かしまじょう

鹿島城

茨城県鹿嶋市

別名 : 吉岡城
旧国名 : 常陸

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本丸東側の空堀
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鹿島城と鹿島神宮 (2023/08/26 訪問)

鹿島神宮駅から西に徒歩10分ほど
本丸跡と本丸北西側の麓部分の二ケ所に駐車場があります。(トイレも本丸にあります。)
公園東側の入口の坂の途中から、いきなり立派な空堀を見ることができます!! 
坂を登りきり、本丸跡へ
本丸には土塁が残っていました。本丸の西側に石碑や説明板が設置されており、そこからは北浦(湖)を望むことができます。
本丸から北側の腰曲輪を通って山を下り、西側の水堀跡へ
水堀跡は、現在も水草らしきものが生えており、名残りが残っていました。
そこから鹿島高校(二の丸)北の与平次坂を登って、東へと進み10分ほどで鹿島神宮に到着。
鹿島神宮は常陸国一宮で、創建は紀元前に遡るとのことです。
境内は広大な樹林が広がり、真夏でも比較的涼しく、神聖な雰囲気が漂っていました。

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赤い城

林城 茨城県鹿嶋市 (2023/07/02 訪問)

まずはぴーかるさん、大阪府コンプリートおめでとうございます。
大阪は歴史的にも興味深い城が多いのでいつかコンプしたいです!

さて、この日は南方三十三館の城をいくつか訪問しました。
南方三十三誅殺事件として有名です(関東だけかも)。
鹿行エリアは大掾氏一族が支配していましたが、佐竹氏が城主を太田城に呼び出し、誅殺した事件です。
我々の世代だと体育館裏で・・・?

『群書類従』第645-647「常陸国田島村伝燈山和光院[4]過去帳」には、「天正十九季辛卯二月九日 於佐竹太田ニ生害ノ衆、鹿島殿父子、カミ、島崎殿父子、玉造殿父子、中居殿、釜田殿兄弟、アウカ殿、小高殿父子、手賀殿兄弟、武田殿、已上十六人(以上十六人)」
との記載があります。
この内、鹿島城、島崎城、小高城、中居城は城びと登録城で訪問済。
その他武田氏の木崎城も訪問済でした。

この中にありませんが林氏の林城。
遺構もよく残り、整備もされているとのことで登城。

駐車場はありませんが路駐には充分な感じでした。

登城路を登って行くと右手に「二の丸」の案内板があります。
虎口を経て二の丸へ。
土塁が残り、広いスペースになっています。
隣接する本丸にも高い土塁が残ります。
本丸と二の丸から堀を挟んだ広い曲輪が三の丸のようです。
ここにも土塁がついていて外側の空堀に進んで行くと、ガサガサッと。
明らかにイノシシでした!

深入りは自重し退散しました。

近くの林中城が居館のようですが外城の方が整備され歩きやすいようです。

堀底道や高い土塁が残る素敵な城でした。

林氏も佐竹から太田城に呼び出されましたが途中で家臣により殺害されたとのこと。

南方三十三館誅殺事件、興味深いです。

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じゅんじん

城山公園 (2022/10/22 訪問)

鹿島神宮の向かいの山になります。駐車場も完備。桜が咲くときれいだろうな。

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にのまる

鹿島神宮と。 (2022/03/21 訪問)

18きっぷ2回目1城目。
鹿島神宮駅至近でホームから全容を捉えることのできる鹿島城山公園。散策やお花見も楽しめる公園ですが大きな空堀や堀切があってびっくりでした。園路が整えられているので改変もありそうですが本丸を囲む土塁も明瞭で、見晴らしもよく、北浦湖畔の鹿島神宮一の鳥居まで望めました。
説明板の傍に根本寺と鎌足神社への案内があったので行ってみました。根本寺は聖徳太子の開基と伝わる日本最古の寺のひとつで、鎌足神社は中臣鎌足を祀っており、鹿嶋は鎌足の出生地の伝承地のひとつとのことでした。近くにあった「寸府井跡」(標柱)は「鹿島の七つ井戸」のひとつでこのあたりの人々の貴重な水場だったそうです。
その後二の丸跡と伝わる鹿島高校を通りつつ鹿島神宮へ行きました。湧水の御手洗池が幻想的でした。

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城郭情報

分類・構造 連郭式平山城
築城主 鹿島政幹
築城年 治承年間(1177〜1181)?
主な改修者 鹿島義幹
主な城主 鹿島氏
廃城年 不明
遺構 土塁、堀
再建造物 石碑、説明板
住所 茨城県鹿嶋市城山1(鹿島城山公園)
問い合わせ先 鹿嶋市観光協会
問い合わせ先電話番号 0299-82-7730