なばりじょう

名張城

三重県名張市

別名 : (名張陣屋)
旧国名 : 伊賀

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あんらくごえ

初代藩主藤堂高吉は丹羽長秀三男、小藤堂と呼ばれた猛将 (2019/05/04 訪問)

藤堂高吉公の波乱万丈人生
丹羽長秀三男→羽柴秀長養子→藤堂高虎養子→今治2万石→蟄居→実子高次が嫡子に→名張5千石
悲劇的な人生を送りつつちょいちょい病気に掛かってますが92歳で大往生しています。本人の気持ちはともかく戦国→江戸の経て数多の大名家が滅亡、改易されていく中きっちり血筋を残せたのは結果的によかったのではないでしょうか?ちなみに藩主の諱を途中から高から長一字に変わっていたり独立騒動を起こすなど名張藤堂家は本家としこりがあったみたいです。
邸宅の中の資料でひときわ目を引いたのは藤堂采女着用伝の赤い甲冑です。高虎の兜以上にウサ耳度が高いです。写真撮影禁止なのが残念ですが、甲冑にも興味あるかたは一見の価値ありです

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名張藤堂家の居館 (2018/10/13 訪問)

1585年に豊臣秀吉の命で筒井定次が伊賀上野20万石へ移ると、定次は伊賀上野城を築き、家臣の松倉勝重に名張8000石を与えて名張城を築かせました!
勝重は城の完成を待たずに亡くなり、嫡男重政が家督と築城事業を引き継いだが、重政は定次と衝突し、筒井氏のもとを去っていった!
その後、名張城に城代として桃ヶ谷国仲が入った!
しかしながら、1608年に筒井氏は所領を没収され、国仲もここを去っていった!
筒井氏に代わって、伊勢・伊賀22万石を与えられた藤堂高虎は、家臣の梅原武政を名張城代に任命しました!
しかし、武政は失政続きで1617年に解任され、高虎の異母弟で伊賀上野城代の高清の支配となりました!
一方、丹羽長秀の三男として生まれ、豊臣秀長の養子を経て、高虎の養子に入った藤堂高吉は、高虎の後継者と思われておりましたが、1601年に実子の高次が誕生したことで高虎との関係が悪化しました!
高虎が伊勢・伊賀に移ったのに伴い、高吉は伊予今治2万石を与えられたが、1636年に高吉は伊勢・伊賀名張2万石へ移されました!
高吉は廃城となっていた名張城に殿館を築き、名張陣屋と言った!
高吉の子孫である藤堂宮内家は独立した大名ではなく、藤堂本家の藩内領主という扱いでした!
これを不服として、享保年間には本家からの独立を幕府に働きかけたが失敗して、結局、藩内領主のまま幕末まで存続しました!
高吉の実兄である丹羽長重、そして育ての親である藤堂高虎は、いずれも築城名人として名高い!
名張陣屋の遺構は、名張藤堂家邸跡や移築された太鼓門などが現存されています!

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todo94

藤堂家邸跡 (2017/12/09 訪問)

200円払って見学してきました。

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BUGTI

名張藤堂家の陣屋 (2017/10/08 訪問)

名張の地を治めた大名家の陣屋建物の一部が残っています。隣の寿栄神社に移築された正門も風格があり立派です。

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城郭情報

分類・構造 丘城、(陣屋)
天守構造 なし
築城主 松倉重政
築城年 天正13年(1585)
主な城主 松倉氏、梅原武政(藤堂氏家臣)、名張藤堂氏
遺構 屋敷、移築門(寿栄神社)
再建造物 説明板
住所 三重県名張市名張市丸之内54-3(名張藤堂家邸跡)
問い合わせ先 名張藤堂家邸
問い合わせ先電話番号 0595-63-0451