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とってぃ

日本平からロープウェーで (2019/08/10 訪問)

石垣に当時の様子が感じられる。

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とってぃ

土塁と空堀がすごい (2019/08/10 訪問)

暑さの中回ったが、本丸の背面を囲む土塁と空堀がすごい

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響ちゃん

晴れ (2019/08/10 訪問)

保存館終わってたぽい

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響ちゃん

晴れ (2019/08/10 訪問)

蝋人形怖いっぽい

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勝野武士

其の弐、東門跡から礎石建物跡も絡めてグルリと探訪。 (2019/07/21 訪問)

粛々と続けさせていただきますm(_ _)m

南門跡を過ぎると、巨石がかなりゴロゴロしているのが見受けられます。元々高石垣が築かれていたのか、単に落石によるものか…。
この鬼ノ城は所謂『桃太郎伝説』に関連付けて語られることが多く、それによるとここは温羅(うら)という鬼神が本拠としていて、吉備の中山に陣を構えた大吉備津彦命と対峙したそうな。
そんな伝説とも相まって、どことなく人ならざるものの住処だったのではという雰囲気さえ漂います。
なお、『屏風折れの石垣』近くには『温羅舊跡』と刻まれた石碑が立っています。

少し小振りな東門跡を抜けて、また暫く歩くと通称『屏風折れの石垣』に着きます。
千年以上前の遺構とは思えぬ程立派な高石垣も見事ですが、その縄張と立地に注目してみましょう。城内には所々に出っ張りが設けられていますが、その方面に睨みを効かすべく造られたのでしょう(西門近くの角楼もおそらく同じ役割)。
また、ここから西門までの北半分は南半分と比べて造りが違うように見えます。
出っ張りもないし城門は小規模な北門の1ヶ所のみ。土塁も少し低いように思います。
これは南半分、即ち瀬戸内海方面を重視して築かれたことを示しているようです。
南方面に、脅威勢力となっていた『何か』が存在していたのでしょうか?それとも白村江の戦い後、唐や朝鮮の船団の襲来を想定したものだったのでしょうか?興味は尽きません。

北門跡を過ぎて礎石建物跡へ。
今でも発掘調査で見つかった礎石の数々をはっきり見ることが出来ます。確認されているだけで兵舎2棟、倉庫5棟がありました。礎石の大きさからも、それなりに太い柱を使用した立派な建物が建っていたと考えられます。

礎石建物跡からは城内側の道を抜けて鬼城山頂(狼煙台跡)へ向かうのですが、これがまたしんどかった…。足元もあまり良くないので、登山靴は必須でしょう(履いてきてて良かった…)。
またアップダウンも結構あったりするので、整備されているとはいえ、やはり山城。油断は禁物です。所々にマムシ注意とかスズメバチ注意とか書かれた看板もありますので、それなりの対策は必要でしょう。

西門に着くと日はすっかり傾いておりました。
所要時間は2時間。
さすがに正直、少し疲れました(笑)

しかし本当に見所満載です。
何で今まで行かなかったんだろうと軽く凹むぐらいに素晴らしいお城でした。

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勝野武士

其の壱、復元西門から南門跡を探訪。 (2019/07/21 訪問)

皆様、暑中お見舞い申し上げますm(_ _)m

さて、やっとこさ来ましたよ!鬼ノ城!!
我が人生初の古代山城ですよ!!
この鬼ノ城、調査によって7世紀後半に築かれたことはわかっていますが、いったい誰によって造られたのか、その年代も目的も、いつ放棄されたのかさえ文献に記載が無いため全くわかっていない、文字通りの『謎の古代山城』なのです。
白村江の戦いや他の朝鮮式山城や神籠石式山城との関連性も含めて、千年以上前の古代ロマンを掻き立ててくれます。

高まる胸の鼓動を抑えつつマイカーで麓から登ること15分ほど。(途中に『鬼の釜』なるものもありますが、今回は時間の都合上スルー)
広い駐車場が整備されているのでそこでマイカーを停め、まずは鬼城山ビジターセンターで情報収集。
無料で展示を見学出来るほか、関係書籍を購入する事も出来ます。
また、鬼ノ城内にはトイレがないので、登城前には必ずここで済ませておく事を強くお勧めします!

そしていざ鬼ノ城へ。
整備された遊歩道を歩くこと10分ほどで『学習広場』へ。ここでは復元された角楼と西門、そして版築土塁を一望出来ます。
学習広場から少し歩いて、角楼を見上げながら土塁沿いに歩くと西門の前に出ます。
古代山城の本格的な復元建造物はここだけなので、もうそれだけでも見る価値があるってなもんです。
実質三階建て構造なので実に壮大です。柱や門扉などに付いた手斧の跡も素晴らしいです。高欄外側に付いた盾の独特な文様も目を引きます(本来は高欄の内側に付けるそうですが)。
…なお、内部は残念ながら建築基準法の関係で立入禁止です。

高さ約6mはあろうかという版築土塁はとても見応えがあります。鬼城山の山頂をぐるりと囲むように全長約2.8kmにわたって築かれており、城内の排水の為に造られた水門や4ヶ所の城門などの要所要所に石垣が築かれています。
そして、雨水や経年劣化などによる土塁へのダメージを軽減するために土塁の内外に敷石が築かれているのも大きな特徴です。
また、水門遺構も大きな見所の一つです。間近で石垣を観察できる第0~第2水門のうち第2水門以外は排水口を敢えて設けず、石垣の隙間を利用(?)して排水しています。
城内には現在6ヶ所の水門が確認されていますが、驚くべき事に、それらの水門は現在もしっかり機能しているのです。それも結構な水量を排出しているところもあります。
城内の水源の豊かさもさることながら、当時の築城技術の高さには本当に驚かされます。
だってこれ千年以上前の遺跡なんだぜ…?!

もちろん、城門の遺構も見逃せません。
西門以外の3ヶ所の城門は発掘調査の結果を受けて整備されており、礎石など加工の跡もよくわかります。
特に西門と同規模の南門跡については、実はこの南門こそが正門ではないかという説があります。

見所満載の鬼ノ城、スミマセン…まだ続きますm(_ _)m

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響ちゃん

晴れ (2019/08/10 訪問)

天守閣は風が抜けて涼しいっぽい

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響ちゃん

晴れ (2019/08/10 訪問)

迷路っぽい

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響ちゃん

晴れ (2019/08/10 訪問)

駐車場探したっぽい

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朝田 辰兵衛

“へ”に数字はまぎらわしい。 (2018/10/06 訪問)

二戸にあるのに九戸の理由は,単純に城主の名字か…。二戸市のとなりに九戸村があるのも紛らわしい。おっと,数えてみると,四がない。また,一から九が岩手・青森県境で分断されているのは,何か政治的な意図でもあるのだろうか…?こんなカンジで,城とは関係性が薄いところに興味が湧きます。
城としては,浪岡城よりもワクワク感がありました。

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トーダイ

境内を高土塁が巡っています (2019/08/09 訪問)

元弘の頃に名和氏に協力した荒松氏が築いてこの地の防備にあたったと伝えられている。
室町時代は福頼左衛門尉の居城だったが、大永4年(1524)に廃城となる。

富長神社東の鳥居前スペース(1台)<35.499761,133.476392>に駐車、脇に城址標柱、
案内板はありません。本殿に向かう石段を上がると、両側に高土塁が迫ります。

約100m四方の広い境内(曲輪)を高土塁が巡っていますが、夏草とヤブ蚊に阻まれて
全ては確認できず。西にも開口部(虎口)があり、両側は立派な高土塁が固めてます。
日本海に面していますが、望めません。

猛暑日で山城は不可なので、平城に登城しましたが、ヤブ蚊で退散です。木陰の多い
(登城路であれば)山城の方がマシかも知れません。

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チェブ

失礼しました藤橋城。 (2019/07/27 訪問)

新しく乗り換えた車にナビがなく、案内なしで行けそうな東京都青梅市の「藤橋城」に初ドライブです。
昨年、「城びと」の「お城を探す」で初めて行ったお城です。
実はそれまでのお城巡りは天守閣や石垣がしっかり残っているお城か、100名城と続100名城でした。
こんなにお城があるのかとビックリしました。
で、昨年は近くの「勝沼城」と一緒に「藤橋城」の説明板の写真だけ投稿しました。

「藤橋城」は北条 氏照さんの家臣、平山 越前守 虎吉さんが城主とあります。
田んぼや畑が広がる農道の先に「藤の木農道」という交差点があります。
そこから、なだらかに高くなっています。
向かって右手が「藤橋城」ですが左手にも土塁のように盛った小山があありました。
こちらもお城跡でしょうか?
お城のどの部分から、お邪魔したのか分かりませんが土塁で囲まれた公園です。
田んぼから城攻めしましたが反対側は住宅地です。

去年、ただ行っただけの「藤橋城」。今年は少しお城を見る目が成長した気がします。
また再来して、新しい発見できるようになりたいです。

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退会済み
ユーザー

残念! (2019/08/09 訪問)

以前来た時にはこんな看板無かったのに。マナーの無い人が多いのが残念で悲しい。

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とみー

石垣が最幸!な城 (2019/05/03 訪問)

小倉城専用駐車場に車を停めて登城開始!登城道を歩き始めて15分ほど斜面に石垣が現れます。石垣の迫力に大興奮!近世城郭の石垣とは違い、荒々しい石がたくさん使われていてかっこいい!石垣にも近ずくことができます。そしてしばらく行くと郭があり、その先に土橋と枡形虎口があります。そして先を進むと本郭にたどり着きます。「小倉城跡」の石碑もいいのですが遺構もあります!他にも中世城郭では非常に珍しい、石造りの枡形虎口もあり見どころ満載な城です。(駐車場)大福寺の横に城跡専用駐車場あり 無料(パンフレット)大福寺の所に白黒のものあり           

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ぴーかる

小浜城 (2019/07/15 訪問)

【小浜城】
<駐車場他>神社駐車場3台可能
<交通手段>車

<見所>天守台・本丸石垣

<感想>日帰り浅井三姉妹お初ゆかりの城攻めの旅3城目。このお城は京極高次・忠高2代に渡り築城して、京極家が松江に転封後に竣工しているので、はたして江戸で亡くなっている常高院が築城途中のこの城に来ているかわからないが一応ゆかりとして下さいね。
 私自身は小浜は子供の頃何度も魚釣りに連れてってもらった思い出深いところ。オバマ前大統領ですっかり有名になりました。
 
 城跡は本丸石垣しか残っていないが、小濱神社入口正面の本丸東側以外の石垣3方向が良く残っている。天守台は未申の方角にある隅櫓タイプで2つ櫓が付いている複合連結式、天守は層塔型3重3階だったそうです。周辺は一般家屋が間近に建っているので、遠方からの城景は見られない。天守台と家屋の間が人が通れるようになっているので真下から眺めて楽しめる。天守以外の櫓台もしっかり残っている。石垣はおおむね打込み接の乱積み。好きなタイプ。算木積みもしっかりしている。本丸跡を1周して楽しんだ。

<満足度>◆◆◆

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モト

空堀で囲まれた見応えのある跡です。 (2019/03/05 訪問)

周りにしっかりとした空堀が見えます。
これは復元なのか空堀にかかっていたであろう橋の跡に石垣もありました。
この石垣はともかくですが、空堀は雰囲気がありました。

中にある館跡には、建物跡がわかるように整備されていました。
館というくらいですので読んで字のごとく城跡というよりは館の跡ではあります。
しかし空堀を含めて見応えある遺構でございました。
案内板もしっかりした物がありましたので、かなり勉強になりました。

駐車場もありましたし、まわりには大小の城跡もあります。
それも合わせて計画してみてはいかがでしょうか。
まずは勝沼館は、見る価値の跡だと思います。

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カルビン

行ってみて初めて水城とは何かを知る (2019/07/27 訪問)

大宰府から水城までは徒歩でのアプローチ。
都府楼前駅前の、水城館まで1.4kmの距離のところにある交差点で天候が更に悪化(直射日光が痛いくらいに暑く)。

このままただ歩くと確実に危ない(実際歩いている人いなかった)と判断したところで今回の行軍の秘密兵器・日傘の登場。
男が日傘?なんて言っていられませんからね。ここままでは死んでもおかしく無いからね(`・ω・´;;;)

オマケにペットボトルの水を濡れると冷えるタオルと両腕ににぶっかけ完全防備も、この異常な暑さでの1.4kmは危なかった・・・
水城館に到着した時には生き残った感がありました。。。

水城館もちょっと見てすぐ次の場所に移動・・・が当初の予定でしたが、ここでは安全を見てビデオ鑑賞しながら休憩をさせて頂きました。
おかげ様と言いますか、水城に関して全然無知だったのが、ビデオを見て水城とは何?というのが良く解りました。
要するに大宰府を海外からの侵略から守る為の防壁のような役割だったんですね(・ω・)b
更に関所のような役目も果たせて一石二鳥だったとは。。。

ただ実際には侵略はおこらず、水城だけでなく大宰府防衛網の大野城も基肄城も使われなかった訳で。。。ま、それに越した事は無いんですが。。。

水城に関しては両端は確認しましたが、中心部と周辺に残る小水城を見ていないので、機会があったら再訪してしっかり見学したいものです。


熱中症の方が多くなっている昨今、皆様も無理無きお城巡りを心がけて下さいm(_ _)m

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チェブ

梶原氏と坂本 龍馬君。 (2019/07/06 訪問)

東京都品川区の「梶原氏館」に行きました。
京浜急行本線の「立会川駅」から訪問しました。
品川区はオフィス街のイメージでしたが、下町っぽい雰囲気と言いますか、商店街や飲み屋さんがあり賑やかでした。
「立会川駅」から10分~15分位で到着しました。
来福寺から梶原稲荷神社 辺りが館跡です。
「梶原氏館」は北条家に仕えた梶原氏の館と言われています。
「梶原稲荷神社」は源 頼朝さんの指示で幕府御家人、梶原 景時さんが創建しました。
梶原氏は梶原 景時さんの末裔かは分かりません。

帰り道に「土佐藩下屋敷跡」の説明板を中学校の通りで見つけました。
幕末、この地区の砲台を二十歳の坂本 龍馬君が警護していたんだそうです。
いろんな時代が学べそうな「立会川駅」でした。

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のん

真夏の青空の下、白壁が映えて美しい (2019/08/07 訪問)

姫路城を見たあと、時間ができたので急遽回ることに。しかし1時間もいられず、走って回りました。入り口入るとすぐに、迫力ある高石垣と清々しい白壁が、真夏の青空の下目に入ってきて、息を呑みました。
将軍秀忠の命で豊臣滅亡後建てられたそうです。姫路城手前の大坂城との間にこれだけの規模のお城を建てるほど、まだまだ西国への不安があったのでしょうか。
高い石垣と整然とした石の並べ方に江戸時代の技術の高さを感じさせられます。また石は姫路城と同じく凝灰岩で明るいベージュ色のため、白壁と合わせて明るく開放的な印象でした。

城跡は公園になっており、姫路城より広いそうです。時間なく回れませんでしたが、土塀は堀などの遺構が公園内で見られるようです。

スタンプは公園入り口右手のサービスセンター入ってすぐにありました。

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にのまる

飛鳥山公園にもぜひ。 (2019/07/27 訪問)

都市部の小さなお寺でしたので、城巡りという大義名分はひっこめ、入り口付近だけにしました。

近くに飛鳥山公園があります。徳川吉宗が桜を植え、お花見ができる場所として造成した公園で、「城びと」には登録されていませんが、滝野川城と同じ豊島一族の飛鳥山城跡とされています。
今回は寄りませんでしたが、交差点を行き交う都電は昭和感が漂い見飽きることがないし、飛鳥山山頂(25.4m)からチラチラ見える新幹線と在来線の並走もよき眺めで、乗り物好きのお子たちも楽しめる公園です。
また、新一万円札になる日本経済の父、渋沢栄一の旧宅跡に建つ渋沢史料館と渋沢庭園があり、こちらも素晴らしい施設です。

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