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にのまる

小学校 (2018/06/14 訪問)

築城年も築城主も不明で遺構もなくて現在は小学校。外から写真だけ撮ってきました。夕方で児童がいなくて助かった(^_^;)
世田谷区内の9城フルコンプです。

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オダリン

本来中津城には天守は存在しない (2010/09/29 訪問)

中津城の模擬天守は山口の萩城天守を参考にした。黒田官兵衛が築いた石垣と、その後細川忠興が拡張した際に築いた石垣があり、二つの石垣を比べるのも興味深い一面がある。

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オダリン

丹生島に築かれた海に浮かぶ城。大友宗麟によって築かれた (2010/09/29 訪問)

現存櫓が2つあり大門櫓は復元。本丸の石垣がかなり残っており見ごたえがある。

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todo94

天草の城 (2009/05/04 訪問)

天草下島の入り口に当たる本渡には殉教公園があり、そこは本渡城の跡だというので足を伸ばしてみた。雨がさらに強くなっていたのでカメラをTシャツの中に入れて守りながら何とか本丸城址碑だけは写真を撮ってくることができた。

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todo94

天草の城 (2009/05/04 訪問)

全く事前の下調べをしていなかったのだが、いきなり模擬城郭建築のビジターセンターの偉容がとびこんできて度肝を抜かれる。石垣にもだいぶ復元の手が入っているようだ。島原の乱の際の戦場ということで原城のような佇まいを想像していたのだ。しかし、もちろん現存の石垣遺構もあり、南蛮船が行き交う東シナ海をにらむその位置から国防のために要塞のごとき城が築かれたという背景もあるようである。そして太平の寛文期に廃城。二の丸には日本の恩人として勝海舟と頼山陽の銅像、天草の恩人として初代代官・鈴木重成と鈴木正三の銅像が建っている。城の本丸に築かれたビジターセンターの展示や立体映像も一通り見ていった。天草の石高半減を直訴したのち逝去した鈴木重成は天草では神のごとき存在のようで鈴木神社も存在する。

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うさ

多気北畠氏城館 (2018/06/22 訪問)

細い山道でした。

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うさ

津城 (2018/06/22 訪問)

初めて御朱印をいただきました。これからはお城と共に勉強していきたいなと思います。

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城田木阿弥

八木城 (2018/06/21 訪問)

保存会があり、麓に私設の記念館がある。
国史跡指定になって約20年ほど、石垣はかなりの歴史を持っていそうである。
今回は土城まで辿りつけず、次回に期待。

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城田木阿弥

近世から近代、そして今を伝える城下町 (2018/06/21 訪問)

辰鼓楼を中心にして、城下町にはたくさんの蕎麦屋をはじめ土産物屋、商店が並ぶ。
近年では但馬最古の芝居小屋「永楽館」が開館。時代を超えた文化の香りが漂う。
個人的には酒蔵のある場所から見上げる有子山がビューポイントに感じた。
柳行李を購入したかったが、今回は断念。また再訪したい場所である。
城郭は、現在都市公園になっているそうだ。稲荷曲輪にある神社への階段沿いの石垣には、ユキノシタが満開であった。

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城田木阿弥

天守からの眺めは絶景 (2018/06/21 訪問)

登山口にお助け杖が置いてあり、覚悟を決めて登城せねばならいことを知る。
城跡は、随分整備されていて、天守台には立派な四阿が建っている。そこからの眺めは絶景で、出石城下町が一望できる。SNSを見ていると途中で断念したという書きこみも随分見かける。十分な備えが必要。

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オダリン

本丸に天守は無かった (2011/02/24 訪問)

立派な高石垣が往時のまま残っており往時には3層と2層の櫓が7つも建っていた。筑後川を自然の濠とし険要の地にある。

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オダリン

本来の天守は南蛮造りだった。 (2010/09/29 訪問)

高い石垣に白い城壁が美しい

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todo94

天草の城 (2009/05/04 訪問)

久玉城には石垣の遺構があるとのことで少し期待していたのだが、石垣の下から見上げることはできなかった。それでも連郭式の郭はよく残っている。

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todo94

ゴールデンウイークの攻城 (2009/05/04 訪問)

きれいな段を見せている郭の連なりに期待が高まるが吉野ヶ里のようにコンクリートで固めた空堀には幻滅。建物跡が示された千畳敷もさほど見栄えのするものではない。

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dougen

2014.11.16登城 (2014/11/16 訪問)

菅野城から国道166号、国道165号、国道24号、国道309号を経由して、村道に入り給食センターの前あたりに城址の案内板があり、入って行くと上赤坂城址となります。登城口付近に駐車場もあります。
国の史跡だけあって、良く整備されており、容易に城址散策が楽しめる城址です。
遺構としては、堀底道となっている登城道や土橋、竪堀、横堀などが確認できます。
また、周囲には赤坂城塞群が点在していますので、時間をかけて回ってみるのも良いかもしれません。

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あきおこ

探検感たっぷりの平山城 (2018/06/08 訪問)

立派な社域をもつ宗左厄神八幡神社の裏山の台地の端に築かれている。神社に広い駐車場がある。
台地上の加古川学園側に本来の登城路が存在するはずだが、不明の為、神社の北に伸びる道を進む。
右手に豪邸があるので、そこを越えて田畑の間に右に折れるあぜ道があるのであぜ道方面に向かう。
山に取りつくと膝高さくらいのネットがあるのでそこを越えて山中に入る。

正面に堀切状の谷があるので迷い無く左側の尾根を上る。緩い尾根なので5分くらいで主郭下につく。
今回登城した尾根は全く防御遺構が無く主郭に到達できることから、昔は山麓が沼地か池が
あったのではないかと思う。

尾根端は切岸正面に接続する。切岸の土の間から礫がみられる。切岸をよじ登ると削平地が広がり
ようやく城の確証を得る遺構に出会い安堵。

周りを見ると尾根方向以外は横堀がめぐらされている。
主郭の副郭側に高まりがあり土塁であることを認識できる。他の端部には土塁がないようだ。
土塁から横堀に降りると結構な幅があることを実感できる。鋭さのない箱堀状になっている。

副郭は主郭よりも低く中央の仕切り土塁と堀で区画されているようだ。横堀からみて右側の郭に土塁が巡り
堀は左の郭に設けられている。順位的に右が上位の郭のようだ。土塁、堀共、先の横堀に比べると普請は軽め
に感じる。

左の郭の堀には昨日降った雨が溜まっており端部が閉塞された堀になっていることがわかる。
時間も遅かった事もありここで探索を打ち切ったが副郭には折れを伴う土塁があったらしい。

尚、城内は全くの手つかずで遺構が完存するが、その分未整備でスズメ蜂の巣などがあるかもしれないので
足の踏み場には要注意である。






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にのまる

自由が丘にも近い。 (2018/06/14 訪問)

東急大井町線、九品仏駅前の浄真寺です。
大きくて立派で気持ちよく散策できるので、城の遺構がなくても別にいいか、という気分になります。
土塁のようなところに小さな城址碑があります。

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小城小次郎

志苔館

続100名城スタンプは東屋の中の小屋の中。やたらと分厚くどでかい土塁は、もしかしたら風除けの意味もあったの・・・かも?

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小城小次郎

松前城

「13番目の現存天守」は失火により炎上。戦後に天守を失った唯一の城であり、最後に天守を失った城でもある。

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小城小次郎

上ノ国勝山館

とかく軍事施設として捉えられがちな中、勝山館はそれ自体が聖地であり、都市であり、終の棲家(墓地)でもあった。倭人とアイヌが共存し、平和な時代を過ごしていた場所。

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