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まーやん

天空の城 (2018/10/01 訪問)

続日本100名城に選ばれたのでスタンプのためにリベンジ行軍を敢行した。
福井市から永平寺大野道路を通り大野ICで降りて城址に向かった。昔は北陸道から田舎道を走って行ったけど近くなったもんだ。

大野城址下の駐車場から階段を登って登城したがなかなかきつかった(;´д`)
大野城は一向一揆を鎮圧し大野を領した金森長近が築城。その後色々と城主を変え、1682年~明治までの間、土井氏が治めた。
史実に基づいた再建ではなくコンクリート造だが、天守からの眺めは最高❗向かいの戊山城址からは雲海に浮かぶ大野城を見ることができる。
石垣は美しい野面積み、が見所か。
12~3月は閉館しているので、畦畔に芝桜が咲き誇る美しい春に一乗谷とセットで来られるのがベストかと。

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ミッピのパパ

残念な建物(城) (2019/02/02 訪問)

言わずと知れた藤吉郎(秀吉)出世の足掛かりとなった、戦国の砦(城)。墨俣砦の歴史に関係する展示は充実しており、それなりに楽しめるものの、当初より史実にそぐわない建物(城)なので、歴史ロマンに思いをはせるには、とても残念です。

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ミッピのパパ

地域の公園 (2019/02/02 訪問)

ファミリーやシニアのための地域の公園として親しまれていた。唯一 土塁と石垣が残っていて、往時をしのばせていた。

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ミッピのパパ

登山はくれぐれも気を付けて (2019/02/02 訪問)

標高329m。登るほど急峻な山。登りは初心者・ファミリー向け「七曲登山道」を利用し、下りはタイトルにつられて「瞑想の小径」。でも、とても瞑想できるような小径ではありません。下りだったので自然の岩肌を確認しながら、転落に気を付けゆっくりと下山。
道三・信長の城としてあまりにも有名で、観光地化しているせいか、城の縄張りがよくわからなかった。

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あきおこ

藪の中に残る土塁 (2018/08/12 訪問)

駐車場はないので、農家の人の邪魔にならない様近くの空き地に駐車しました。畑地を歩くと浅い横堀状地形があり右手に墓地、正面に開けた郭面が見えます。方形単郭の城の様で虎口は改変の為か広く開口しており周囲に土塁があります。最奥部に民家が建っているので、かつては郭内も畑地だったと思います。民家は比較的新しいですが廃屋になっている様でした。墓地の部分は深い堀切になって先が落ち込んでいます。

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あきおこ

北条氏滅亡のきっかけとなった堅城 (2018/08/12 訪問)

名胡桃城は国道のすぐ脇にありアクセス良好な城です。般若郭が駐車場になっており谷を隔てた横に三の郭が見えます。国道に面した場所には見た目喫茶店を思わせる案内所があり資料を入手できます。飲食は出来ません。城内はよく整備されており、開墾などで失われた部分も発掘調査に基づき復元されています。ただ無意味な柵がやや多く、ささ郭の堀切部にかかる橋も景観を損ねておりもう少し中世城郭に見合った整備がなされると良かったと思います。三の郭、二の郭、主郭、ささ郭に至るまで徐々に郭面が細くなり後堅固の細尾根に築かれたことを実感できます。両側も深い谷で断崖となっています。先端からは沼田方面を一望出来、敵軍を監視する為に城が重要視されたと思いました。

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あきおこ

巨大な横堀が残る関東の名城 (2018/08/12 訪問)

見どころはさておき自分がこの城を訪れて一番印象に残ったのは、主郭周囲に残る巨大な横堀です。横堀の幅は車の対面通行が可能なくらいあり、深さは10メートル以上あって延々と続くさまは感動すら覚えました。横堀の底を歩く人はあまりいませんが、歩道があるので是非とも堀底を歩いて巨大横堀を体感して欲しいものです。復元された馬出櫓門の横にも、城を東西に分断する大竪堀がありますので、こちらも散策するといいかもしれません。複数の有力大名の拠点城郭として使われた城ですが、今の残る遺構の基礎は豪快な土木量で築城する北条氏の手によるものかなと思ったりもします。

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まっぴー

とにかくデカい! 江戸城🏯 (2019/02/03 訪問)

遺構度 ★★★★★ 復元度 ★★★★☆
施設充実度 ★★★★★ 楽しさ度 ★★★★☆

江戸幕府の居城である江戸城に行ってきました!
江戸幕府の居城だけあってとにかく広くて、とにかくデカい!
今まで見てきたお城の中で規模はダントツで1位です!
お堀の周りを歩くと足が結構疲れます!疲れた〜(>_<)

遺構は櫓や櫓門、天守台、番所、石垣などがありキレイに残っていました!
特に天守台はケタ違いで、ものすごく大きく予想以上でした!あの天守台の上に天守があったと思うとすごい!
天守の大きさを想像してみると巨大天守の姿が!
もし残っていたらすごかっただろうな〜(*^▽^*)
再建して欲しいけど大規模過ぎて無理か…(T_T)
櫓や櫓門もしっかり残っていてデカい!
石垣も至る所にありました!
思っていたより見どころが多くびっくりしました!
江戸城なめてました!予想以上に遺構も多く、広かった!江戸城ごめんなさい!m(_ _)m
改めて江戸幕府の権力を実感する事が出来ました!(^∇^)

そしてお堀の周りをランニングしている人の大群をたくさん見かけました!
毎日江戸城の周りを走っている人は大変そうだなぁと思いました!歩いただけでも疲れたのに…(-。-;
皆さんも歩く時は端に寄って歩くようにしましょう!

駐車場は3時間400円で広く、結構空きがありました!
スタンプは楠公休憩所、和田倉休憩所、北の丸休憩所の3箇所にあります!和田倉休憩所のスタンプはキレイで押しやすかったです!
来る時は時間を多めに取ることをオススメします!
ちなみに僕は2時間30分くらいかかりました!

東京に来た時は是非行ってみてください!

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ヒロケン

海城 (2019/02/05 訪問)

鳥羽城は、大手門は海に開いた水門で、内陸側には堀を巡らせ、四方を海に囲まれた「海城」でした。内陸部から藤口門、横町口門、相橋口門の三つの橋で連絡し、天守をはじめ13の櫓が廃城時にはありました。本丸の北西寄りに3層の天守があり、南側には本丸御殿がありました。

城主は築城主の九鬼氏が御家騒動により、国替えとなった後、譜代である内藤忠重が城主となりますが、その後内藤氏が江戸で殺傷事件により領地没収となると、幕府直轄地を経て、土井氏ー大給松平氏ー板倉氏ー戸田氏と城主の交代が相次ぎますが、稲垣氏の入封により、ようやく安定し幕末まで続くことになります。

伊勢神宮に詣でた後、朝熊山展望台で伊勢志摩・伊勢湾の大パノラマを堪能し、鳥羽城に初訪問してきました。鳥羽城は鳥羽水族館と道路を挟んだ直ぐお隣にあります。水族館には何度か来たことがありますが、その頃は、三の丸広場も無く公園ぽかったので興味が湧きませんでした。
家老屋敷横の駐車場に車を止め、階段を登り二の丸( '-'* )?へ、トイレがあるだけの広場、最近造られた石垣階段う〜ん。
大した事ないな(´・ω・`)ガッカリ・・・と諦めて三の丸広場へ。当時のものではないと知っていても、階段状の石垣が目に入り、気分は上昇。
まあまあと思いつつ、本丸へ本丸西側の石垣を見て、気分はマックス。野面積みの石垣が当時の面影を想像でき、じっくりと堪能。
本丸に上がり、所々にある掲示板を読みながら本丸を20分近く歩き回り帰路に着きました。

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朝田 辰兵衛

【冬とお城】2月の長岡はシュークリーム♡ (2019/02/02 訪問)

長岡の風物詩とも言える「美松」のサンキューセール。2月はシュークリームが1個39円(しかし,10個単位で箱買い)。長岡駅前には長蛇の列ができていました。実は,ライバル店の「マルシャン」もお得セール実施中(美松ほどではないですが)。こちらは並ばず1個単位の販売。地元をよく知る通は,「マルシャン」をチョイス。
この「マルシャン」の新保店から,蔵王堂城へは徒歩圏内。そこそこ積雪がありましたが,城だということはわかります。この季節,間違っても堀には落ちたくないな…と思いました。

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にのまる

遺構はないけれどいろいろ想像できる。 (2019/01/20 訪問)

東横線の反町から歩きましたが、坂道を結構上って下りて仕上げにもう一回登ったところでした。
城址「本覺寺」の由緒記に「丘陵上にあり、横浜を眼下に望み、さらには湾内を見渡すことができる(からハリスはここを領事館に選んだ)」とあります。行きの電車でたまたま読んでいた髙田郁さんの「花だより」でも江戸時代の神奈川宿の様子がまさにそんな感じで描かれており、坂道を歩いて歴史を辿るブラタモリ気分でした。ただ、海は全く見えません。どこに行ってしまったのでしょう…。
また「領事館時代に白ペンキを塗られた山門は、この地域に残る唯一の江戸時代に遡る建築である。」とありましたが、この書き方、なんか引っかかる(・・?)
白ペンキを塗られた…塗られてしまった…塗りやがった(´༎ຶོρ༎ຶོ`)みたいな。
生麦事件で負傷したイギリス人2人が駆け込んだのも本覺寺だったそうです。(事件現場からナビウォークすると約5kmでした。🐎じゃないと助かりませんねー)
青木城時代については「権現山の合戦で荒廃した」としか書かれていませんでしたが、ネット検索するといろいろ出てきました。
共に戦場となった権現山城とはJRと京急線の線路を挟んで向かい合っています。

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モト

公園にある城跡の碑 (2018/12/31 訪問)

遺構はほとんど残っていなく、城跡は公園になっていました。
公園内の小高くなっている上に碑が建っていました。
多賀谷氏の居城であった多賀谷城です。
案内板を見ると、それだけの理由もあったようですが多賀谷氏にはどうやら悲劇が起こったようです。
また、遺構としては公園以外のところに土塁の一部があるみたいです。

追伸
最近、碑だけになってしまった城跡にも行くことが多くあります。
碑があれば満足。
ですが、小高いところにある碑もまたなんとなく雰囲気ありますね。
なんて思いました。

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カルビン

現地までの道が複雑 (2014/05/13 訪問)

山梨県北杜市にはお城が多いですが、谷戸城もそのうちの1ヶ所。
国指定史跡と言う事で、お城巡りを始めてからすぐに行きたいと思ってました。

が、中央自動車道・長坂ICからの道が良く解らず、何回か訪問を断念してました。
(地図を持って行っても、今いる場所が把握できないんです。。。目標となる建造物が無く、谷戸城への案内も現地に無い為)

やっと訪問できた時には季節が冬から春に変わってました(汗)


谷戸城は突き出した高台に、居館式お城に似た土塁・堀で囲まれた主郭を置き(土橋&虎口で行き来する感じ)、その周囲に堀・土塁を配置しながら斜面まで遺構が存在するお城となっております。

土塁・堀とも浅く・低くも無く、深く・高くもなく、平均的なサイズの遺構が周辺に走っている感じです。

(何でなかなかたどり着けなかったか不思議に思うくらいに)城域も広く、ここだけを目的に見学に来ても損は無いレベルでした。


地域的に武田系のお城なのは解っていましたが、正直武田系のお城らしくない感じもします。

ま、まだ武田氏がいなかった時代からあるお城(平安時代末期築城との事)で、改築したとしても武田家始祖・信義あたりが修繕して今の形になっていると思われるので、武田信玄カラーが無いのも納得ですが。


北側に駐車場と登城口のある場所に北杜市考古資料館がありましたが、当時何故か寄らずに帰ってしまったんです。。。
訪問した時から間が空いたので、改めて再訪して資料館も見学したいところです。

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チェブ

住宅街、ダッシュ。 (2018/12/29 訪問)

「安祥城」の後で「安祥古城」に行きました。
和田氏が「安祥城」に移るまで居城しました。

住宅街の一角に小さなお社があります。
遺構は土塁かな~?くらいです。
住宅が近いので写真、路駐は気を付けましょ。
私は近くのレストランに駐車しダッシュしました。

「安祥古城」を検索すると同じ写真が出できます。
ここのアングルしか撮れません(笑)

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赤い城

稲毛神社 (2019/02/02 訪問)

川崎駅から徒歩で10分。
稲毛神社が跡地とされますが遺構はありません。
秩父氏庶派の河崎氏の居館とされます。

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赤い城

六郷神社 (2019/02/02 訪問)

京急六郷土手駅から徒歩で10分弱。
六郷神社が跡地とされます。
遺構はありません。
梶原景時が寄進したとされる神橋がありました。

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あきおこ

綺麗に整備された公園 (2018/08/12 訪問)

非常に綺麗に整備されており、土塁と芝生に覆われた郭面があり雰囲気のいい公園です。単郭方形の砦で土塁には張出があります。駐車場もあります。

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あきおこ

小学校の裏に巨大な土塁が残る単郭方形の城 (2016/07/10 訪問)

城は藤岡第一小学校にあり、かつては単郭方形の城で北側の土塁のみ残る。小学校に入らずに土塁上に登れるので普通に見学することができる。土塁上は遊歩道になっており最奥部の壁面に「芦田城址」の碑がある。藤岡城の別名は芦田城のようだ。土塁はかなり大きなもので、グーグルマップの航空写真で見ると周囲の住宅との比較でその大きさが分かると思う。1590年依田康勝が築城、1600年廃城と10年の短命な城だった。

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あきおこ

山上の断崖に築かれた横堀を多用した城 (2018/08/13 訪問)

関越自動車道を見下ろす断崖上に城があります。周囲は農道となっておりやや道が狭いですが車で訪れる事ができます。駐車場は無いので農家の人の邪魔にならない様空き地に停めさせていただきましょう。主郭は西側が断崖となり三方を土塁と横堀で囲んでいます。土塁と横堀の高低差はあまり無く防御性は低い感じです。主郭には桝形状虎口が確認できます。主郭の横堀外側には三角形の馬出がありますが、開墾された為か土塁は無く馬出として機能していません。主郭東に二の郭と三の郭が連郭式に設けられ現在は畑地になります。二の郭の土塁と横堀はよく残り東南に横矢を掛ける張出があります。二の郭の横堀は藪がひどくて深さを確認出来ませんでしたが、土塁からの高低差は主郭より高く防御性は高いと感じました。二の郭南に横堀を隔ててほぼ自然形状の小山がありますが物見に使われたと言われます。上杉によりこの城が築城されたといいますが、防御性の低い主郭は上杉、防御性の高い二の丸などの外郭が北条による築造、なんて思ったりもしました。

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あきおこ

ダイナミックな土塁と堀が残る上毛の拠点城郭 (2018/08/14 訪問)

二の丸まで車で入れるアクセス良好の城です。本丸の形状は中央部に段差があるほぼ正方形で東側は天然の崖を利用した切岸となり他の面は土塁と切岸、横堀で遮断されており二の丸からの高低差はかなりあります。虎口は西と南側にあり西側には土橋が設けらています。二の丸は主郭の西と南に面し、北西の玉蔵院跡の切岸は折れがあり横矢を意識したものかもしれない。北側には北城側に降りる通路があり桝形虎口状の窪地となっていた。尚、未踏だが北城から北側にも近戸郭があり遺構があるそうだ。二の丸の東側に石垣のある桝形があるが桝形の外はフェンスで塞がれており登城口が分からなかった。やや不自然に思い帰宅後、縄張図を確認するとフェンスの外に降りる道があった。二の丸の南側にも三の丸、南郭があり大手も南にあった様です。

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