おかわちじょう

大河内城

三重県松阪市

別名 : 大河内御所
旧国名 : 伊勢

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本丸の東面城塁、納戸曲輪辺りより
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カズサン

伊勢未踏の城廻りⅨ 北畠氏の城郭夕刻で本丸まで (2021/04/10 訪問)

 夕刻木造城を終えて南へ約15km程、途中松坂城をかすめ松坂牛で有名な和田金前を通り国道166号線を走行し大河内城を目指す。
 駐車場は大河内市民センター駐車場を利用、国道166号線沿いに在り良く分かる砂利舗装で余裕の能力、大河内城の解説板在り。
 約5年前に霧山城北畠氏館庭園登城の前に国道166号線沿いの大河内城の存在を認識していましたが当日の目的地に入れて無く素通りしてしまいやっとの初登城。
 大河内市民センターで案内資料、御城印のセットをゲット、センターの通り横に登城ルート図あり、川を渡り西蓮寺前を通り案内板が有り搦手口より登城、搦手跡の石碑、登って丸石の石垣曲輪二の丸で忠魂碑が立ってる、鳥居を潜り馬場跡枝垂れ桜が名残の咲きごろ、西に本丸の城塁切岸が見える、裾に石垣の残りか散在する、本丸は神社が鎮座、結構広い、大きな大河内城址石碑、案内解説板も有る、一部ストロボ撮影する有様で西の丸以降はパスし下城する、坂内川の西丘陵を利用した大きな城郭です、夕刻で残念至極。

 歴史:応永22年(1415年)南朝の伊勢国司北畠満雅が築城し弟顕雅を入れ大河内氏と称する、時は移り永禄12年(1569年)信長の伊勢北畠氏攻略、信長軍包囲網5万と言われ、北畠軍8千北畠軍は50日余に及ぶ籠城戦に耐え、信長も長期化を恐れ次男信雄を養子に入れる事で和議を結ぶ、大河内城は開城し北畠具教は隠居、しかし天正4年(1576年)未瀬谷の地で具教は暗殺され北畠氏の歴史は閉じた。(大河内市民センターで頂いた資料より抜粋)

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昌官忠

東海北陸遠征 (2020/03/07 訪問)

市民センター前の駐車場(34.524857、136.476358)に駐車し、市民センタの案内板横のフェンスにジップファイルに入ったパンフレットを持って攻城。ここから歩いて5分位で搦手口から攻城できます。
見所は石垣、堀切、マムシ谷だと思います。攻城時間は45分位でした。

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じゅんじん

神社 (2008/12/30 訪問)

正月準備ができていました。

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大河内城説明看板 (2019/02/17 訪問)

北畠氏をテーマに、多気城、田丸城、大河内(おかわち)城などを巡りました。大河内城は、西〜南を急斜面に、北〜東を川に守られた比較的大きな規模の城。比高はないが、大軍の織田軍に対し、40日籠城してからの和睦に至るだけの攻めにくさがあったのでしょう。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 北畠顕雅
築城年 応永22年(1415)
主な城主 大河内氏、北畠具教、織田信雄
廃城年 天正4年(1576)
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財 県史跡(大河内城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 三重県松阪市大河内町城山他
問い合わせ先 松阪市教育委員会事務局
問い合わせ先電話番号 0598-53-4393