かんなべじょう

神辺城

広島県福山市

別名 : 神辺道上城、黄葉山城、紅葉山城、楓山城、麓城、村尾城
旧国名 : 備後

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しんしんちゃん

駐車場完備。お手軽に訪問できます。 (2022/12/30 訪問)

神辺城は嘉吉3年(1443)山名氏によってこの地に築かれたとされています。
江戸時代に福島氏のよって近世城郭として改修されたとありますが、水野勝成が入封した
際に福山城を築いて部材を転用してしまったとされ、本丸の南側にわずかな石垣を残す
のみとなっています。
史料館の駐車場が利用でき、四番櫓跡から東へ三番櫓跡、二番櫓跡、二の丸跡を経て
本丸にたどり着きます。
公園として整備されているようで土塁などの遺構は残っていませんが
比較的お手軽に散策できます。

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神辺平野を取り巻く城じろ (2022/03/20 訪問)

城びと先達の訪問後、説明板がいくつか新設されてました。それらを中心に写真をアップします。
芦田川が府中市山中から出てきて沖積平野を作りました。北側の山からの複数の扇状地と併せて東西に長い神辺平野になっています。河口の三角洲地帯に福山市があります。
4番目の写真に神辺平野周辺の説明があります。平野を取り囲む山々にたくさんの城が作られています。また、川向こうの丘の要害山も目を引きます。大内・毛利軍が、尼子側であった、神辺城の山名理興を攻めるも落とせず、川向こうの丘に付け城を築いて長期戦になったと。一年あまり後に山名理興が月山富田城に撤退し落城。その後、山名理興は、毛利元就に許されて神辺城主に返り咲きました。

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青春の巨匠

遺構は無いなんてことはないです (2022/01/08 訪問)

建物や石垣はほとんど福山城に持って行ってしまい、遺構は無いと聞いていたが、曲輪の跡がとても良好に残り、関東なら名城クラス。車なら山上まで行けるが、徒歩だと駅からの案内が無く、えらい遠回りをする羽目になった。駅から直進して神辺小学校の裏手の神社から登るのが正解です。

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小城小次郎

石垣の大半を失っても (2020/11/22 訪問)

恐らくは福山城築城時に石垣の大半を失い、昭和になって公園としての改変も受けながら、今もなお城内には瓦片が点在し、礎石も石垣の残欠も残る。何より曲輪と切岸が織りなす塁線が美しい。まさに通好みの名城と言える。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
天守構造 型式不明[3重/築年不明/解体]
築城主 朝山景連
築城年 建武2年(1335)
主な改修者 山名理興
主な城主 朝山氏、山名氏、杉原氏(毛利氏家臣)、福島氏
廃城年 元和8年(1622)
遺構 曲輪、石垣、横堀(空堀)、移築門
住所 広島県福山市神辺町川北