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再訪▪城廻りvol.5 駿府城 (1984/07/25 訪問)

駿府城の今と昔そして未来(昭和59年7月訪問、平成31年1月21日再訪)

本丸天守台発掘で、今注目の駿府城。
豊臣時代の天守台が発見されたというニュースを聞き、見に行ってきました。

豊臣の城を埋めて、その上に徳川の城を築いている様は、徳川大阪城の先駆けとなったように見えました。

余談ですが、今回の天守台の発掘の発端は、明治29年に当時の陸軍の駐屯により、天守台が壊され、本丸堀が埋められたあと、戦後の国体の為に建てられた駿府会館が昭和55年に壊され、その跡地に県立美術館を建てる計画が持ち上がりました。
その事前確認調査が行われたとき、天守台の一部や今川時代の遺構が発見され、その為この計画は中止になりました。この時のデータが今回の発掘の参考となっています。

ちょうどこの頃から都市や町にある城址を破壊して開発するのではなく、保存して有効活用しようという風潮が起こり始めていました。実際、ここ静岡市でも二の丸堀を一部埋める計画の反対運動が起こり、現在、二の丸堀は保存されています。

最初に訪れた35年前は、石垣と水堀に囲まれた広大なエリアに、グランドあり、テニスコートあり、児童会館ありで、大きな総合スポーツ公園のような感じで、水堀では大勢の人達が魚釣りを楽しみ、当時も市民の憩いの場になっていました。

現在では、平成元年に巽櫓が木造で最初に復元され、平成3年に策定された駿府公園整備計画により、東御門が平成8年に、坤櫓が平成26年に復元されています。
今は計画の約40%が完了しています。

今後も二の丸では清水櫓、清水御門やその他。本丸では御天守下御門及び同御門橋など三ヶ所の門と橋。土盛りによる御天守台広場。本丸堀全周の発掘整備。などの復元整備が計画されています…………………が

今回の発掘調査の一連の発見によって、歴史的価値が飛躍的に高まったため、市では天守台の整備の仕方の見直しを示しています。
時間もお金もかかりますが、秀吉時代の天守台も徳川の天守台も両方とも残せるような妙案が出てくることを期待せずにはいられません。

さらに、巽櫓の水堀を隔てた所には現在、歴史文化設備が建設中です。ここの完成も待ち遠しいですね。

これから先、どういう風に変わっていくのか目を離せない駿府城の再訪でした。

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まーやん

蟹満寺参詣のついでに (2019/01/24 訪問)

木津川駅から程近い新興住宅地用に開発された地域(木津川左岸)の小高い山(城山)にある。
浄水場らしき施設に向かって道を上がり駐車場からすぐの所にある。
方形の曲輪は雑木が切り倒され確認しやすくなっている。堀切(空堀)も確認できる。
なかなか景色のいい場所であり、京都ー奈良間を行き交う人や船を見下ろしていたとか。なるほど。

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まーやん

公園になってました (2019/01/24 訪問)

宇治市槇島町にお城があったなんて知らなかった。
足利将軍の家臣真木島氏の居城で、信長に攻められ開城し室町幕府終焉の地となったらしい。(槇島合戦)
本来の場所よりやや北にある公園内に石碑があるとのこと。

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尾張三成

学校

城主は織田信長の実弟織田信治。
当時としては大規模な縄張りだったそうですが。今は小学校に碑があるだけです。
近くのお寺の山門は部材を使用したようです。

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チェブ

最後の砦巡り。 (2018/12/29 訪問)

桶狭間の戦いに関連した城跡、砦跡を巡りました。
かわいい公園になってしまっている所が多く、私、テンションが上らず、最後の砦跡と決め向かいました。
(私の想像力不足です。名前が残っている事、感謝です。)
「中島砦」は今川氏方の大高城、鳴海城に対して築かれた砦です。
扇川と手越川の合流する場所にあったようです。
遺構は分かりませんでした。石碑があるようです。でも私有地の中にあるようなので探しませんでした。

写真にある史跡散策路、鳴海宿コースには桶狭間の戦いには必ず出てくる「中島砦」「善照寺砦」「鳴海城」が含まれます。

土地の高低差、けっこう ありました。
私はイケイケの信長さんに従うのは足手まといになるので清洲城で待ってようと思いました。

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小城小次郎

河後森城

立地(伊予・土佐国境を守る城)で見ても、山容(U字型の尾根いっぱいに広がる曲輪群)で見ても、堅城と呼ぶに相応しい。堀切に直交しない城門遺構の検出も貴重なのでは。

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todo94

続日本100名城スタンプ89個目 (2019/01/14 訪問)

本郷駅で途中下車するために、広島ー福山間だけ山陽本線を経由する片道乗車券を前日に博多駅にて調達しておきました。西日本豪雨災害から復旧した山陽本線ですが、徐行運転区間もあり災害復旧の臨時ダイヤにて運行されています。JR西日本のホームページに載っている写真を見ると路盤が大きくえぐれ、上下線合わせて4本のレールが宙づりになっているほどの災害でしたから、良く復旧していただいたという感謝の念でいっぱいです。しかし、私は古い駅すぱあとのデータを見ていたので、広島駅にて乗るべき列車を見送ってしまって、58分で本郷駅を出て本郷駅に戻ってこなくてはならない状況に追い込まれてしまいました。本郷駅から新高山城大手口まで徒歩27分の表示がありましたが、そんなにかかるはずがないと敢然と新高山城本丸にアタック。スタンプ捺印も含めて何とか58分に収めることができました。特に帰路は新高山城詰丸から本郷駅ホームまで25分の所要。ずっと走って下山したのでブレーキをかけるためかなりの筋力を必要とし大腿部に筋肉痛が生じてしまいました。駆足での攻城でしたが、9年前に新高山城は隈無く見て回っているので悔いはありません。新高山城の登城路の復旧も含めて大いに感謝した次第であります。

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にのまる

予備知識は「さかさ地蔵」のみだったのですが。 (2019/01/12 訪問)

JR郡山駅から外堀緑地→頬當門→柳御門→三の丸公園→外堀→鉄御門と徐々に本丸に迫っていきました。街中でこういう城攻めができるとは!
外堀の石垣。野面積みにして高く美しく、全然見飽きません。復元大手門をくぐったあたりで既にかなりの満足度でした。
内堀の石垣も素晴らしいです!
本丸石垣の説明板の写真の石(写真③の〇で囲んだところ)、きっと「探してみて!」というメッセージだろうと思ったので、40倍ズームで探してみました!発見!!写真④と⑤です。結構楽しかったのでお時間のある方はぜひ!

現在も修復中の石垣がありますが、柳沢文庫で見たビデオの天守台解体復元の地道な作業の様子には思わずモニターの前に正座して見入ってしまいました。そしてその感動を抱いたまま向かった天守台は展望台になっていて、思っていたのとは少し違っていたけれど、現代の匠の技にも触れることが出来て感動でした。さかさ地蔵もチェックしました。伝羅城門の礎石はあとから(ついさっき)知ったのですが、とりあえず撮っていた写真の中にありました(^^;) 写真⑧の下から二段目の石のようです。

柳沢文庫で入手した筒井順慶展の図録に、生涯のライバル松永久秀の信貴山城絵図が載っていました。直前に行ってきたところで、弾正屋敷もしっかり描かれており、訪れたところが繋がって嬉しかったです。



柳沢文庫の定期の休業日には市役所でスタンプを押せ、イレギュラー休業日には柳沢文庫玄関前に出してあるそうです。(受付で聞きましたが、変更があるかもしれないので休日に行かれる方はご確認ください。)
柳沢文庫は17時まで、天守台に上がれるのもも17時までです。

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小城小次郎

大洲城

昨年、台風で大きな被害を受けた直後の訪問だったが、大洲城は暖かく迎えてくれた。訪問することも支援だと、強く実感させられた。城下の力強い復興を心からお祈りする次第。

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モト

城跡には碑が建っています。 (2018/12/18 訪問)

城跡はほぼ住宅地になっておりました。
小規模な公園があり、その公園の隣に城跡の碑がありました。
石碑に描かれた縄張り図は、個人的にはかっこいいなって感じました。
この日の登城では遺構はなにも見れませんでした。

今回は城跡のあった場所にしか訪れていないのですが、市内には移築門が残っているそうです。
大手門が東光寺に、中門、裏門がそれぞれ民家に残っているとのことです。
次回はそちらにも行ってみたいと思います。

近くには佐野プレミアムアウトレットがあります。
城跡からは車で7分くらいです。

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朝田 辰兵衛

「たとえ舅であっても敵である!」 (2018/04/14 訪問)

小松姫押しの雰囲気がプンプン。沼田市観光案内所では,山本耕史氏の写真の上に,吉田羊さんのサイン色紙。群馬県は“かかあ天下”とよく耳にしますが,小松姫のDNAが脈々と受け継がれているのでは…と思ったり,思わなかったりで。あの時代,養父の真田昌幸を追い返したという史実は,ここでは伝説となっている気がしました。
おみやげは,六文銭デザイン“真田幸村ドーナツサブレ”で。

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やまびこ

迫力な城 (2019/01/23 訪問)

迫力があり綺麗な城。

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カルビン

北と南で風景が一変 (2019/01/20 訪問)

美濃金山城からバスで戻ってきて、その足で今度は駅から南に2kmくらいのところにある明智長山城へ向かいました。
ええ、雨天決行中です(涙)

北側にある登城口の雰囲気は抜群で、もしかしたら金山城より登りきつくない?って思える道を登り切ったところ・・・眼下に住宅地がww

明智長山城はU字型の山城で、水の手へはU字の窪みのところから道が続くのですが、つい先日も崩落の為に通行禁止になってました。
おかげでここ本当にお城?と思いたくなる程遺構が少ない場所になってしまってます。
そもそもU字の弧の部分、住宅街と隣接している為お城感無いですしw

金山城との抱き合わせで訪問したから良かったものの、ここをメインで訪れていたらかなりのガッカリ感に見舞われていた事間違いありません(汗)

北側の登城口に専用駐車場があるので、車で周辺と抱き合わせで訪問されるのが一番良さそうです。

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おみや

梅がちらほら (2019/01/22 訪問)

二の丸辺りではぼちぼち梅が咲き始めてました。

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おみや

初VR! (2019/01/22 訪問)

予めStreet Museumをダウンロードし福岡城へ!
2回目の訪問でしたが、VRで当時の姿を感じながらの登城は格別なものがありました。
※VR体験される際は歩きスマホにご注意を

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おみや

福岡観光一日目 (2019/01/21 訪問)

フェリーを降りて門司から小倉へ。

中には入れなかったけど、唐造りを見れて大満足でした。

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SIN

続日本100名城 No.166 宇陀松山城 (2019/01/20 訪問)

奈良県の宇陀市にある宇陀松山城へ行って来ました🏯

秋山氏が居城としていたが、豊臣秀長が大和郡山に入ってきて退去し、後に豊臣家の家臣が居城、近世の城郭へと改修したそうですφ(・ω・`)

車が通れそうな道幅で、城跡まで100m位までのところまで舗装されていますが通れなくて、近くの道の駅に停めて歩きました🚶

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チェブ

こ、ここも児童公園か! (2018/12/29 訪問)

桶狭間の前哨戦があった「鷲津砦」。今川氏方の大高城と鳴海城の間に作られた砦です。
ちなみに、どちらのお城も近く「よく砦を築けたな~」と大胆さに驚きです。

住宅地の急坂を登ると「鷲津砦公園」と書かれた、くまちゃん(?)が出迎えてくれます。
またしても、児童公園か!と思っていたら、すべり台近くから雑木林に道が続き砦碑がありました。
遺構は分かりません。
こちらも平和な「鷲津砦」でした。

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しろし

本年最初の登城 (2019/01/12 訪問)

小雨の降る中の訪問、

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暁月

あいにくの曇り空 (2019/01/23 訪問)

前日午前中に雪化粧した松本城も午前中には雪もなく。
当日は風はあるものの、さほど寒くはなかったですが、交通機関が動く程度なら、雪化粧した姿が観たかったなと思う次第。

御城印(朱印符)もGET。
お城の設備等にあててもらえるなら、もっと広まったら良いと思う。

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