大坂の陣のときに徳川秀忠が陣を置いた古墳を利用した砦です。柵で囲われて中には入れませんが、近くの歩道橋の上から少し見えます。ただ砦の遺構らしきものはわかりません。真田丸が思ったより近いですね。
なんば駅からバスに乗り生野区役所バス停で下車。バス停から徒歩約1分です。
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2023/09/14 22:00
2023/07/27 22:55
大阪城を睨む二代目将軍の心意気 (2023/07/17 訪問)
岡山砦は現状、史跡岡山元御勝山(御勝山古墳)となっています。
大阪冬の陣では徳川秀忠の本陣が置かれ、大阪城の南に配していますが
真田丸があったとされる位置からは2kmほどの距離しかありません。
ものすごく近いですよね。
たしかにぴーかるさんの書かれている通り、二代目将軍秀忠公の気迫が伝わってきます。
よほど関ヶ原の件が悔しかったんでしょうね‥
古墳の周りは柵で囲まれているので、上から二代目将軍の気分を味わうのは
無理ですね‥。
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2023/06/10 19:50
大坂夏の陣 徳川秀忠の本陣 (2023/04/30 訪問)
【岡山砦】
<駐車場他>御勝山公園北側にコインPあり。
<交通手段>JR桃谷駅から徒歩
<感想>大詰め大阪府の城びとの旅5城目。岡山砦は大坂夏の陣で徳川秀忠が陣を置いた場所です。戦後勝利し岡山から御勝山とよばれるようになりました。古墳を利用した陣城で現在は前方後円墳の後円部分だけしか残っておらず、そこも柵がしてあり中に入ることはできません。夏の陣五月七日岡山口の戦いで、先鋒の前田勢が大野治長軍に崩され秀忠は前に前に進軍した時にここに本陣を置いたと思われます。確かに位置的に天王寺よりも大坂城に近く迫っています。秀忠の必死さが感じられました。
<満足度>◆◇◇
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2020/01/11 17:21
勝者と敗者 (2019/12/14 訪問)
大坂冬の陣の際に、古墳を改変して徳川秀忠の本陣とした砦で、夏の陣の後、戦勝を祝して「岡山」を改め「御勝山」と呼ばれるようになりました。
砦跡は「御勝山古墳」と呼ばれる古墳時代中期の前方後円墳ですが、中央部は道路で分断され、前方部は公園化し後円部が残るのみで、砦としての遺構はありません。後円部も柵で囲まれているので、周囲から見上げるか歩道橋上から見渡せるくらいです。
さて、岡山砦そのものが大坂の陣の史跡であることは言うまでもありませんが、ほとんど見どころはないので、ついでに周辺の史跡めぐりを(不定期連載第5回)。
岡山砦から南に約1.8kmの桑津付近は大坂夏の陣の激戦地で、駒川沿いには豊臣方で戦った福島正則家臣・柴田権十郎正俊討死の塚があり、そこから西に徒歩5分の桑津天神社の東側には、大坂陣戦没将士慰霊塔が建てられています。
正直、福島正則はあまり好きではないんですが、大坂の陣に際して江戸留守居役を命じられて動けない中、豊臣秀頼のためにせめて家臣を遣わさずにはいられなかったのかなぁ、と考えると少々気の毒ではありますね。この数年後には、正則自身も秀忠に改易させられてしまう訳ですし…。
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分類・構造 | 平山城(古墳利用) |
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築城主 | 徳川秀忠 |
築城年 | 慶長19年(1614) |
主な城主 | 徳川秀忠 |
遺構 | 消滅 |
再建造物 | 石碑(岡山又御勝山)、説明板(御勝山) |
住所 | 大阪府大阪市生野区勝山北4(御勝山古墳) |