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トーダイ

土塁と濠跡が確認できます (2019/10/04 訪問)

草路城跡は、現在の咋岡神社(くいおかじんじゃ) の境内とされています。
応仁の乱後に続いた守護畠山氏の跡目争いを端に発生した「山城国一揆」で
草路城が戦場となったと伝わります。境内の削平地には明瞭な土塁が残り、
周囲には水堀が巡らされている。

咋岡神社の鳥居近くに路駐、神社(境内)内外を一周すると、土塁と濠跡が
確認できます。

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カズサン

木造復元郭馬出西虎口二階櫓門探訪 (2017/02/19 訪問)

 埼玉県深谷市の深谷城を終えて何回か登城してる箕輪城へ、昨年末(平成28年11月23日)公開された箕輪城二の丸南に在る郭馬出西虎口に木造復元された二階櫓門を見たくて時間的に夕日が沈む頃でしたが探訪しました。車は東の搦手側箕輪城跡駐車場を利用奇麗に整備された駐車場です。
 駐車場から搦手口、二の丸、大河ドラマ「直虎」放映の年幟がはためき、目的の郭馬出虎口に立つ二階櫓と対面、実に立派です井伊直政がいた頃を想像します。
 平成31年春に完成予定とされいた本丸西虎口高麗門の工事の進捗は?と本丸に行きましたが形跡は無し書き込み時現在令和元年ですが何時に成るのでしょうか楽しみに待ってます。

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カズサン

ほっとした深谷城址公園 (2017/02/19 訪問)

 埼玉県大里郡寄居町の花園城を終えて笹竹薮迷子状態から開かれた市街地城郭公園深谷城に着きほっとしました。情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん公園駐車場に車を停める。
 深谷市には仕事の関係でよく来ており城址の在る事は分かって居たのですが落ち着いて探訪した事が無く初探訪です、深谷城址公園としてよく整備されてます、模擬石垣、漆喰風土塀で城跡感が良く出されてますそれなりに楽しめ落ち着きます。

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カズサン

笹薮の曲輪で迷っちゃいました (2017/02/19 訪問)

 埼玉県比企郡の小倉城を終えて花園城を初登城、情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんに依り秩父鉄道沿いの善道寺を目指し同参拝者駐車場に車を停めて、線路沿いを西に約200mの所に在る諏訪神社より登城路案内に従い途中竪堀の土塁側の道無き道を頂上1郭に向かい登って行く急なロープ道も有りやや危険、1郭したの曲輪群に入るが笹竹薮で道が分りませんが兎に角上に上に、同笹薮で同好の士に会い情報を頂く、何とか1郭に至り、東西に長い1郭を西、東、下城時に来た道が分らなくなり兎に角竪堀の底を落ち葉を滑るように下って来ました。
 1郭下の曲輪群は笹竹薮で迷子状態不安に成り1郭の石碑を確認し下城したと言う感じです、もう少し登城路の整備と案内看板、案内指示版で探訪しやすくして頂けるとありがたい。

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くろもり

おちょぼさんの道中に (2019/09/28 訪問)

たくさんある日本三大稲荷の一つで岐阜県海津市にある「千代保稲荷神社(ちよほいなりじんじゃ)」地元では通称「おちょぼさん」に行った際に近くを通ったので訪れました。
車での訪問だったのですが、城址碑のある「城跡公園」の駐車場の情報がなかったので、近くまで行って駐車できる場所がなさそうなら諦めて通り過ぎようかと思っていましたが、城跡公園東側の南北に走る道の路肩が少し広くなっており、車通りも少ない道だったので(滞在時間6分で通過した車は1台でした)路肩に駐車させてもらいささっと散策しました。

「城跡公園」に城址碑と説明板、公園から南に100m程の所に水堀を復元した小さな公園があり、ここにも説明板がありました。「城跡公園」の北東の明誠高校が城跡と伝わりますが、現地の古地図を見ると「城跡公園」の真北が松平氏の居館があった場所のようです。

関ヶ原の合戦後、高須城には高須藩初代藩主・徳永寿昌(とくながながまさ)が5万石で入封し、後に小笠原氏、松平(尾張)氏と入封しました。
幕末の日本の歴史に大きく関わる「高須四兄弟」は高須藩松平家10代藩主の松平義建(まつだいらよしたつ)公の
次男・尾張藩14代・17代藩主 徳川義勝(とくがわよしかつ)公
五男・一橋徳川家10代当主 徳川茂徳(とくがわもちなが)公
七男・会津藩松平(保科)家9代藩主 松平容保(まつだいらかたもり)公
九男・桑名藩松平(久松)家4代藩主 松平定敬(まつだいらさだあき)公
後、23歳で早世してしまいましたが、三男・松平武成(まつだいらたけなり)公は石見浜田藩の松平(越智)家3代藩主です。
兄弟5人が殿様て凄い・・・さらに早世した三男・武成公以外はみな10万石以上の大名でした。

「高須四兄弟」と言っても、みんな江戸で生まれているので兄弟がここ高須で育ったわけではなさそうですが、幕末に思いを馳せるのが好きな方はここで会津や函館に心がリンクするのではないでしょうか。

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にのまる

石碑めぐりしてみたい。 (2019/09/24 訪問)

何も残っていなくても行ってみたいと思うところが京都にはたくさんあり、聚楽第跡もそのひとつでした。
東濠跡の石碑から少し進んだところの西濠跡に城址碑と説明板がありました。
ほかにもたくさん石碑があるのだそうです。当時の武家地に由来する地名を楽しみながら屋敷跡の石碑を1つずつ探して歩いてみたいです。

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トベシュン

秋の金沢城 (2019/09/24 訪問)

北陸5城めぐり 一乗谷城址・丸岡城・高岡城址・七尾城址・金沢城
台風17号と競争で北陸5城を巡りました。

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ぴーかる

名張藤堂家邸跡 (2019/09/16 訪問)

【名張城】
<駐車場他>名張藤堂家邸跡横公民館P3台程度分無料あり。
<交通手段>車

<見所>邸宅・移築現存長屋門
<感想>日帰り伊賀攻城の旅2城目。名張藤堂家は藤堂高吉が立藩した地で高吉は藤堂高虎にまだ嫡子ができてなかった頃、丹羽長秀の三男を養子に迎えたが、のちに高虎に実子(高次)ができ、高次の代に高吉は津藩の東端に2万石で移封されたところ。
 藩邸は小高い丘上にあり、屋敷は一部しか現存していない。表看板に邸内撮影禁止を気付かずに受付で撮影OKかと尋ねたら、OKだったので撮影できた。本来禁止なので今回は添付致しませんのでご了承を。
 邸宅は現在残っているのは小さく、庭園も僅か。邸内に書状諸々と藤堂采女の甲冑がある。高虎の黒漆塗唐冠形兜のうさぎ耳の進化盤で本当によく聞こえるように筒状のメガホンのような形で面白い。
 邸宅を出て北西に移築現存の長屋門がある。修復(長屋部分の瓦は明らかに葺き替えられている)はしているが綺麗な状態で残されているので見応えあった。

<満足度>◆◆◇

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カルビン

駅近物件ですが、遺構は無し (2015/06/08 訪問)

お城があると聞けば手あたり次第訪問していたこの頃。
丁度名古屋駅を拠点に周辺のお城巡りした際に岩倉城に訪問しました。

最寄りの岩倉駅(特急も止まるので便利)から歩いて10分もかからない場所に岩倉城はあります。。。と言ってもちょっとした高台の上に小さいお堂があるだけで、その周りに岩倉城碑・解説版・織田伊勢守城碑が並ぶだけ・・・の感じです。

お城見学と言うよりは、スタンプラリー的に城1ヶ所制覇した・・・くらいの感覚かも。。。


ここから北へ500m弱の場所にある白鬚大明神に、山内一豊誕生地碑があります。

大河ドラマ「功名が辻」も終わってちょっと時間経っていたので、見学客は皆無でしたが・・・

ちなみに山内一豊の父・盛豊は岩倉城城主の織田信安の家老で、信長に滅ぼされた訳ですが。。。
父の敵と信長に近づいた一豊は信長に惚れてしまい、家臣になってしまう訳でw

千代の他に側室を持たなかったとされる山内一豊、悪く言えば乱暴者で猪野武者だったものの、良く言えば一図だったんでしょうなぁ。

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トベシュン

秋の七尾城址 (2019/09/24 訪問)

北陸5城めぐり 一乗谷城址・丸岡城・高岡城址・七尾城址・金沢城
台風17号と競争で北陸5城を巡りました。

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トベシュン

秋の高岡城址 (2019/09/24 訪問)

北陸5城めぐり 一乗谷城址・丸岡城・高岡城址・七尾城址・金沢城
台風17号と競争で北陸5城を巡りました。

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トベシュン

秋の丸岡城 (2019/09/23 訪問)

北陸5城めぐり 一乗谷城址・丸岡城・高岡城址・七尾城址・金沢城
台風17号と競争で北陸5城を巡りました。

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トベシュン

秋の一乗谷城 (2019/09/23 訪問)

北陸5城めぐり 一乗谷城址・丸岡城・高岡城址・七尾城址・金沢城
台風17号と競争で北陸5城を巡りました。

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カズサン

残存石積で有名な小倉城 (2017/02/19 訪問)

 埼玉県比企郡の菅谷館を終えて初登城小倉城へ(情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん)小倉城東麓の大福寺にナビを合わせ走行菅谷館の近くでした。
 大福寺横の登城口より直上の登城路で1郭下より3郭城塁が石積の箇所を見て3郭と1郭下段郭の堀切を渡って1郭虎口、1郭、1郭上段、1郭北東下の曲輪へ降り腰曲輪を通って登城路を下城、時間で2郭の探訪は無し、数人の同好の士が探訪してました。
 珍しい石積を探訪するのが目的でしたので達成ですが急斜面、薄暗く、保護土嚢等で覆われており一部分の見学と成ります。1郭は樹木の伐採が進み曲輪内は明るく整備されておりました。

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カズサン

ワクワクの土塁、堀廻り大城郭 (2017/02/19 訪問)

 埼玉県比企郡の武蔵松山城を終えて国道254号線バイパス沿いに在る菅谷館を初登城、(情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん)嵐山史跡の博物館駐車場に停める、ここが菅谷館の内部です。

 先ずは嵐山史跡の博物館で菅谷館、比企郡の城跡の勉強、予備知識を得る探訪ルートは、搦手口国道沿いの土塁、堀→3の郭西→木橋を渡って西の郭、大手門→戻って3の郭東→畠山重忠像→2の郭門跡、2の郭→南郭→本郭→2の郭、3の郭建物跡と廻り土塁と堀の凄さに感動、本郭の出枡形土塁、堀、3の郭東の半島城横矢構え、都幾川北岸の丘陵を生かした南郭、南郭と本郭南の二重土塁など見応え十二分です、元は畠山重忠の平安末期、鎌倉期の中世的方形単郭館だったのでしょうが戦国期を通して拡張され梯郭式の大城郭に成ったのでしょう、なぜ菅谷館と館を呼称するのでしょうか?

 土塁、空堀、曲輪、曲輪構え見事な保存整備に大感謝です、城跡内の博物館も勉強に成り比企郡内の城跡パンフレットも備わっており大変ありがたい。菅谷館以外に武蔵松山城、杉山城、小倉城の資料も入手しました。

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モト

二宮尊徳ゆかりの場所、土塁が残ってます。 (2019/04/11 訪問)

 かの有名な二宮尊徳が20数年いた陣屋跡です。
主屋は増改築をしながら今に至っているそうです。
周りには土塁が残っておりました。
主屋への入り口にある食い違いになっている土塁に陣屋、城跡の雰囲気を感じて満足しました。

桜町陣屋の名前にも入っている桜が、その季節にはきれいに咲いておりました。

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カズサン

戦国攻防戦で有名な関東の名城 (2017/02/19 訪問)

 加須市の騎西城を終えて関東でも有名な武蔵松山城を初探訪しました、車は吉見百穴を目指し隣接の埋蔵文化センターの駐車場に停める。(情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん)
 武蔵松山城は数十年以前から認知して折り訪れる機会が有りませんでした今回周辺を含めて城廻り。
 ルートは駐車場に行く前に見つけた案内看板の有った南側の比高の高い登城口から→笹曲輪→本曲輪→本曲輪石碑→本曲輪と2曲輪堀切→2曲輪→堀切→3曲輪→堀切→4曲輪→北側登城口→北側を東に曲がって根古屋虎口手前で遠望して駐車場へ。
 縦横無尽の堀切個々の曲輪群が無数に繋がり初登城では見切れませんし案内が是非必要です、人の歩いた道を通ったのみ季節的に良い時期でしたが藪下の所草が刈って無い所樹木がもう少し伐採して有ればと思いましたが充分に堪能できました。

 帰りに吉見百穴も見学して来ました土産屋さんにも寄って資料も頂きました。

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BUGTI

横浜にあった台場 (2019/09/28 訪問)

わずかですが残っている石垣を見ることができます。大半は土の中に埋められて見ることはできないが、その方が掘り返されずに済むかもしれません。星野町公園近くのマンションの1Fに石垣の展示コーナーがあったようですが、今は閉まっていました。この台場を造るために、近くの権現山城址を崩して土を運んだとのことで、お城好きとしてはなんだか皮肉に感じます。

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BUGTI

新横浜にある戦国時代の城 (2019/09/28 訪問)

この城のことは、お城EXPOで守る会の方々の活動を聞いて初めて知りました。まさか新横浜にお城があるなんてびっくりでした。住宅開発が間近に迫っていて、ギリギリのところで遺構が残されたという感じですね。守る会の方々の努力には頭が下がります。

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カズサン

模擬天守閣見学 (2017/02/19 訪問)

 現存でも復元でも模擬でも天守は天守唯一見てない模擬天守閣の有る騎西城を探訪しました、情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん、騎西生涯学習センターの駐車場にナビを合わせ走行し同駐車場に停める。
 朝早かったのか暫く閉館してるのか天守閣には入れませんでした、周辺撮影し道を挟んで東側の残存土塁を見学。
 低湿地の城郭で微高地に曲輪を設けて築城、忍城、岩槻城、難波田城などに共通した構造です、模擬天守閣を建設した地元の頑張りに敬意を表します、城好きとしてはありがたい。

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