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カズサン

山頂に模擬天守建ってる (2017/11/24 訪問)

 常盤城の認知は以前よりしていたのですが三春城登城時、小浜城登城時、福島県東北道通過時、時間の余裕が有ったら登城しようとリストアップはしていたのですがタイムアップで延ばし延ばしのまま、常盤城に絞って初登城しました。
 何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん情報で道案内、ナビを常盤城の中腹三の丸駐車場に合わせ走行、模擬天守が見え県道154号線より山道に突き当り三の丸駐車場。主郭、主郭に模擬天守閣(入館できず)、二の丸、三の丸、数曲輪が連なってる。
 別名旭城、本丸に旭城名石碑が立ってる。

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くろもり

鎌倉時代末期の多治見の武将 (2019/09/14 訪問)

岐阜県多治見市にある屋敷跡ですが、遺構や説明は特になく遺址碑がありました。

多治見国長(正応2年-正中元年・1289-1324)は、美濃国(岐阜県南部)の守護・土岐頼貞(ときよりさだ)の同族。後醍醐天皇の鎌倉幕府討伐計画に参加するも、一族の妻の密告により計画が発覚します。国長公の京都の宿所は六波羅探題の軍勢三千余騎により包囲されますが、わずか20人で勇敢に戦った末に非業な最期をとげました。これを「正中の変」といい、「太平記」などにも記されています。

現在も「ぎんざ商店街」の一角に残る「多治見国長公遺址」。かつては国長公の屋敷がここから西南に縦横100m程あったといわれています。明治13年の明治天皇巡幸の際に、遺跡として保存するために小さなほこらを建てて、霊を祭ったそうです。

以上、多治見市観光協会のHPより。

多治見国長公は後醍醐天皇の呼びかけに応じて京に上るも、武運つたなく討たれてしまったので、1905年11月18日に正四位を追贈されたそうです。また、毎年11月3日に開催される多治見まつりでは、市長扮する国長公の他、土岐一族も揃っての武者行列で市内を練り歩いたり、土岐川に架かる橋は「国長橋」と名付けられているようです。地元の武将を大切にしているなんて、多治見素敵やん。

近くに駐車場がなかったので、すぐ近くの「中華天国」さんの駐車場に止めてお昼を頂いて(ご当地グルメの「たじみそ焼きそば」が食べられます!)カミさんに会計まかせてる間にささっと写真をとりました。観光協会のHPによると「中華天国」さん辺りも屋敷跡の一部だったようです。多治見駅からだと1kmで徒歩15分程のようです。

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カルビン

車で立ち入っても良いのかわからず (2015/05/30 訪問)

この日は今川氏関係の史跡をメインに巡って花倉城や長慶寺等を訪問し、その足で持舟城にも立ち寄りました。
(現地では「船」ではなく「舟」と書かれていたので、あえてコチラで)

浅間神社の脇に蜜柑畑への農道坂道があり、その先に持舟城があったのですが、この農道が車で進んでも良いのか解らず、わざわざトラブルに巻き込まれるのも何なんで、麓のスペースに車止めて登城しました。

農道脇から延びる階段の先に主郭があり、解説や城碑が置かれた公園のような場所になってました。
ここからのオーシャンビューは絶景です(・ω< )b

初夏にして鬱蒼としていた林の先に堀切とニノ郭がありましたが、遺構があるのはどうやらこれだけだった模様。。。解説には虎口とかかかれていたものの、車が気になってそこまでは足を延ばしませんでした。
期待していなかったものの、堀切の存在で十分満足出来たので良しとしましょう(^ω^;)

農道の坂道の途中にあった浅間山砦跡地も覗いてみましたが、特に何も残っておらず。。。逆に斜面にどうやって砦設けたのかがちょっと気になりましたがw


持舟城自体を狙って訪問する程規模は大きく無いので、他にも沢山ある静岡のお城検索の際に立ち寄る程度で十分かと思います。

JR東海道本線用宗駅が結構近いので、運行本数気にならなければ電車での訪問もアリかと。

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todo94

2代将軍の本陣 (2019/08/17 訪問)

大坂冬の陣における2代将軍・徳川秀忠の本陣が置かれた御勝山。道路で分断されている御勝山古墳の前方部は公園になっていて後円部のみが残っていますが、後円部には立ち入ることができません。猛暑の一日、かなり無理をしてたくさん歩いて大量発汗してしまいました。この後、飲んだプレミアムモルツのおいしかったことといったら。

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チェブ

畜産は大変です。 (2019/08/24 訪問)

暑い夏の日に群馬県藤岡市の「平井城」に行きました。
鎌倉公方の足利 持氏さん VS 関東管領の山内上杉 憲実さん=永享の乱がきっかけで憲実さんが築城したそうです。
関東のお城は、いろんな上杉氏と鎌倉公方や古河公方やらが争っているので非常に、頭がこんがらがります。
後々、山内上杉氏の拠点になります。
争いは続きますが、、、。
現在の「平井城」、駐車場もある「平井城址公園」です。
「平井城」や山内上杉氏等々の説明板がたくさんありました。
遊具はありません。まさに「平井城」の為の公園ですよ。
土塁も復元されていて登れます。
奥には上杉氏一族の石碑もあり、上杉 謙信さんのちょっと前の歴史がわかります。

ただ、匂いが、、、。
私の祖父は昔、酪農をしてましたので、懐かしい匂いと思ってましたが、やはり(笑)
この辺りは畜産をしているお宅、よく見ました。
リスクと体力の限界、後継ぎ問題で祖父の代で終わらせた酪農家。
畜産は大変です。風向きと相談して「平井城」攻め、いかがでしょうか?

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カズサン

樹木伐採され景観良好 (2017/12/09 訪問)

 松平氏館、松平東照宮を終えて車を神社駐車場から国道301号線沿いで松平東照宮案内看板有る観光駐車場に停め、東側に在る山容を見上げるとそこが松平城、看板裏の村道を数分で登城口。
 登城口には城名石碑、案内解説板有り、杉林等が伐採され登城路、曲輪、土塁、城塁が見やすくなって居ました、小さな曲輪を段々に登り2曲輪、1曲輪そう広くは有りません、登る途中右手に4曲輪小屋有り、上段3曲輪小ぶりな山城初登城。
 この後地道国道301号線を戻って奥三河、北遠の山道ドライブ。

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カズサン

家康のふるさと (2017/12/09 訪問)

 一昨年の大河ドラマ直虎が終わる頃12月奥三河で未踏の城廻り、新城市は廻ってるし豊田市大給城は登城済、新東名で浜松ICから1区間新城ICで降り国道301号線沿いの城を新城市の和田城、豊田市の大桑城、羽布城、孫根城、大沼城、代官屋敷、代官屋敷城、田代城と新探訪し家康のふるさと松平氏の郷、館跡は現在松平東照宮が鎮座し水堀、石垣は往時を偲ばせる、家康誕生に産湯の水として竹筒に入れ岡崎に持って行ったと言う井戸も有り、境内に博物館松平郷館が有り松平家の資料を展示してる。
 松平氏館は松平太郎左衛門家交代寄合旗本440石で1万石の大名格式で江戸参府出来たとか。(パンフレット抜粋)

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しろりん

3度目の小田原城 (2019/09/15 訪問)

今回は下から見上げただけですが、「えっさほい踊り」
というお祭りをしてて、賑やかでした。

以前来た時に、近くの報徳二宮神社の御朱印を
頂いてなかったので、今回はそちらがメイン。
神社の亀🐢と二宮金次郎像が印象的でした。

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しろりん

一夜城 (2019/09/15 訪問)

小田原からバスで行きました。
ボランティアのガイドさんに案内してもらって、
良かったです(^^)
この石垣は、野面積みというらしいです。

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虹爺々

やっと念願叶い登城! (2019/09/12 訪問)

五稜郭は長年行って見たかったお城の一つで、今回やっと実現できた。
今まで登城した日本のお城と違うが、幕末の函館にあうお城。

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橋吉

新宮城 (2019/07/15 訪問)

まずは、阿須賀神社の境内にある新宮市立歴史民俗資料館へ、
続日本100名城スタンプは2Fの展示室、新宮城の展示の隣にあります。
パンフレットもここで頂きました。

その後、自家用車で新宮城跡(丹鶴城公園)西にある観光客駐車場に移動、登城しました。
なお、松ノ丸から水ノ手に向かう道は崖崩れのため、通行止めになっていましたので、観光客駐車場から向かいました。

見学時間、約1時間でした。

見学後、総本家 めはりや 本店 でめはり寿司をいただきました。
新宮に来たらやっぱりこの味です。

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橋吉

和歌山城 (2010/11/07 訪問)

紀伊徳川家の城だけあって、縄張りは広く見応えがあります。西の丸庭園は無料でありながらすばらしい景観でした。

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にのまる

戦国期武田氏の蔵前衆頭古屋氏屋敷と伝わる。 (2019/09/01 訪問)

於曽屋敷から向かった連方屋敷は無人駅の東山梨駅からすぐのところにあります。
草刈りをしてもすぐに伸びてくる時期なのに、広場一面、きれいに刈りそろえられていて、すっごく気持ちいいです。

春に来た時は親子がサッカーしていましたがこの日は誰もいなかったので独り占め。と言っても特にすることはないので、真ん中を堂々と横切って反対側の出入り口から出ました。
隣接するお宅と畑も含めてのお屋敷だったようでそちらにも土塁と説明板があり、元々水堀だったのでしょうか、水路がありました。

時間も充分あったので近くにある清白寺へ。1415年建立の国宝仏殿があります。

そこから今度は大井俣窪八幡神社へ移動。
武田信虎(信玄のお父さん)が造営した本殿や寄進した大鳥居(現存最古の木造鳥居)など歴史も古く、見どころもたくさんでした。連方屋敷から直進で2kmくらいなので歩いて行けます。

山梨市民会館に移動して平山先生の「窪八幡神社本殿建立500年記念講演会」を拝聴してこの日の予定は終了。
帰りの電車まで時間が微妙だったので山梨市駅までダッシュ。からの八王子まで爆睡。。。
山城に行ったわけでもないのに2万歩超え。いろいろ行けて楽しい一日でした٩(^‿^)۶

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カズタヌ

シャチホコ (2016/01/16 訪問)

何回足を運んだかわかない好きなお城です
本丸御殿も完成✌️

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カズサン

香川元太郎画伯の深大寺城図に誘われて (2018/02/24 訪問)

 先に八王子市片倉町の片倉城を攻城し主目的の深大寺城へ、中央道を八王子ICから調布IC経由してナビを深大寺門前にして走行、深大寺門前に入るが駐車場が数多くのそばや店に在るが満車状態、ひっそりと山側深大寺城三の丸北側下に在り停める有料700円だったか?

 神代植物公園付属の水生植物園内に在る深大寺城初登城、ここは学研戦国の城で香川元太郎画伯の深大寺城俯瞰図を見てそれまで意識して無かった城ですが是非見たいと数年越しの初登城感激一入です。

 水生植物園(無料)に入ると入口に案内板に深大寺城、方向指示板も有り段丘の坂道を登ると二の丸そば畑が歓迎してくれます、直ぐに2郭広場、1郭と虎口土塁、横堀が本丸を囲ってます、西側に2郭、その西が3郭、はテニスコート私有地入れません、曲輪、土塁、横堀を探訪写真撮影、奇麗に保存管理整備されてます、東に舌状丘陵を連郭式に築城さてる、1郭東坂を下城して水生公園側から丘陵を城塁にした深大寺城を遠望する。

 終わって折角の深大寺、ざる蕎麦を食べなくちゃあと近くの蕎麦屋へ並んで待ちそばを堪能、深大寺参拝、国宝白鳳釈迦如来佛もお参り、土曜日と有ってお寺、門前、蕎麦屋とも大勢の人で賑わってました。 大変満足は城探訪でした。

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国重

塩山城 (塩城山城・潮城) (2019/09/16 訪問)

城びとには登録されていませんが、近所の塩山城(塩城山城)に行ってきました。
場所 岡山県新見市上熊谷
駐車できる場所 (35.0244,133.5122)
お城について 塩山城 (新見市文化財)
塩山城は、標高587m(比高287m)の急峻な山容を持つ塩城山の山頂に築城されいた山城である。塩ヶ城ともいう。1184年多治部元春の開基とされている。1600年多治部大輔景勝は、毛利勢として関ヶ原の戦いに参戦するものの17歳で討ち死にした。景勝の死をもって塩山城は廃城となった。
遺構は、東西40m、南北80mの範囲である。見所としては、南の腰曲輪に高さ2mの石垣が残されている。また、5合目付近の曲輪にも石積みが見られる。
登山道は、所々に標識と赤いテープで印がつけられている。5合目手前からは一人がやっと通れるぐらいの幅でとても急になってくる。山の斜度は50°ぐらいはありそうです。足を踏み外さないように注意してください。また、これからは3時頃には日陰になり木立の中は薄暗くなるので午前中に登るのがいいです。

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刑部

歴史資料館 公園 (2019/09/15 訪問)

庭園を散策しました。

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刑部

里見氏の名前がついた公園 (2019/09/15 訪問)

矢切の渡しから舟で葛飾柴又へ帰り道に寄ってきました、石積みは当時のものなのでしょうか?特に遺構はありませんがそれなりに雰囲気あります。 何故か井戸あとが外れの方にあります。

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橋吉

宇陀松山城 (2019/04/07 訪問)

道の駅「宇陀路大宇陀」にバイクを駐めました。
道の駅から少し歩くと古い街並みが残されています。
その一角にある千軒舎で、続日本百名城のスタンプを押し、地図をいただきました。
千軒舎の裏手から登城開始。
虎口まで15分でした。

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橋吉

高取城 (2008/06/14 訪問)

登り口は2カ所あります。無創館まえの道を通っていくと宗泉寺あたりから約1時間歩くことになります。壺阪寺から細い山道を登っていくと本丸まで5分くらいのところまで車で行けます(道は細いです)。

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