駿府城の今と昔そして未来(昭和59年7月訪問、平成31年1月21日再訪)
本丸天守台発掘で、今注目の駿府城。
豊臣時代の天守台が発見されたというニュースを聞き、見に行ってきました。
豊臣の城を埋めて、その上に徳川の城を築いている様は、徳川大阪城の先駆けとなったように見えました。
余談ですが、今回の天守台の発掘の発端は、明治29年に当時の陸軍の駐屯により、天守台が壊され、本丸堀が埋められたあと、戦後の国体の為に建てられた駿府会館が昭和55年に壊され、その跡地に県立美術館を建てる計画が持ち上がりました。
その事前確認調査が行われたとき、天守台の一部や今川時代の遺構が発見され、その為この計画は中止になりました。この時のデータが今回の発掘の参考となっています。
ちょうどこの頃から都市や町にある城址を破壊して開発するのではなく、保存して有効活用しようという風潮が起こり始めていました。実際、ここ静岡市でも二の丸堀を一部埋める計画の反対運動が起こり、現在、二の丸堀は保存されています。
最初に訪れた35年前は、石垣と水堀に囲まれた広大なエリアに、グランドあり、テニスコートあり、児童会館ありで、大きな総合スポーツ公園のような感じで、水堀では大勢の人達が魚釣りを楽しみ、当時も市民の憩いの場になっていました。
現在では、平成元年に巽櫓が木造で最初に復元され、平成3年に策定された駿府公園整備計画により、東御門が平成8年に、坤櫓が平成26年に復元されています。
今は計画の約40%が完了しています。
今後も二の丸では清水櫓、清水御門やその他。本丸では御天守下御門及び同御門橋など三ヶ所の門と橋。土盛りによる御天守台広場。本丸堀全周の発掘整備。などの復元整備が計画されています…………………が
今回の発掘調査の一連の発見によって、歴史的価値が飛躍的に高まったため、市では天守台の整備の仕方の見直しを示しています。
時間もお金もかかりますが、秀吉時代の天守台も徳川の天守台も両方とも残せるような妙案が出てくることを期待せずにはいられません。
さらに、巽櫓の水堀を隔てた所には現在、歴史文化設備が建設中です。ここの完成も待ち遠しいですね。
これから先、どういう風に変わっていくのか目を離せない駿府城の再訪でした。
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