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再訪▪城廻りvol.6 高松城 (1982.7.30訪問、2019.1.5再訪) (1982/07/30 訪問)

四国最大の天守のあった、高松城へ行ってきました。
高松城は日本三大海城といわれ、当時、北側は瀬戸内海に面しており、城そのものが軍港としての機能も有していました。
現在では埋め立てられ海岸線は少し離れてしまいましたが、水門によって海とつながっており、堀には海水が引かれています。

城の周囲は中堀、外堀などは埋め立てられ、開発され市街地化していますが、中堀の一部や内堀とその内部の石垣は当時のまま残されており、玉藻公園として市民の憩いの場になっています。

37年前、訪れたときには、天守台には、明治35年に建てられた初代藩主松平頼重を祀った玉藻廟が鎮座していました。

ここ高松城は、天守の古写真が残っており、昭和の時代から我が町にも天守を!と過去2回復元運動もありましたがどれも失敗。

平成8年には高松城跡保存整備基本計画が策定され、平成23年には追加修正されて、往時の海城を再現する計画が少しずつ現在も進行中です。
この基本計画によると、古写真の残っている北西隅に海に面してあった鹿櫓と多聞櫓の復元、現在移築現存している艮櫓の元の位置への再移築。今艮櫓が建っている位置にあった太鼓櫓の復元。戦災焼失した桜御門の復元、大手前地区の中堀の復元などが計画されています。もちろん天守の復元はこの計画のメイン事業です。

平成21年に発足した「高松城の復元を進める市民の会」の積極的な活動により、10万人の署名を添えて文化庁に提出するなど、再度天守再建に向けて動き出しています。

余談ですが、天守などの歴史的建造物の復元には二種類あって、名古屋城天守や高松城天守が目指しているのが復元といわれるものです。これは外観などが古写真などで正確にわかり、内部に関しても図面や写真によって構造が解るものでないと文化庁からの建設許可は出ません。
もうひとつは復元的整備といわれているものがあります。これは外観などが古写真や、絵図である程度わかっているのですが、内部構造などが詳細にわかっていない建造物が対象になっています。しかし、この復元的整備は基準となるものがなく、あやふやなものとなっています。
全国で古写真や絵図の残っている天守や、櫓、門などのほとんどがこれにあたります。
天守でいうと名古屋城▪岡山城▪広島城▪大垣城の4つの天守しか文化庁のいう復元の許可はおりないというのが現状です。

しかし、前述の市民の会の活動がきっかけになって、文化庁ではこの復元的整備の新たな基準を決めようと去年の秋から有識者と共に協議を開始しています。
ここ高松城天守のように天守や櫓、門など復元にあと一歩なんだけど、なかなか復元できないという全国に散らばるお城に、新たな復元的整備の基準が一つの光となることを祈るばかりです。


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城好きのメガネ

「諫早城」 (2019/03/10 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
戦国時代に西郷尚善が築城した山城である。本明川を天然の水堀とし、土塁や空堀で防備を固めた。1587年、西郷純尭は、豊臣秀吉の九州征伐に参陣しなかったため所領を没収された。その後、諫早城は、龍造寺家晴に与えられ、家晴の子、直孝は名を諫早氏に改め、幕末まで存続した。茂門の代に財政難のため麓に諫早陣屋をおいたとされる。現在、諌早公園として整備されており、国重要文化財の眼鏡橋が園内に移築されている。

<アクセス>
JR諫早駅 徒歩15分

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チェブ

本日、看板びと。 (2019/02/17 訪問)

足利 尊氏公の弟、直義さんに仕えた淵辺 (渕辺)義博さんの「淵野辺城」に行きました。

まず、住宅街の道が細く見通しが良くないので迷いました。「渕辺 義博居館跡之碑こちら」と親切な案内板がありましたが、やはり迷いました。
やっと見つけた「淵野辺城」はアパートの裏側と水道施設に挟まれてました。
遺構はありません。細い道をゆるく登ったので高台にあったんだよね、とザックリ確認し退陣しました。

車はもちろん自転車も見通しが悪いので気をつけて通行しましょう。

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カルビン

資料館から離れてます (2016/03/20 訪問)

その位置からして、何故ここが千葉県?と言いたくなる程県内北西ギリギリにある関宿城。
先日茨城県の逆井城upした際に関宿城の移築門がある事も書きましたが、両城は10km離れておりません。
電車の駅からは遠く、バスも本数少なかったハズなので、関宿城だけを目的にしない場合は車で訪問された方が良いです。

関宿城博物館はあくまで博物館なので、リアルなお城を探すも・・・2回訪問して見つけられずorz

また草木の少ない季節に三度訪問し、やっと本丸跡地と石碑を見つけましたε=(´Д`;)

しかし得に遺構が残っている訳でも無く・・・おそらく関宿城のあった場所は利根川が江戸川と分岐する場所にある為、川の整備の為に整備されてしまったんだと思われます(もしくはそもそも河川際にあった平城だったので、天災で消失した可能性も)


皆様は関宿城訪問されるなら、本丸1:博物館9くらいの比重で宜しいかと(笑)

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白桜

雪! (2019/03/14 訪問)

前日雪が降った七尾城。3月で雪景色の城が見れるなんて!朝早く行ったので誰もいなかったのも雪が踏まれてなくてきれいでした。石垣凄かったです。本丸からの眺め最高でした!駐車場から近いとこに本丸とかあるので、時間なくても楽しめる。今度来たときは山の装備もってきて麓から登りたいです

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todo94

続日本100名城スタンプ99個目① (2019/03/09 訪問)

国史跡の大内氏遺跡のひとつです。築山館に隣接と云って良い龍福寺がその故地です。龍福寺本堂は重文に指定されています。土塁や庭園が整備されていますが、続日本100名城としては高嶺城とセットでないと役不足かと。ということで、続けて高嶺城に向かいました。高嶺城は大内氏館からもよく見えます。

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小城小次郎

洲本城

続100名城だが、そもそも100名城に選ばれなかったのが不思議なくらい。天守台の上に天守台を作っちゃったのは賛否あるとは思うが、あの天守はあの天守で私は好きだ。

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くろもり

お城にお参りへ (2014/04/13 訪問)

投稿日の今日、3月13日は上杉謙信公の旧暦での命日(天正6年3月13日)です。
旧暦の命日を現在の新暦にすると1578年4月19日が命日になります。

後北条氏から上杉氏の養子となった上杉景虎公は、旧暦の天正7年3月24日が命日で、新暦にすると1579年4月19日。

御館の乱で景虎公を破った景勝公は、旧暦の元和9年3月20日が命日で、新暦にすると1623年4月19日。

不思議なことに新暦にすると4月19日が三公の命日となります。

命日には少し早かったのですが、新暦4月13日に三公に縁のある春日山城へお参りに行きました。

丁度、桜が咲いている時期で、実城(本丸)跡にはたくさんの人が桜の写真を撮っていましたが、桜よりも上杉三郎(景虎)宅址の石碑の下に、真っ赤な薔薇の花が一輪手向けてあったのが印象に残っています。

私はやはり謙信公となってしまうのですが、景虎公を想う方もいるのだなと思うとともに。三ノ丸屋敷跡の説明にある「今、春日山城の中で最も注目を集めている所である」の説明は本当なのだと実感しました。
※小説『炎の蜃気楼』の主人公が景虎公なので、そのファンの方が薔薇を手向けていったのだと思います。

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尾根を断ち切る三重堀 (2019/01/16 訪問)

東西を川が浸食した急峻な凝灰岩の山体。獣避けの柵から尾根までの道は不明瞭だが、石だらけの浅い谷を行くと藪化してないので、直登可能。柵の入り口は方々にあるが、北西麓の民家の間を進んで、コンクリートの階段がある先の入り口が良い。

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降雪の合間に登頂 (2018/12/28 訪問)

東郭に人が住む寺があり、墓地もあって、良く手入れされているが、寺の裏手になる本丸北側の姫の郭方面は藪。搦め手側に降りていくと小鹿が路にたたずんでいて、目が合いました。

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チェブ

ポケモンGOの方達、見上げてくださいな。 (2019/02/17 訪問)

少し前に城跡巡りとは言っても遺構が消滅して看板ばかり写真に写してた不完全燃焼日の最後に行ったのが「片倉城」でした。
「片倉城」以前、駐車場が満車で城攻めできませんでした。
今回も相変わらず人気の「片倉城」。
駐車場は運試しみたいです。お城の神は一台分、空けておいてくれました。
たくさんの方が携帯を見つめています。ポケモンGOの方達です。

扇谷上杉氏の家臣、長井氏が築きます。その後いろいろあり、北条 氏照さんが滝山城の城主になると「片倉城」は滝山城の支城となりました。

国道16号から「片倉城」に入った時は分かりませんでしたが、公園の中の小高い山を登ります。
木橋があり、なんとなく滝山城に似ているように感じます。
空堀、土塁もあります。

ポケモンGOのみなさん、携帯で目が疲れたら山を見上げてください。「片倉城」で癒されます、、、?

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カルビン

浸食のされ方がへんなお城 (2014/05/10 訪問)

GWをずらした為、金曜日に千葉県柏市のお城に行ったのですが、1日で予定していた場所全然回りきれず・・・次の日も同じエリアを訪問しw。。。訪問したのが増尾城。
実は金曜日道に迷ってたどり着けなかったっていうのもあったんですが(汗)

東武アーバンライン増尾駅から徒歩20分程で増尾城に到着。。。増尾城は城址公園になっていますが、ものすごく暗いですw
木の葉の生い茂り方が半端無い為、太陽の光が届かなかったんですよね・・・曇りの日だったらより一層暗かったのでは。。。

肝心のお城ですが、予想外に高い土塁が印象に残ってました。
改めて写真を見て思い出したのですが、堀底道や虎口等が良形で残っていました。

こうしてupする際に写真見直して、改めて再訪したいと思える場所は意外と多いです。


南東側が芝浦工大付属高校・中学を造る為に整地されたのは解るんですが、南西側のゴルフ場等が増尾城址公園に不自然に食い込んでいるのを見て、変な浸食され方しているな・・・と改めて思いますw

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平馬

水戸城跡 (2019/03/13 訪問)

御三家の城跡!ですが…ほとんど学校の敷地になっているので当時の面影は薄いですが、空堀が当時の凄さを物語っています!二の丸展示館に水戸城の模型があるので分かりやすいと思います。大手門は復元中でしたが弘道館、杉山門、坂下門、薬医門と見どころがあります。

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白桜

高岡の石垣と堀 (2019/03/13 訪問)

水堀を間近で見れます!

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城密集地帯甲賀 (2019/03/12 訪問)

甲賀忍者屋敷の近くです。
古琵琶湖層の粘土質が、急斜で重厚な土塁を可能にする。
新宮支城は、野性動物捕獲用の罠が仕掛けてあるので、表示を良く見て近づかぬように。

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todo94

国史跡大内氏遺跡 (2019/03/09 訪問)

続日本100名城の大内氏館と共に大内氏遺跡として国の史跡に指定されている築山館です。八坂神社の境内の一角にL字状に土塁が残っています。

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にのまる

青春18きっぷ1回目 (2019/03/08 訪問)

群馬・栃木・茨城あたりは「18きっぷ」発売を待って行くことが多いです。浮いた分でグリーン席を確保して(結局チャラなんだけど)、景色を眺めたり本を読んだりしながら過ごすのがささやかな楽しみ。爆睡していることもよくありますが(^_^;)

北新波砦は箕輪城とセットにしたいところでしたが、時間と強風と花粉の都合によりこの日はここだけにしました。
張り出しを持つ75m四方の曲輪跡です。

1566年、信玄さんにより箕輪城が落城した際に長野氏も没したそうですが、1576年に勝頼くんが家臣に所領を安堵したとの記述もありました。1576年といえば前年長篠で大敗を喫し、これが武田氏没落のキッカケとも言われていますが、実は敗戦処理も領地拡大も見事にやってのけていた勝頼くんの黄金時代。まぶしいぜぃ☆彡
隣接する満勝寺の屋根には武田菱がありました。なんか関係ありそうです。

437年前の一昨日(3/11)、天目山で果ててしまった勝頼くん追悼ウィークの前哨戦でありました。
私はこれだけで大満足ですが、皆様方におかれましては箕輪城または桜の時期の高崎城と一緒にまわられるのがよいのではないかと思います。または倉賀野城で石碑だけを上手に撮ってみるのにチャレンジとか。

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朝田 辰兵衛

て,て,て,点がない! (2019/03/10 訪問)

関沢神社から自分が描いたコースで,比高約30mを登るっていう散策となります。私は,主郭の東側をえぐるようなルートで登城しました。関沢神社に向かって右回りのルートです。西側の堀切はヤブっていて散策を断念しました。花粉の飛散量,半端ないです。ホントは西側から下山したかったのですが…。本丸には,表札が掲げられてました。よく見ると“城”の字に点がなくて,しばらく固まってしまいました…。
なお,すぐ近くの関沢ふれあいセンターはチェックのしがいがあります。ここには,周辺から出土した板碑群が,石碑の脇に並べられています。倉庫らしき壁面には,案内パネルが貼り付けてあります。マイカーで来られる方はここに駐車できますョ。

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あきおこ

竪堀が放射状に伸びる山城 (2017/12/29 訪問)

北条の城で竪堀が山頂の郭から放射状に麓に向かい伸びる凄い城。
縄張り図を見てすぐに行きたくなりました。

年末の18切符を握りしめ神奈川へ。

JR橋本駅北口から、神奈川中央交通・橋1 三ケ木行きに乗車、
津久井湖観光センター前で下車。20分で到着。
こちらには広い駐車場もあります。

バス停横の山が津久井城のある山です。

遊歩道が麓に整備され途中から登山道に分岐します。
登山道は複数あるようです。
遊歩道沿いには山頂から伸びると言われるトバ堀が整備されています。

登山道は1泊2日の装備を背負い登った為か、息があがりました。

荷物無しなら苦もなく登れる整備の行き届いた道だと思います。
私の足で山頂まで30分くらいでした。

山頂には郭群があり曳橋のあったといわれる堀切、土塁のある郭群などが
ありますが、主郭下の連続桝形がある部分は立ち入り禁止となっていました。(2017年12月29日現在)

竪堀の堀底道が、そのまま登山道になっているところもあり楽しめましたが
全体的に竪堀のある場所は藪化している所が多く、楽しみにしていた竪堀群を
体感することなく散策終了。やや消化不良の登城となりました。





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カルビン

二俣城に行くならここもセットで (2014/12/06 訪問)

AM2:00に家を出て、新東名を大声で歌いながら(←眠気覚ましの為w)はるばる二俣までやってきました。
もちろん本命は二俣城だった訳ですが、事前に近くにお城があるかどうか確認したところ、すぐ傍に鳥羽山城がある事を知って立ち寄りました。

二俣城から天竜川沿いに細い道を南西に進み、広い駐車場を見つけそこから登ったのですが、実は南の主郭に近い所にも駐車場があった模様(しかも登りがそちらの方が少なかったw)。

朝二俣城では霜も降りる程寒かったのに、駐車場からお城までの道は草が生い茂っていて進み辛かったです(汗)


主郭まで来てビックリ、二俣城にも負けていないお城がそこには有りました(驚)

山の頂上に平坦地を設け、その周辺を石垣や土塁が囲むという、山城では珍しい(個人的にはw)居館タイプのお城になっております。
どこまでが現存の石垣なのかは不明ですが、今まで見てきたお城の中では上位の部類に入ると思われるお城です。

迎賓機能を備えたお城との事で、枯山水庭園跡も見つかっております。

北西に造られた展望台からは天竜川の絶景・・・と言いたいところですが、結構背の高い木が多く、枯れ気味にも関わらず遠くが見辛い残念な展望台になってました・・・一部遠望が利いたのでギリギリセーフかなw


本丸から延びるローラー滑り台がありましたが、そのNG見本が笑えます(そんな体勢で滑るヤツおらへんやろw)

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