たついちじょう

辰市城

奈良県奈良市


旧国名 : 大和

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南部公民館東九条分館
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)9日目:辰市城 (2024/09/30 訪問)

奈良交通バスの神殿バス停から徒歩10分ちょっとで、南部公民館東九条分館前(34.657454、135.810802)に着きました。

1571年(元亀2年)井戸良弘によって築かれたと云われています。
1571年(元亀2年)筒井順慶は松永久秀と決戦するべく井戸良弘を派遣して辰市城を築かせ、これを守らせました。
久秀は信貴山城から大軍を率いて辰市城へ攻め寄せ猛攻撃を加えましたが、筒井軍の主力が後詰めに現れると激戦となり、松永軍は多聞山城へ退きました。

辰市城は、現在の辰市幼稚園付近に築かれていたと云われていますが、遺構も案内板も何もありません。
バスの時間が迫っていた為、攻城時間は2分~3分で速攻撤退しました。
次の攻城先=木津城を目指す為、奈良交通バスの神殿バス停からバスと電車を利用して、木津駅に向いました。
じつは、当初の予定では次の攻城先は超昇寺城でしたが、バスが大幅に遅れた為、予定を変更しました。(超昇寺城は11日目に攻城しました)

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しんちゃん

地元住民との軋轢が心配。通り抜けは絶対NG (2023/07/16 訪問)

辰市城は筒井方の城で、大和最大の合戦である辰市城の合戦
の舞台となり、最初は松永久秀の軍勢が優勢でしたが、筒井順慶方の
援軍が到着し松永軍は大敗を喫しました。
歴史的には大きな意味を持つ城ですが、遺構はほぼ残っていません。
公共の交通機関からのアクセスも良くないですが、付近には使えそうな駐車場も
有りません。何より問題なのは、地元住民の方々からの拒絶のオーラが凄い。
駐車禁止の標識が路上にいくつも設置してあって、周辺での
転回も難しく、その先の道路を通り抜けていくと、徐々に幅が狭くなり
通行が困難になるうえ、ガードレールまで設置してあります。
おそらく軽自動車でも通り抜けは不可能だと思います。
西側の辰市地域ふれあい会館の駐車場を使わせてもらえたら助かるのですが。
そこは交渉次第でしょう。何にせよ口コミを読まずに訪問される方も
いるでしょうから、何の問題も起きないことを望みます。

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ぴーかる

辰市城 (2023/06/17 訪問)

【辰市城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車

<感想>日帰り奈良ちょこ城150㎞の旅5城目。辰市城は1571年に松永久秀攻略のために筒井順慶が家臣の井戸良弘に命じて築城しました。8月には辰市城の戦いが始まり、松永久秀・久通父子と三好義継連合軍が攻め寄せます。当初松永軍が優勢でしたが、筒井軍各城から後詰めが次々に到着してついに松永軍は崩れます。この戦いで筒井順慶は筒井城を奪還します。廃城年は不明になっていますが1580年信長の破城令によって廃城となったのかもしれません。
 現地には遺構も説明板も石碑もないとのことで、さらに駐車できそうな場所もなさそうでしたがとりあえず車で現地にいってみました。やっぱり、ストリートビューで確認した通り停車すら出来なかったので車から1枚撮影したのみとなりました。

<満足度>◆◇◇

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todo94

奈良の城めぐり② (2022/12/10 訪問)

辰市城跡にあった辰市幼稚園は、辰市こども園として移転統合しています。現在、辰市城にある建物は、別施設に転用されているようですが、園庭、遊具などには廃墟感が漂っていました。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 井戸良弘
築城年 元亀2年(1571)
主な改修者 不明
主な城主 井戸氏(筒井氏家臣)
廃城年 不明
遺構 消滅
住所 奈良県奈良市東九条町