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あつ

奇跡の河岸段丘と真田石 (2019/05/25 訪問)

上田城跡駐車場でまず目に飛び込んだのが圧巻の河岸段丘。その上にそびえ立つ南櫓と西櫓は奇跡としか言いようがない。綺麗に植えられた花や真田カラーの赤が至る所で目に入るのでカラフルな写真が撮れるのもうれしかったです。
隣接する上田市立博物館では上田城城主の歴史や真田昌幸、信之、幸村親子のストーリーが学べて、上田城訪問が何倍も有意義なものになりました。
勝守りの真田神社には勝負事のお守りが多くありました。
土曜日の昼過ぎに行ったのですが、無料の上田城跡駐車場はずっと満車なので、有料ですが広い上田城跡北観光駐車場の方が空いてて良いです。
5月ではあるものの、夏日の暑い日だったので、二の丸堀のケヤキ並木遊歩道が涼しくて快適でした。昭和2年から47年まで鉄道が通っていたようで、プラットホーム跡やトンネルなど面白い見所もありました。
公園として散歩や遊びに来ている人も多く、上手く街に溶け込んだ親近感のわく名城だと思いました。

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イオ

難攻不落の名城 (2019/05/05 訪問)

三ノ丸の駐輪場に自転車を駐め、二ノ丸を抜け廊下橋を渡って本丸帯郭へ。開場時間に間に合うよう天守に直行しましたが、入場券販売場には開場10分前で20人程度の行列。これなら問題ありません。待つほどもなく天守に入城です。

天守台の塩蔵を抜けて上った天守内は郷土博物館になっており、この日は白虎隊の企画展が開催されていましたが、隊士それぞれの肖像画や遺品には、物語でなく一人ひとりがこの会津に生きていたことを感じ、何とも言えない思いになりました…。
常設展もなかなか充実しており、中でも「会津ゆかりの先人たち」のフロアは、大河ドラマ「八重の桜」で馴染みのある人も多いものの、今まで知らずにいた人もまた多く、藩校日新館の存在を下地として「朝敵」の汚名を雪ぐという強い意志があったからこそ、明治以降これほど各方面で活躍した人が多いのだろうか、などと考えさせられました。
そして、最上階の展望台からは「あの辺りが飯盛山かな」とか、「あの山から新政府軍の砲撃を受けたのか」とか、往時に思いを馳せながらの眺望でした。

さて、天守を下りて、木造復元された南走長屋と干飯櫓を見学して外に出ると、本丸を囲む内堀沿いの石垣の上を歩けるようなので、月見櫓跡、茶壺櫓跡と辿って廊下橋門まで。本丸に下りて、御三階跡や本丸御殿跡を見た後、鉄門から帯郭へ。帯郭では、上杉謙信公仮廟所跡や鐘撞堂、武者走りなどを見て回り、西出丸と北出丸、そして二ノ丸の伏兵郭をそれぞれ一周して、駐輪場に戻りました。

会津若松城は本丸を北出丸、西出丸、二ノ丸の3つの曲輪で守る縄張になっていますが、内堀沿いの石垣の上を歩いていると、随所で向かいの曲輪の様子を見渡すことができ、特に北出丸などは、いたるところから狙い撃つことができる作りになっていることがよくわかります。近代兵器を用いた戊辰戦争においても、開城はしても最後まで落城しなかったというのも納得です。そして、何と言っても赤瓦に葺き替えられた天守は勇壮にして優美。まさに天下の名城ですね。
 

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イオ

会津史跡めぐり (2019/05/05 訪問)

宿の近くの温泉施設で疲れを癒し、翌朝、目覚めたのは6時前。ぐっすり眠れたので疲れも眠気もなく体調万全。ホテルの駐車場は、チェックアウト後も次のチェックイン時間までなら引き続き駐車可とのことなので、ホテルのレンタサイクル(無料)を借り、会津若松の史跡めぐりに出発です!

会津若松城までの道中、まず訪れたのは髙巌寺北隣の蒲生忠郷公墓所と興徳寺北隣の蒲生氏郷公墓所。現在に続く会津若松の礎を築いたとして、今なお慕われていることがよくわかります。
続いては、会津若松城の外堀跡の史跡へ。甲賀町口門跡は大手門にあたる門だけに立派な石垣が残っています。東部の天寧寺町には住宅地の一区画分の規模の土塁が現存し、南部の南町口には外堀の名残の水路と橋脚の礎石があります。三ノ丸の堀跡を見たあたりで8時過ぎになったので、三ノ丸の駐輪場に自転車を駐めて城内へ(城内編は次の投稿で)。

城内をひととおり散策した後は、また周辺の史跡めぐりを再開しましたが、会津は東北と関東を結ぶ交通の要衝であり戦略上の要地だったことから、葦名にはじまり、伊達、蒲生、上杉、加藤、保科・松平と蒼々たる顔ぶれがこの地を治めており、それぞれに由来する史跡があちこちにあって、一日かけてもとてもめぐりきれそうにありません。

とりあえず、城周辺で会津藩校日新館の天文台跡、山鹿素行(後に赤穂藩に仕え、赤穂浪士の生みの親とされる)の生誕地、上杉時代の直江兼続屋敷跡、大河ドラマで有名になった新島八重と山本覚馬の生誕地(三ノ丸には新島八重の像も)、一族自刃の悲劇の地となった西郷頼母邸阯などをめぐり、自転車を返却して、車で白虎隊自刃の飯盛山や、法界寺(会津坂下町)の中野竹子の墓所などをめぐりました。

今回の福島行は、城めぐりに加えて戊辰戦争の史跡を辿るというのが主な目的ですが、棚倉城も白河小峰城も戦場となり、二本松藩では二本松少年隊、会津藩では白虎隊はもとより西郷頼母邸や中野竹子ら娘子隊の悲劇があり、いち早く新政府軍に降伏して戦火を避けた三春藩においても、奥羽越列藩同盟に出向いていた4名の藩士が裏切り者として殺害される(三春城本丸に慰霊碑あり)など、戦争の惨禍を見せつけられるようで、改めて平和な時代のありがたさを考えさせられました。
 

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ぴぽぽ

遺構は、ほとんど見つかりませんでした (2019/05/25 訪問)

生田緑地の中にあるという情報をもとに行ってみました
西口の有料駐車場に車をとめて緑地の中を散策しながら向かうことに
公園の案内版を見てみると、枡形城の表記はなく???
とりあえず、周ってみることに
古民家園が、楽しそうだったので、入場料500円を支払って入ってみました
17世紀~19世紀に建てられた、日本各地の古民家23棟があり、ボランティアの方が
親切に案内してくださいました。古民家からみえてくる江戸の生活や、歴史上の人物
との関わり、江戸時代の小判のレプリカを持たせてくださったりとっても楽しかったです
この古民家は200人を超えるボランティアの方が、定期的に茅葺の屋根の保存のために、
定期的に囲炉裏に火を焚いて家を守っているそうです
もし、行かれる方がいましたら、ボランティアの方とたくさんお話しすると貴重な情報が
得られます
古民家園を出て、いざ枡形城へ
枡形城は、枡形山の頂上にありました
登っていくとお城の雰囲気はあるものの整備されすぎてよくわかりません
頂上に着くと、復元とも言えない冠木門があります
たぶん本曲輪??と思われる場所に石碑があります
展望台からは、東京、埼玉、群馬の景色が広がっていました
展望台の階段には、このお城の歴史パネルもありました

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たかさん

石垣の雄大さ (2019/05/25 訪問)

壷阪寺に参拝後、寺の駐車場から約1時間ぐらいハイキングコースを歩いて登城。
先週行った備中松山城同様、こんな山の上にお城を築いた先人は凄い。
天守閣等の建物は現存していないが、残った石垣の精巧さで十分お城の偉大さが分かる。
ただ、夏に向かって登城する際には、万全の暑さ対策が必要かも。
水分補給しようにも山道になってから自販機は無いですよ。

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黒猫

黄金ソフト (2019/05/25 訪問)

二条城名物? 1980円也‼️

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あお

立派な石垣 (2019/05/18 訪問)

新府城、武田氏館、要害山城とあわせて登城。
そびえたつ石垣、天守台とそびえたつ報恩碑が印象的なお城。

天守台から次の目的地である要害山の高さにしり込みしつつ、
ぐるっとゆっくり巡りました。

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あお

藤の季節 (2019/05/18 訪問)

中部地方の城巡りで訪れました。城開城前にも関わらず駐車場はいっぱいに。
ご年配の方が多く、藤の花が綺麗に咲いていたので写生や写真を撮るために訪れた方のようです。

復興天守と石垣、堀、櫓の構図が素晴らしいお城でした。

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カルビン

再訪したら解説版が出来て開発(伐採)が進んでおりました。 (2019/04/21 訪問)

先月埼玉県の未訪問・再訪含めて史跡巡りした時に、ちょうど高坂氏館の傍を通ったんですが、皆様の投稿で以前訪問した時とかなり変わった感じだったので軽く見に行きました。

見てびっくり、加賀爪氏累代墓の立つ土塁の左側と奥の木ががっつり伐採され、堀が見やすくなっておりました。

向かって左側に駐車場が整備中、更にその場所に新たに「高坂氏館」の解説版が設置されておりました。

再訪して城域が激変した場所はよく目にしておりますが、お城を示すもの(城碑や解説版)が無かった場所に新たに設置されたのはここが初めてです。

ジワジワとお城ファンが認知されているんだなぁ・・・と実感した瞬間でした。

高坂氏館は投稿済でしたが、激変していたので再度投稿させて頂きました。

史跡を大事にする光景は、多くの税金を投入して開発の名の元に史跡破壊ばかり進める某千葉県も見習ってほしいところで御座います。
(あちこちのサイトで自分と同じ事思っている方の記事が意外と多かった事にちょっと溜飲を下げたカルビンでしたw)

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赤い城

田んぼの中に塚が。 (2019/05/18 訪問)

最寄りは西松本駅。近くに駐車場はありません。
看板に導かれて行き先には田んぼ。
その中にこんもりとした塚があり、説明板も建っています。
近くには水路もあり、当時は堀だったのかもしれません。
地名が井川城なのが素敵です。

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オイラー

萩城登城 (2019/03/17 訪問)

百名城75城目

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オイラー

津和野城登城 (2019/03/17 訪問)

百名城76城目

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オイラー

津城登城 (2019/04/14 訪問)

続百名城1城目

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オイラー

大垣城登城 (2019/04/28 訪問)

続百名城3城目

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織田晃司

大友宗麟とは (2016/12/17 訪問)

無関係の城です。
宗麟の関係ある城は他にあります。

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織田晃司

福山城ができるまでは (2017/12/03 訪問)

備南の中心としての城。
福山城ができて廃城。石垣や建物も福山城に使われた。

福山市内の実相寺に城門が移築されている。

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チェブ

中野の商人? (2019/04/20 訪問)

東京都中野区にある「中野長者屋敷」に行きました。
遺構はありません。
成願寺が屋敷跡です。一角に長者伝説絵図があります。「中野長者屋敷」の説明板と言うより「日本昔話」のようなお話が書いてあります。
このお屋敷の住人は鈴木 九郎さん。
もともと和歌山で武将をしてましたが、嫌になり中野に来ます。
中野で馬を売買する商人(?)になります。
どうやら仕事がヒットし、この辺りの問屋場を支配する長者さんになったようです。
伝説絵図には鈴木さん少々、いやいや、かなり悪い事もしてしまいます。その罰が娘を亡くしてしまうという結果です。
娘が蛇になる、天に昇るという描写が伝説チックです。
ですが成願寺開山和尚像の中から鈴木 九郎さんと娘の小笹ちゃんと思われる骨が発見されたそうです!
城跡?とか思いながら軽く訪れた「中野長者屋敷」にも悲しい歴史がありました。

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atsufumi

良いお天気! (2019/05/24 訪問)

雲ひとつない良いお天気じゃ。
日影は、風が心地良く吹いておるのう。

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織田晃司

南北朝時代の城 (2018/12/01 訪問)

駐車場はないので吉備津神社(一宮)の駐車場に停めました。

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相方城の「山城トレッキング」しませんか?

今年は初代藩主水野勝成入封400年!
入封400年プロジェクトでは藩主ゆかりの神辺、鞆、新市、沼隈・内海エリアにスポットを当て、各地域の歴史文化資源を生かした取組を進めています。

このたび新市エリアでは山城トレッキングを開催します。
相方城は立派な石垣が残る遺構で、発掘調査結果や縄張り図によると、
在地の領主によって築かれた中世山城の上に、戦国時代に毛利氏が主郭部を石垣で築いたものだと考えられています。

この相方城をトレッキングしませんか?

日時:5月25日(土)10:00~14:00頃
集合場所:新市支所
講師:城郭研究家 篠原達也さん
日程
9:30~10:00 受付
10:00~10:10 開会行事
10:10~10:40 事前講義
  バス移動~昼食配布
11:00~12:00 トレッキング
12:00~12:50 昼食
12:50~13:30 講義
13:30~13:50 下山
  バス移動~解散
参加費:1,000円(昼食・資料・保険代含む)
申込:定員40名(先着)
   ※参加人数・名前・年齢・連絡先(代表者)をお知らせください。
☆注意事項
・昔のルート(未舗装)で登るため,登山ができるような格好でご参加ください。
・荷物はできるだけ少なくし,リュック等両手が塞がらないようお願いします。
・昼食と飲み物はバス移動後にお渡しします。水分補給等熱中症予防に水筒など飲み物を持参してください。
お問い合わせ・お申込み:新市町観光協会(平日9:00~17:00)
(TEL:0847-52-4882 FAX:0847-52-7177)

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