二本松城跡は、JR東北本線二本松駅から徒歩15分~20分くらい。けっこうの急傾斜を一度登って降りて、歩いていくと、箕輪門と三の丸跡の石垣が見えてきます。
二本松城は、戦国時代は、二本松畠山氏の居城、二本松義継は、伊達政宗の父輝宗を拉致しますが、伊達政宗に追いつかれ、もろともに射殺されたとも、輝宗を刺殺したうえで、自害したともいわれますが、その死体は、政宗に切り刻まれたうえで、藤蔓でつなぎ合わせて晒されたとされます。
難攻不落を誇りましたが、父の仇討に燃える政宗の前に落城、二本松氏は滅亡しました。
その後、数家の城主の変遷を経て、丹羽長秀の孫光重が入城、近世二本松城が完成しました。
明治維新時の戊辰戦争では、藩主長国は、城を捨てて米沢に逃亡、主力は猪苗代方面に出撃の中、少年部隊を含む留守部隊は、新政府軍と激戦を展開し玉砕、城は半日ほどで落城しました。
二本松少年隊は、隊長木村銃太郎以下、多数の若い命が失われました。
現在、二本松少年隊の像の傍らに息子を送り出し、息子のための軍服を仕立て直す母親の像が設置されています。
城跡は、近世二本松城と、中世山城の遺構を散見することができます。
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