おちゃややしき

御茶屋屋敷

岐阜県大垣市

別名 : お茶屋屋敷
旧国名 : 美濃

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チェブ

将軍家御用達ホテル。 (2024/01/04 訪問)

1605年に完成した、「御茶屋屋敷」。
徳川 家康さんが将軍家専用の宿泊施設として築きました。
こちらの「御茶屋屋敷」から関ヶ原の古戦場まで、車で20分の距離です。
家康さん、宿泊するたびに 大戦の思い出話したんでしょうか。

駐車場から「御茶屋屋敷」の入り口へ。
入り口は小さく、趣があります。
しかし、入ると土塁が続きます。井戸跡や空堀があり、お城の防御面も兼ね備えてました。
確かに1605年は、まだまだ安心できない情勢です。

現在の「御茶屋屋敷」は牡丹が綺麗なんだとか。
とても、整備されていてます。
こちらの竹は藪ではなく、竹林。みんな真っ直ぐに伸びてます。
関ヶ原の古戦場近くで、ほっこりできる「御茶屋屋敷」でした。

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イオ

城郭相当の屋敷 (2023/06/10 訪問)

江戸初期に徳川家康が江戸と京都の往還の休泊施設として造営した屋敷で、家康のほか大坂夏の陣の後に徳川秀忠が利用しましたが、寛永年間には役割を終えて大半の建物が取り壊されました。現在では西半分は中学校になっていますが、東半分は牡丹園として公開され、主郭の土塁や堀が良好に遺っています。

北隣の無料駐車場から登城開始。駐車場近くの北側に入口が設けられていますが、後世の改変によるもののようです。入口の両脇には土塁が続き、土塁沿いに東に進むと古井戸跡がありました。古井戸跡の奥、北東隅の土塁上には櫓台が建てられていたようです。櫓台から南に進むと東向きに開口した虎口があり、虎口の南側には水堀(?)、北側には土塁と横堀が続いています。虎口を出て外側から北東隅櫓台を確認すると、引き返して今度は主郭の南辺へ。‌南辺の土塁にも開口部(立入禁止)が設けられていますが、これも後世の改変でしょうか。南辺の土塁上に丸太のベンチ(らしきもの)が見えたので、登ってみると土塁の外側に横堀が続いていました。主郭内部は牡丹園として整備されていて、満開の時季には大いに見応えがありそうです。

屋敷とはいっても徳川将軍専用ともなると、さすがに見事な防御の備えのある城郭でした。ただ、整備された庭園ということで油断して半袖・短パンの軽装で歩いていると、ヤブ蚊にまとわりつかれて往生しました。夏場でも長袖を着るか虫よけ対策をしたほうが良さそうです…。
 

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しんちゃん

家康 秀忠も使用した将軍家のお茶屋敷 (2021/12/05 訪問)

御茶屋とは江戸・京都の往還に整備された将軍家専用の宿泊施設である。(現地案内板)
慶長10年(1605)完成。家康公や秀忠公も使用しています。
まだまだ物騒な時代だけに土塁 堀もしっかり備え、ちょっとした城郭造りになっています。
四隅には櫓まで備えていたって… かわいいネーミングの割にはずいぶん要塞してますな。
ちょうど紅葉の季節も重なって 素晴らしい景色を見ることが出来ました。
ああ福眼… 日本人ならやっぱり紅葉 桜 富士山 城ですな(アナログ思考)

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)10日目:御茶屋屋敷 (2023/04/27 訪問)

長松城からの転戦です。ボタン園見物客駐車場(35.389288、136.579689)に駐車し、御茶屋屋敷入口(35.389268、136.579922)に向かいました。

"説明板によるとお茶屋屋敷は、1604年(慶長9年)徳川家康が、織田信長の造営した岐阜城御殿を移築させた将軍専用の休泊所跡のようです。
"

ボタン園の入城は無料ですが、付近の道路は狭いので、車の通行は注意が必要です。
遺構として土塁、横堀(空堀)、井戸跡を確認しました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=曽根城に向かいます。

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城郭情報

分類・構造 屋敷
天守構造 なし
築城主 徳川家康
築城年 慶長14年(1609)
主な城主 徳川氏
廃城年 寛永年間(1624〜1644)
遺構 土塁、横堀(空堀)、井戸跡
指定文化財 県史跡(お茶屋屋敷跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県大垣市赤坂町3421-1
問い合わせ先 岐阜県教育委員会社会教育文化課
問い合わせ先電話番号 058-272-8754