になっていますが、雑草が生えて荒れています。
本丸に行く途中の石垣、東側にある建部神社の東には水堀が残り、錦鯉が泳いでいます。
また435線を南に行くと大庄屋の旧三木家住宅があります。

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