伊達政宗も一目置いた九戸政実
(2018/06/17 訪問)
2014年7月末、最初に訪問した時はパンツまで汗で濡れる程汗かいて、二戸駅と九戸城を走って往復・・・その時の二戸滞在時間は50分w
駅⇔城間を片道15分で走破したので、実際の九戸城の滞在は20分でした(ーωー;)
昨年6月、九戸城が続100名城に選ばれたのをきっかけに、改めて九戸城をじっくり見てやる!と行ってきました。
最初の訪問の時には九戸政実の事を全く知らなかったのですが、この時はしっかりと情報得てましたので、感情移入が前回の比ではありませんでしたw
(予定した見学時間も今回は自分にしては珍しく2時間半という長さで)
主郭は地形を上手く利用した、ちょっとした高さの崖上端にあり、逆側に大きな空堀が走ってます。
ここにある石垣は築城した九戸政実のものではなく、後で入城した蒲生氏郷の手によって付け加えられたものだそうです。
その主郭へ通じる場所が、今は有る程度見学しやすく変えられてしまっていますが、当時は主郭への入口が狭く低い所になっていただろうと解る為、攻め手はここで集中砲火浴びて撤退せざるを得ないのが想像できます(汗)
しかもその入口にたどり着くには、両サイドが高台になっている堀底みたいな場所を進まねばならず、途中ずーっと上から狙われる感じなんですよねw
ある意味攻め手にとっては山城よりも性質悪いお城なのではなかっただろうか(危)
確かに九戸政実軍5000人で蒲生氏郷率いる豊臣軍10万人を数日間大きな被害出さずに退けただけの事は有ります。
伊達政宗も津軽為信も一目置いたとされる九戸政実、戦術だけでなく築城の腕も一流だった模様。
・・・九戸政実のドヤ顔が目に浮かぶようだ(笑)
+ 続きを読む