みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

こるまろ

東美濃の山城周遊スタンプラリーの2城目 (2019/03/10 訪問)

東美濃の山城周遊スタンプラリーの2城目。 登城&スタンプ。 岩村歴史資料館閉館で2日連続通い。
ブログ1日目: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/42973869/
ブログ2日目: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/42978132/

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

こるまろ

続日本100名城の6城目 & 東美濃の山城周遊スタンプラリー (2019/03/10 訪問)

続日本100名城の6城目 & 東美濃の山城周遊スタンプラリーの1城目
ブログ:https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/42969109/

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

姫街道

諏訪原城から高天神城を攻め上がる (2020/01/10 訪問)

距離にして20km。諏訪原城から高天神城を攻めた。道中、高天神城に近くなると峠はあるが、さほどではなく、むしろ現在の菊川市中心部を通る事の方が気になった。ただ、「高天神城攻防城砦図」を見ても、諏訪原城から高天神城への道中、特に城や砦が無く、朝立てば昼には着いたかなとも思う(笑)さて、二回目の高天神城。北遠の山城を見てまわってきた影響からか、標高は高く感じない。良く言われる高天神城西側緩斜面も明らかに弱点だとわかる。井戸曲輪を挟んだH型の尾根形状。岩で堅く、弱点の西側尾根を切り捨てれずに必死で守ったのもわかる。それはさておき…今回気が付いたのは、加藤先生が講演会おっしゃっていた、本丸へ続く尾根の厳しさだ。現在の山道の横にひっそりと残っていた。きっと当時は現在の山道は無く、人一人がやっと通れる幅で、当時は岩山剥き出し状態。敵は、厳しい尾根を這うように本丸へ向かう途中、無残にも石でも投げられ、崖底へ落ちたのだろう。。。さらに、この城では「高天神城の六砦」が、凄く有効的だったと想像される。高天神城と砦の位置関係が抜群に良いように感じた。今回も北側駐車場から攻城したが、次回は南側や、西側緩斜面からの攻城に挑戦してみたい。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

こるまろ

2020新年あけまして米子城 (2020/01/01 訪問)

米子城天守台から望む元旦初日の出。 今年も曇り空で冴えませんでした・・。
ブログ: https://minkara.carview.co.jp/userid/1532104/blog/43601056/

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

姫街道

後ろ堅固の城 (2020/01/10 訪問)

二回目の攻城。今回は、西向き扇城の最南端にある二の曲輪東内馬出付近の勉強をテーマにのぞんだ。二の曲輪東内馬出は土塁もあり非常に堅固な馬出しだが、そこから外側に張り出すように作られた、ニの曲輪南馬出及びニの曲輪東馬出については土塁もなく、まさに「戦の最前線、特攻隊の曲輪」だ!特に、東側は断崖絶壁であるニの曲輪東馬出については、ニの曲輪東内馬出からの土橋は一人がやっと通れる幅の崖の尾根で、今日では立ち入り禁止となっているが、ニの曲輪東内馬出から意を決っして東馬出しに突撃していったであろう勇ましい武士達の姿が浮かび上がり武者震いが起きる。土塁がない狭い曲輪である南馬出しや東馬出しからは、多くの鉄砲弾が出土されており、激しい戦の跡が伺える。後ろ堅固城、扇城に対して、敵は正面からは来ない。扇の端部から攻めてくるのが自然な考えであり、防御・攻撃の施設が端部にある理由も、ただ諏訪原城は、後ろ堅固城の陣営であるが、他の有名な山城に比べると、後ろが断崖絶壁とまでは言えず、攻め上がろうとすれば攻めれたであろう地形だ。したがって扇の要、本曲輪の後ろにも内堀があるのが面白い。この城は、旧東海道沿いにあり、「来るなら来い」的な城だったのではないかと感じた。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

令和2年初の登城詣で (2020/01/10 訪問)

 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。
 本日浜松城二の丸北下段駐車場の北側に在るホテルコンコルド浜松で新年会が有りましたので新年会終了後令和2年初めての登城として浜松城に登りました晴天西日に付き日の当たる面を撮影。
 登城後秀忠公の産土神社である五社神社を初詣、国宝の五社神社、諏訪神社各本殿は昭和20年の空襲で焼失し戦後市民の力で五社、諏訪併せて再建し現在に至っています、勿論徳川家康公も祀って有りますので往時の参勤交代の行き帰りには各諸侯参拝を欠かせ無かった様です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

阿木城 (2019/12/15 訪問)

【阿木城】
<駐車場他>登城口前に3台程度あり。
<交通手段>車

<見所>堀切・竪掘り・曲輪
<感想>日帰り御城印5城分購入の旅1城目。御城印購入する岩村城に近く、ここも御城印が頂けて、整備が良いということで来城した。登城口は城跡東側の道路沿いにあり、阿木駅からも案内があるのですぐわかるかと思います。
 山城扱いにはなっていますが、比高はそれほどなく、ハイキング感覚で行けます。堀切の下や竪掘り近くまで見るにはトレッキングシューズが必要です。
 城跡はかなり広い円形の主郭に帯状の腰曲輪があり、主郭部分は10㍍程の切岸になっている。腰曲輪の一部が広い削平地で二の曲輪がある。二の曲輪を含む腰曲輪の下のほうは山の形状に沿って堀切・竪掘り・曲輪等がある。

存在する遺構部分はちょうどいい感じに間伐されており小さい城跡ながらも非常に見応えあり綺麗にしていました。御城印・パンフレットを作成したり、絶えず整備をされている地元の方の気持ちが伝わりました。
 見終わって車に戻った時にちょうど地元の整備されてる方が防獣柵の搬入をしていたのでお話しできました。

<満足度>◆◆◆

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

正覚寺合戦 (2019/12/14 訪問)

平安初期に空海の開基による正覚寺を戦国期に畠山政長が城砦化した城で、明応2(1493)年の正覚寺合戦で焼失、正覚寺も廃寺となりました。また、天正5(1577)年には石山本願寺攻めのため織田信長がこの地に本陣を置いたようです。

現在の旭神社が城跡で、境内の石柵で囲まれた巨木の脇に城跡碑が、その近くに旭神社誌がありますが、遺構は消滅しています。

旭神社から東北東に徒歩3分の東之坊は、正覚寺旧六坊のうち唯一現存しており、山門脇には「正覚廃寺の由来」の石碑が建てられています。

東之坊から東南東に徒歩1分のところには、畠山政長の墓所があります。畠山政長といえば応仁の乱の発端の一人として後世に大きな影響を与えた有名人…のはずですが、金網とブロック塀に囲まれた墓所は訪れる人影もなく(というか柵に鍵がかかっています)、何ともうら寂しい雰囲気でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

スプラNNNN

岩村城下 岐阜県恵那市 (2019/12/21 訪問)

岩村城の下にある古い町並みです。
すごくいい感じの所でした。午後4時に行ったのでおじんまりしていた。
城下には岩村名物カステーラで有名な松浦軒本店でカステーラを買った、おいしいよ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
朝ドラの半分青いのロケ地です。五平餅食べたよ~~~~~~~~~~~~~~~~

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

スプラNNNN

妻籠宿 長野県 (2019/12/21 訪問)

馬籠宿のついでに行った。
食べ歩きの店はあまりないがいいまちなみだった。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

スプラNNNN

馬籠宿 岐阜県中津川市 (2019/12/21 訪問)

坂の町並みです。今日は結構こじんまりしてた。
栗ふくとおやきとおかき食べたよ~~~~~~~~~~~
フォローしてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

菊池十八外城 (2020/01/06 訪問)

菊池渓谷にある市成城、中央駐車場が閉ざされていて、遊歩道のマップにも市成城に通ずる道にすべて×がつけられていたので登城を断念。気を取り直して黄金塚城を攻めました。簡単に主郭にたどり着くことができましたが、菊池十八外城の中では眺望が良い城の部類に入るかと思います。

+ 続きを読む

退会済み
ユーザー

白鳥十郎築城、谷地城。白鳥は城取だった?

白鳥十郎築城谷地城は、山形城藩主最上義光の騙し討ちで滅びました。城跡は今は小さな神社となっています。ただ、白鳥十郎出身地の河北町谷地北方10キロ村山市白鳥地区の麓に白鳥城址の遺跡が残っています。白鳥十郎はここを本拠地としていたようです。ちなみに、白鳥十郎はそもそも城を取るのが早い武将であったため、城取十郎と言われていたと地元の人は語っております。
谷地に行く機会があれば写真アップします。

+ 続きを読む

国重

伝天守台の石垣と各曲輪の土塁がよかったです。 (2019/12/22 訪問)

 この城跡は、戦国時代から江戸時代にかけての山城で、五本竹城・世直城とも言われた。築城年代は明らかではないが宮氏が築城し、のち大富山城を築いて西に移るまで、宮氏の本城とされた。【現地案内板より抜粋】
 広い駐車場があり、そこから歩道橋に向けて歩くと登山口があります。駐車場の上を通る道は荒れているので、歩道橋を目指して進むのが正解です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

退会済み
ユーザー

花見、他の季節も (2017/04/28 訪問)

広々していて好きです。

+ 続きを読む

ほむほむ

近くに飯田城跡があります (2017/09/10 訪問)

護摩堂城の帰りに寄りました。
飯田城跡が(五十嵐神社)が目的で行き、道を間違えたら近くに五十嵐館の標柱を見つけ、そのまま寄りました。
単郭の方形で復元状態も良く、きちんと整備されています。
駐車場はないのですが、標柱の近くに駐車スペース(37.571224,139.047404)があります。

五十嵐館から歩いて5分の所に飯田城跡(五十嵐神社)があるので、セットで。
主郭(五十嵐神社本殿)の背後に土塁と空堀が現存しています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

米沢城

会津の大大名から米沢に押しこまれた上杉氏の城だけに見た目はとっても控え目なお城。だがその内面は相当に熱かったことだろう。何しろ本丸に上杉謙信が埋まっていたのだから(現在は改葬)。

+ 続きを読む

くっしー

土塁が残っていますが… (2019/10/30 訪問)

現状は円長寺というお寺になっています。
本堂の裏に土塁が残っていますが、お寺の敷地内なので見るにはお寺の方の許可が必要です。

+ 続きを読む

カルビン

鶴瓶落とし (2019/12/28 訪問)

宇和島城の麓にあるバスセンターから松丸駅方面行バスにて駅前下車して河後森城へ。。。この時点で16:00過ぎ。
12/28にもなると、特に西は日の入りが早く、山間部になると尚更鶴瓶が落ちるの早くて焦るww

難波友有れ(←?)スタンプゲットを優先し、駅近の登城口からまっすぐにスタンプ置き場を探して本丸へ。
事前入手した地図には西十曲輪の小屋にスタンプあると言う事すっかり忘れて本丸に到着し、そこでスタンプ探して焦る間に夕日が山に落ちて行く・・・

慌てて資料確認し、西十曲輪に到着し、スタンプ入手した時には若干河後森城域が薄暗くなっており、慌てて下山する事に。
(もう獣が・・・特に猪が出そうでパニックしてましたw)

最後に井戸曲輪を確認して駐車場の所経由で松丸駅に戻りましたε=(´Д`;)

恐らくまだ1/3以上(もっとちゃんとした石垣や堀切もあったハズなんですが)は見れていないんだと思いますが・・・日没には勝てぬorz
ただ河後森城は曲輪がメインで、堀・堀切・土塁等はそれ程多くは無いようでした。


更に追い打ちをかける様に、この日の宿泊地へ向かう高知・中村方面行の予讃線が90分待ちという・・・orz
予讃線本数少なすぎる(涙)
※1両編成なのにお客様ほとんどおらず・・・廃線にならないだけマシなのか・・・

四国西部、公共交通機関でのお城巡りに厳しい場所でした(汗)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

白石城

土台ごと復元された大櫓はどう見ても実質"天守"。復元から時を経て風格も出てきたようだ。市内に残る移築城門もなかなかに可愛いと思う。

+ 続きを読む

ページ1593