大量の巨石を巧みに利用。石積みではなく、方状節理によるもの。
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2020/01/28 22:44
巨石群 (2020/01/12 訪問)
大量の巨石を巧みに利用。石積みではなく、方状節理によるもの。
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2020/01/28 21:13
馬場信春公が諏訪原城築城の前に築城した名城 (2020/01/28 訪問)
馬場信春公が諏訪原城築城の前に築城した名城。武田対徳川の攻防を研究する要所だ。大井川を東向きに張り出す地形で、側壁は大井川の流れで削られて断崖絶壁。長篠城に似ているが、長篠城より全面の幅が150m程度と狭く、そこに有名な三重堀が見事に配置されており、今でもはっきりとその姿を残していて見事だ。武田の軍師、馬場信春公が築城技術を教わった「山本勘助の声がかかっている井戸」って意味はわからないが、三重堀の中にひっそりと当時のままあった。
丸馬出しも当時は勿論実際にあったが、現存する馬出しや三ケ月堀は近年再建したとの事。小山城の天守閣は実際は無かったが、資料館として建てられており、これはこれで小山城を後世に残すためには良いと思った。
この小山城は、武田勝頼公の功績がよくわかるようになっていて、展示してある資料も貴重な物が多いと感じた。受付の方も、凄く丁寧で詳しく、満足度が高かった。
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2020/01/28 20:53
何も無さすぎて困る (2020/01/19 訪問)
先日遠征してきた仙台近辺ですが、帰り際に時間があったのでもう1ヶ所行ってみたのが北目城。
JR東北本線で仙台駅の1つ南の長町駅から歩いて20分強かかりました・・・
前々から現地に遺構は無く、解説があるのみと聞いていたので、ものの5分滞在(撮影等)で引き返しました。
ここから北に30分程歩くと若林城にも行けるのは知っていましたが、この日結構歩いたので止めておきました(若林城も遺構は残っていないハズなので)
奥州伊達家の重要なお城も開発の手には勝てず、北目城は解説版も一度撤去されたほどで、今回場所を変えて設置して頂けただけでも良しとしなければならないのでしょう。
(※土塁とされる遺構があるらしいですが、推定なので・・・あと近くにある毘沙門天堂も北目城に関する場所らしいですが、遺構では無いようなので)
付近に車を止められる場所が見当たらず、道もかなり混雑していたので、出来れば公共交通機関での訪問を推奨と言う事で。。。でもここだけ狙って行くのはかなり損なので、他の用事とのセット程度にしておいた方が。。。
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2020/01/28 20:52
大河効果で大賑わい (2020/01/26 訪問)
花フェスタ記念公園の大河ドラマ館から歩いて15分。大勢の観光客が詰めかけていました。ボランティアガイドの方も多数いらっしゃいました。
そのボランティアガイドの方が、「この城は、壊されてほとんど何も残っていなんですよ。」と嘆いておられたのですが、結構楽しめました。確かに大手門から本丸にかけてはあまり何もなかったですが、西大手曲輪から搦め手門の辺りは色々遺構が残っていて面白かったです。
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2020/01/28 20:40
小牧山城 (2020/01/11 訪問)
【続百名城36城目】
<駐車場他>小牧市役所
<交通手段>車
<見所>土塁・石垣跡
<感想>小牧山の南側半分はくまなく散策しましたが、北側半分は行っていないので全てを語れませんm(_ _)m
北東側の城跡駐車場が工事中だった為、南側の市役所に駐車した。私は最後に行ったのですが、まず最初に「れきしるこまき」に行って、VTR説明や案内図、復元模型等を観賞してから登られる方が分かりやすいです。
私の順路は南側大手道入口から行って、右手きれいな復元土塁がある。大手道中程から左手(西側)に曲がると土塁や竪掘りが見られる。山の西側中腹に曲輪群跡があり、虎口、堀切遺構がある。そのまま遊歩道を登って主郭に行った。模擬天守は工事中で足場・幕が張られていました。ちょっと残念。主郭部は円形でここがかつて石垣が取巻いていた所。転落石が所々にあり、周囲の帯曲輪に裏込石が集められ積まれていた。主郭の東方向下段に信長の居館跡ではないかという場所(表示看板はない。案内パンフに載っている。)がある。天気が良かったので主郭から御嶽山・南アルプスが見えました。主郭から南東方向に降りて行って南東方向中腹には高土塁の遺構が見られる。そのまま下って行って「れきしるこまき」を見学して終了した。これにて百・続百名城の尾張国制覇。
<満足度>★★☆
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2020/01/28 20:30
武田支配時、馬場信春公が増築した城 (2020/01/28 訪問)
四重の堀が円形にあった平城の田中城。立地箇所からして、隣接する川を利用して海に出ていたようだ。現在は、堀が道路に変わっていったのか、まるで高速道路のインターチェンジを走っているように道路形状が円形で狭いうえ駐車スペースもないが、またそれが面白い。本丸跡は小学校になっているが、その周りに堀やら橋やら、土塁やらが点在している。明治維新の頃まで廃城にならずに頑張ってくれただけあって状態は結構良い。三ケ月堀の丸馬出しの隣にあるお宅など、擁壁を三ヶ月堀に合わせて丸く出来ていて、オシャレだった。田中城本丸櫓は屋敷として移築されていた。これが本丸にあったと言うが、全く戦を感じさせない優雅さすら感じた。
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2020/01/28 19:48
小豆島 (2020/01/26 訪問)
東峰と西峰にまたがる城。
写真は東峰のパゴダと舟形遺構。
パゴダはある宗教団体が星ヶ城の石積を利用して造ったそうです。
山頂からの瀬戸内海は絶景です。
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2020/01/28 17:41
巨石と絶景の城 (2020/01/19 訪問)
南北朝初期に土岐頼重が築城したと伝わり、その後、土岐明智氏一族の妻木氏が代々城主となりました。明智光秀正室の熙子は妻木氏の出身と言われ、熙子の伯父(または父)の妻木広忠は本能寺の変では光秀に従い、山崎の戦いで敗れて自刃。孫の妻木頼忠が家督を継ぎ、東美濃に勢力を伸ばしてきた森氏の傘下に入りましたが、川中島転封には従わず妻木に留まり、関ヶ原の戦いでは東軍に属して戦功を挙げ、徳川家康から改めてこの地の領主として認められました。関ヶ原の戦いの後、山麓に御殿や士屋敷を整備して移り住み、元和年間には妻木城は放棄されたようです。
石垣で二段に区画された山頂部の曲輪を中心に、北側に三の曲輪、南側に伝南曲輪、西側に伝太鼓櫓などの曲輪群を配し、一の曲輪には旗立岩の伝承がある巨石、伝物見杉、石垣造りの虎口があり、二の曲輪の北部には枡形虎口が設けられています。三の曲輪からは妻木城下はもとより、白山から御嶽山、中央アルプスの山並みを見晴るかす絶景! 一の曲輪の西側には土塁で囲まれた井戸跡があり、伝太鼓櫓の南側には堀切とくさび跡のある巨石が残っています。
また、旗立岩やくさび跡のある巨石だけでなく、城域には至るところに巨石がごろごろとしており、中でも一の曲輪の南から南東にかけての巨石群は圧倒的で、節理によるものと理解はしていても、人の手で綺麗に積まれた石垣にしか見えません。
岩村城や苗木城に行く際に何度か近くは通っていながら、なかなか来る機会がありませんでしたが、山城サミットで妻木城さんさくマップをもらって行きたい気持ちが募り、ニッポン城めぐりの明智光秀イベントにあわせて訪れることができました。巨石群と絶景が見どころという意味で、苗木城には及ばないまでも苗木城が好きな人ならきっと楽しめると思います。
(後編・士屋敷編へ続く)
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2020/01/28 16:21
滋賀県側(柳ヶ瀬)から玄蕃尾城への行き方について (2020/01/18 訪問)
玄蕃尾城へのアクセスは敦賀側の林道が通行止めになっているので、滋賀県側から登城をおすすめします。
その滋賀県側からの登城ルートがあまり情報がなく、私自身も少し迷ってしまいました。
そこで滋賀県側(柳ヶ瀬)からの登城ルートについてブログにまとめましたので、参考にしていただければ幸いです。
japan-castle100.blog.jp/archives/5316326.html
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2020/01/28 09:09
2020/01/28 09:02
2020/01/28 08:51
2020/01/28 06:14
2020/01/28 05:21
新興住宅地の中の城跡公園 (2020/01/20 訪問)
古屋城跡は、JR物井駅から徒歩12分くらい。住宅街の一角の公園として整備されています。以前は地主さんが頑張って、遺構を残してくださっていました。
10数年前からモネの里として住宅地としての開発が始まり、城跡も公団の手に渡りましたが、地主さんが公団に公園として残すことを条件にしてくださったために、公園として残りました。
その後しばらく、公園整備のため、立ち入り禁止の状態が続いていましたが、2年ほど前に、公開の運びとなりました。
開園直後は、非常にきれいに整備されていたのですが、現在は、台風被害などもあり、やや、荒れた印象となっています。
公園整備、宅地開発に伴い、発掘調査が行われ、障子堀が出ているそうです。
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2020/01/27 22:29
2020/01/27 22:16
これが県指定史跡だと!? (2020/01/19 訪問)
駐車場は近くの運動公園を利用。
いやここ堀切と言い石積みと言い物凄い綺麗に残ってて驚きです。
縄張は完全に赤松系ですね。
これで県指定史跡なのが驚きですね。
国指定レベルだと思います(個人的に)
登りごたえと言い、遺構の密度と言い、かなりバランスの取れた満足度の高い城跡です
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2020/01/27 21:56
黒川氏城 (2020/01/04 訪問)
【黒川氏城】
<駐車場他>鯎川(うぐいかわ)公園駐車場
<交通手段>車
<見所>曲輪・土塁・堀切・横堀・堅堀・石垣・切岸
<感想>新春1泊2日伊勢攻め城の旅5城目。松阪からの帰路で攻め城を決めるのにYAICHIさんのお勧め投稿を見て決定し登城した。
城跡入口は県道9号線の鯎川の橋の脇に城跡の説明板があり、入口ゲートがありますのでそこから入ります。南に200㍍程行ってもう一度城山のゲートを入ると城跡に入れます。
現地案内板より抜粋・まとめるとこの城跡は「複数の曲輪、石垣を用いるなどして甲賀市域に存在する城とは大きく異なる様相をもつ。主郭土塁内側にある雁木は近世城郭の特徴であるが、一直線状にのびる大手道周辺に複数の曲輪を配するなど、織豊期城郭の要素が強くみられる。このことから本城は1584年の羽柴秀吉による北伊勢攻撃の際に築城され、その後黒川氏が旗本として徳川家に仕え1622年以降に主郭周りに改修を加えた可能性が考えられる。」とあります。
城跡は大きく分けると北側半分が主に方形の屋敷跡群があり、南側半分が主郭を中心とした帯曲輪・山の地形に沿った曲輪の配置をしている。まず北側半分の曲輪群を攻める。縄張り図郭Ⅳ・Ⅴおよび北側の曲輪群までは階段状に曲輪があり、そこから南側の曲輪群は比高がぐんと上がるかたちとなる。縄張り図Ⅳの西側の曲輪切岸は高さ20㍍以上あり見応えある。Ⅵ曲輪北側は横堀を備え、切岸は14㍍程、虎口に石垣遺構が残る。2重堀を備えた曲輪もある。
次に南側半分の主郭を中心とした部分を攻める。主郭南側は大堀切、いくつかの曲輪を備えている。主郭周辺は主に帯曲輪、主郭虎口は北側・西側の2箇所にあり、石垣遺構が残る。西側の虎口受け箇所には石段遺構も見られる。主郭は横堀があり周囲は切岸17~18㍍程はある。主郭北側虎口の北側は傾斜がきつく、道もないので散策はできなかった。
城郭規模が大きいのでたっぷり2時間弱十分堪能できました。私も後追いですがお勧めします。見応えあるいい城跡です。
これにて1泊2日伊勢国攻め城の旅終了、564㎞無事走破。
<満足度>◆◆◆
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2020/01/27 21:43
近世の御殿と中世の山城 (2020/01/26 訪問)
山麓には、関ケ原の戦い後に改修された御殿跡があります。とっても綺麗な野面積みです。
山上には、曲輪・堀切・土塁・石垣・枡形虎口などが多数残っています。築城は14世紀まで遡る可能性がありますが、たぶん遺構は戦国時代なんでしょうね。
中腹から山上にかけて巨石がたくさんあるのもこの城の特徴です。石垣があるのは一の曲輪・二の曲輪周辺だけなのですが、その少し下の辺りには加工途中の石垣(矢穴のある石垣)が多数確認できます。
あと、矢印が各所についているので、迷わずに一の曲輪や伝太鼓櫓・伝南曲輪等にたどり着けましたが、なかなか複雑な構造で、迷路みたいでした。実際の戦いなら攻めるの大変ですね!
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2020/01/27 21:39
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