大森城は永禄年間(1560年頃)久々利城主土岐三河守の家老、奥村元信の子
奥村又八郎によって築かれたとされています。比高もそれほどではなく、城の規模
も中程度ですが、非常に高度な技術で築かれている、とても見ごたえのある城です。
大森神社の背後の丘陵地が城域で神社の下段の広間の右手にある建物の背後から道が
続いています。郭をいくつか通過しながら主郭へ向かいますが、主郭北の小さな郭が
枡形のようになっていて、そこに喰い違い虎口が続いています。主郭には土塁が
残りますが藪に覆われており、南側の二の郭の間は堀切で遮断され土橋がかかって
います。この堀切ですが高低差をもって、まるで滑り台のように竪堀が東側下段に
続いています。二の丸は土塁が良く残り、そこから西側の主郭背後の土塁と堀切を
見に行きます。土塁の中間あたりに切れ目があり、虎口が付いています。
そのあとは主郭と二の丸の間の堀切を東へ下って行って、東側の土塁を見ながら
元来た道を戻っていきました。
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