こじまじょう

小島城

岐阜県飛騨市


旧国名 : 飛騨

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算木積の石垣
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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)8日目:小島城 (2023/04/25 訪問)

増島城からの転戦です。ゲート入口(36.254443、137.186812)から進入し、分岐点(36.250926、137.182915)を狭い道へ入れば、主郭近くの駐車場(36.251819、137.174862)に着きます。
なお、駐車場のGPS座標(あくまでも目安として)を入力しても辿りつけませんので、ゲート入口➡分岐点のGPSを入力して進んでください。

築城年代は定かではないようですが、南北朝時代に姉小路氏によって築かれたと云われています。
姉小路氏は公家で三条実房の子公宣が京の姉小路に住んで、姉小路氏を名乗った事に始まるそうです。
飛騨の姉小路氏は姉小路家綱が建武新政の際に飛騨国司となり、信包城(向小島城と推定されている)を居城としたことに始まるそうです。
姉小路家綱は南朝方によって国司に任命されたことから、おもに南朝方として戦っていました。その後、姉小路氏は小島氏・古川氏・向氏の三家にわかれます。
戦国時代になると京極氏の被官であった三木氏が台頭し、小島氏はそれに属していましたが、1585年(天正13年)羽柴秀吉の命によって飛騨国に侵攻した越前国大野城の金森長近によって攻められ、小島城は落城しました。

主郭の背後に櫓台があり、西側に東屋があります。
東屋の西側下には算木積の石垣があり、そこから急斜面を降りて行くとNHKのアンテナ施設のようです。
帰りにこの急斜面を登るのがイヤなので、自分は行っていません。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=小鷹利城に向かいます。

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ぴーかる

小島城 (2023/03/19 訪問)

【小島城】
<駐車場他>城跡に駐車場があります。私が行った時は城跡までの道には落石が多く道を塞ぎ、<36.251208, 137.183345>の場所までしか車で進めませんで、車を置いて1㎞以上歩きました。麓の杉崎口や沼町口から登った方が近いかもしれません。
<交通手段>車

<見所>堀切・虎口・石垣・切岸
<感想>日帰り強行飛騨山城攻めの旅3城目。小島城は「理文先生のお城NEWS解説」の特集で知った城跡で、行ってみたかった城でした。城跡の駐車場は主郭から北へ伸びる舌状の連郭の最下段にあたる曲輪で駐車場のさらに北側に城跡終わりの2重堀切が見られます。駐車場から3段上が主郭主要部に入ります。主要部は東西に長く、東隅に櫓台西側に主郭の土壇(当時は石垣台)があります。主郭の西側と南側斜面に石垣跡が見られます。主郭から西側に2段程下がった曲輪に内枡形虎口跡と北西隅の曲輪壁に見応えある石垣遺構が見られます。そこから南西側が小曲輪群の連段、北西側に切岸を降りて行くと小島古城に到ります。小島古城の主郭奥に大土塁、主郭から北西方向に連段曲輪で端が2重堀切になっています。小島古城には石垣遺構は見られないものの、連郭サイドの曲輪壁の切岸は高く削り見事な見応えがありました。

<満足度>◆◆◆

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姉小路御三家 (2023/04/01 訪問)

姉小路御三家の一つ小島氏の居城です。
高原郷と小島郷を結ぶ神原峠越えの道が脇を通る交通の要衝にあります。高所に主郭を置いて、尾根に曲輪を展開しています。堀切、竪堀、石垣等が見られます。

 杉崎口から登城しました。尾根を上って行きますが、すぐに二重堀切がありますが、うっかりすると通り過ぎてしまいます。道は概ね整備されていいますが、主郭近くはトラロープを使って登る所もありました。主郭近くまで車でも行けますが、全域を見るためには尾根をかなり降りることになります。城址にあった縄張り図で示されている竪堀がよくわからない所もありました。JR杉崎駅から杉崎登城口までは近いのですが、電車の本数はかなり少なく、バスもありますが同様に少ないので要注意です。

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小城小次郎

小島城

姉小路氏の城として築かれたが、金森氏によって相当手を加えられたらしく、荒々しい石垣と技巧的な枡形虎口を今に伝える。築城当時はこの石垣も麓からよく見えたことだろう。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 姉小路氏
築城年 南北朝時代
主な城主 姉小路氏、小島氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、石垣
指定文化財 県史跡(小島城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 岐阜県飛騨市古川町沼町
問い合わせ先 飛騨市商工観光部観光課
問い合わせ先電話番号 0577-73-2111