【豊地城】
<駐車場他>城跡碑のある観音堂に1台くらいなら停めれます。
<交通手段>車
<感想>日帰り西摂津東播磨ちょこ城巡りの旅4城目。「といちじょう」と読みます。十日ごとに市がたつ十日市が変化したものだと言われているそうです。豊地城の築城者は定かではない。城主は複雑に変わったらしく略して説明すると、南北朝時代に金谷経氏という武将が南朝方として周辺の城とこの城を中心に戦った。室町時代には赤松氏の家臣依藤氏が治め、戦国時代には別所重棟が城主となります。三木合戦の時には別所重棟は秀吉に加担したのですが、戦後城は破却されたそうです。
現地は土塁が1つ、堀跡、県道沿いと観音堂にそれぞれ城跡碑があります。小野市立好古館に出土品(このあと来訪)、「誉田の館いろどり」にて御城印が販売されています。
<満足度>◆◇◇
+ 続きを読む