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ホリタカ

【冬とお城】山形城 (2019/01/26 訪問)

雪の山形城と最上義光公

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まるき〜

【冬とお城】

冬の寒さに耐える石垣が麓からでも確認できて見応えあります。

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まるき〜

【冬とお城】

冬の間天守には入れなさそうですが少し離れたとて城下町と一緒に見るのも良いですね。

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桑四郎

冬とお城 (2019/01/28 訪問)

冬曇りでも圧倒的な存在感

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桑四郎

冬とお城 (2019/01/28 訪問)

お堀も凍る冬の諏訪

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錦三守あぶみ

迫力あるなぁ (2018/10/12 訪問)

☆城近くの資料館は面白い☆

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まさ

初日の出

気温は低く、厚手の手袋をはめて、東の空が明るみを増し、太陽が顔をもたげるのを、待ち続けた。

1枚目は、大田原城本丸の土塁から撮影
2枚目は、城北東を流れる蛇尾川の橋の上から
太陽の陽光が一直線に私に幸あれと言わんばかりに、希望の光となり差し込んだ。

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todo94

【冬とお城】年始恒例の新春の宴 (2019/01/02 訪問)

沖縄だから全く寒くはないのですが、首里城の正月儀式「朝拝御規式」の模様を改めて投稿させていただきます。

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勝野武士

【冬とお城】久松山、荒涼の景 (2019/01/26 訪問)

以前投稿させていただいたものを僭越ながらもう一度。
鳥取城山上ノ丸の本丸跡です。

厳しい風雪に耐えて残る石垣を前に、ただただ立ち尽くすばかりでした。
この日は霰と強風が凄かったのですが、そんなことも忘れて夢中でシャッターを切りまくってました。
そんな時に撮った一枚。

…翌日、見事に体調を崩した挙げ句インフルエンザになりました(笑)。

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モト

住宅街に残る土塁跡と空堀跡 (2019/01/09 訪問)

城址は公園になってます。
公園内には土塁と空堀の跡を見ることができました。
世田谷の住宅地によくぞここまで遺構が残ってくれたと思いました。
また、隣の豪徳寺にも少々の空堀跡と土塁が残っていました。
ここ世田谷城址は、住宅地の中の憩いの場である公園でもあり、我々城好きには土塁などが残る特別な異空間になっておりました。

この隣にある豪徳寺は井伊家の菩提寺です。
都内に井伊家の菩提寺?!なんて驚いてしまいました。
井伊家といえば彦根城や岩村城などが浮かび、そこら辺の印象でした。
そういえば徳川家は関東に移封してましたよね。
このお寺には歴代の井伊家のお墓もあり、その中に桜田門外の変で有名な井伊直弼の墓もありました。(写真の10枚目)
世田谷城址に来た際は、公園だけではなく豪徳寺もご覧になられてはいかがでしょうか。

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dougen

2018.12.30登城 (2018/12/30 訪問)

桜洞城から飛騨萩原駅方面に商店街の通りを南下すると諏訪神社があり、萩原諏訪城址となります。
現在の神社が主郭で今も虎口の石垣と水濠跡が良く残っています。

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にのまる

「お」がつかない台場 (2019/01/20 訪問)

全国に約800基造られた台場のうちのひとつです。
埋め立てによってほぼ地中ですが、民家の裏に露出している石垣を見ることができました。
船溜りだった台場公園には丁寧な解説板があり、その中の明治30年代の写真が、埋め立てが始まってはいるものの扇型の台場も船溜りの様子もわかりやすいものでした。
台場公園からぐるっとまわって行った星野町公園にも露出石垣がありました。

3年ほど前、旧東海道を品川宿から川崎宿までウォーキングした際、勝島運河の近くに浜川砲台がありました。ペリーの再来航に備え土佐藩が設置した砲台で、復元された大砲が公園にあります。土佐藩下屋敷が近くにあったそうで、龍馬像もあり、幕末維新期を感じられるところでした。
ちなみに私の旧東海道を歩き通す夢は緒戦の品川宿〜川崎宿で挫折しました。(そもそも日本橋から行っていないけど。)

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あきおこ

かつては障子堀で防御された沼城 (2016/07/09 訪問)

城跡を訪れると3層の天守風建築がある。これは当初婦人会館として建てられた建築で、現在は郷土史料展示室として利用される史実とは全く関係のないものである。現在は土塁跡のみが面影を伝える。騎西城では発掘調査が行われ堀跡から障子堀が検出されています。発掘当時の航空写真を見ると、山中城の様に広範囲にわたり細かく畝が分けられており興味深いです。

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あきおこ

市街地の中に公園として残る (2016/07/09 訪問)

市街地の住宅に囲まれた中に花崎城山公園として遺構が残ります。公園名は城山ですが平城です。堀は水堀と空堀が混在しますが関東の中世城郭に水堀を用いている所はあまりないので当時は全て空堀だったのでしょうか。空堀の部分は堀底も浅く埋没していると思われます。公園として整備されているので全体の遺構は確認し易いです。

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BUGTI

水攻めで有名な城 (2019/02/02 訪問)

秀吉の水攻めといえばこの城です。でも城址にはあまり遺構はのこっておらず残念。周辺には築堤の跡や清水宗治公自刃の地などがあります。少し山を登りますが石井山の秀吉本陣跡や太閤岩も訪れてみてはどうでしょう。城址の資料館には水害であのあたりが浸水した時の写真があり、水攻めがで実際どのようになるかがよくわかります。

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カルビン

せめて中には入りたかった・・・ (2015/03/20 訪問)

千早城と高取城を見る為に車で東京から遠征してきた時、1日目最後に立ち寄ったのが水口城。
到着した時は既に18時に近かった為、もちろん門は閉じておりましたorz

実はこの前にすぐ近くにある水口岡山城を先に見学しようとしていたのですが、車を停める場所が見つけられず、暗くなる前に水口城に移動してきたんです。

そのロスタイムで日没を迎えてしまい、見学出来たのは正味15分程度orz
写真ではまだ明るそうにみえますが、ここから日の落ちるの早い事w

なんとか虎口門とそこにかかる橋、外周の水堀と石垣だけはきっちり見学できました。


水口城のサイズは城主だった長束正家と同じく、そんなに大きくは無かった(少なくとものぼうの城で演じられた長束正家は小さい人物だったw)ので、手軽に見学できると思います。
外観だけでも無理やり立ち寄っただけの価値もありましたので。


4月以降にこちらの方面に行く予定があるので、うまくいけば水口城と水口岡山城のリベンジに向かいたいですなぁ(願)

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ブラタヌシ

畠山重忠が居住した所 (2019/02/02 訪問)

の埼玉
比企郡嵐山町の菅谷館跡❗️
私の苦手な鎌倉時代の畠山重忠が居住していた。
杉山城跡を見てのこの場所、あまりの広さに驚きでした❗️
ここも、土塁、空堀の好きな人にはたまらない場所です。
そして、嵐山史跡博物館には越山展が開催されていて、上杉謙信が関東の城を攻めにきた内容も見れて良かったです。

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チェブ

いやでござんす(1853)ペリーさん。 (2019/02/03 訪問)

ペリーさんが浦賀に現れたのが1853年。
黒船が江戸に近づく事を恐れて11基の台場を設置しようとしました。
翌年5基、完成したそうです。
は、早い!
幕府も慌てたんでしょうね。残りは資金不足で完成しなかったり、着工しなかったそうです。

台場公園になっている「第三台場」に行きました。
火薬庫やかまどの跡がリアルに残っています。
この火薬庫等が台場の回りを土塁(と言う表現かは??)で囲み低い場所にあります。
船のペリーさんからは台場の内部は分からないでしょうね。
入口に案内板があり、よく見てから下ると良いと思います。

この日、東京は暖かったです。
たくさんの方がノンビリしました。

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hodaka

木造復元された三重櫓と石垣は圧巻 (2019/02/02 訪問)

東北の玄関口・白河にあるお城。丹羽長重が現在の形に整備し、歴代藩主には寛政の改革で有名な松平定信などがいます。
当時の建物はすべて戊辰戦争(白河口の戦い)で焼失してしまいましたが、平成になって日本ではじめての天守相当建築物の木造復元がされました。また、東日本大震災では石垣が崩落しましたが修理が進み、今は震災前に近い形で見学が可能です。
戊辰戦争、木造復元、震災からの復興など色々な側面から見ることができるお城で特に好きなお城の一つです。

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ブラタヌシ

広大な平山城 (2019/02/02 訪問)

埼玉県比企郡嵐山町の杉山城跡❗️平山城です。
先日の忍城について、続100名城のガイドブックを見てましたら、次のページに有りました。
山城好きなので、攻城しました。
この城跡、土塁、空堀が好きな人にはたまらない城ですね😀
城主は山内上杉氏で扇谷上杉氏に対抗して築城したとの事。国指定の史跡です。
そして、この比企郡には多くの城跡が有り、これから攻め方を考えなくてはと思うと、うれしい悲鳴ですかね(笑)

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