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たにgucci

小雨降る中攻城 (2019/06/08 訪問)

綺麗に整備されていました。

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くろもり

忠臣・朝比奈 (2015/05/24 訪問)

全国に4つしか現存していない御殿がある掛川城。
他の3つは、埼玉県の川越城、京都府の二条城、高知県の高知城です。

さらに、木造復元された3重4階の堂々とした天守。
この木造復元天守も全国に5つしかありません(実質天守の三重櫓含む)。
他の4つは福島県の白河小峰城三重櫓、宮城県の白石城三階櫓、新潟県の新発田城三階櫓、愛媛県の大洲城天守です。

天守を木造で復元する意味なんてあるのか?なんて疑問の意見を耳にしますが、木造復元された天守に行ってみて思ったのは、「天守は木造でこそ!本当に素晴らしい」です。なので、名古屋城の木造復元も凄く楽しみにしています。ただ、コンクリートの天守を否定するつもりはありません。鶴ヶ城や名古屋城や熊本城の天守も好きです。コンクリートでも再建してくれた先人の情熱に感謝しています。

後、ここからは武将の話になるのですが、ここ掛川城は東の甲斐・武田氏と西の三河・徳川氏に攻められ駿府館を脱出した今川氏真公を城主・朝比奈泰朝公が半年間程守ったとされる泰朝公の忠義の場所なので、訪れることができて嬉しかったです。掛川の地は、武田・徳川共に喉から手が出るほど欲しい土地だったと思うので、泰朝公もかなりの高待遇でどちらの陣営にも迎え入れられたと思いますが、主君への忠節を選び、掛川城開城後は、主君・氏真公と共に後北条氏の元へ退去したようです。

掛川城から北東に徒歩10分程にある掛川古城には、大堀切跡があり、想像していたよりも迫力あるものでしたので、中世城郭好きな方におすすめです。

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スミヤキ

武田三名城 (2019/04/09 訪問)

「甲陽軍艦」によると駿河久能山城と上野岩櫃城とともに武田の三大名城だそうです。

岩殿山城は山梨県大月市にある標高634m の岩殿山に築かれた連郭式山城です。甲斐国都留郡の国衆小山田氏の居城です。相模・武蔵と接する境目の城、軍事的拠点として武田家の重要な役割を担っていました。周囲を切り立った裸岩の絶壁で固め、深い渓谷を作る桂川、葛野川を自然の外堀とした難攻不落の山城です。特に南側の剥き出しの円礫岩からなる垂直にせり上がる高さ100mの絶壁は、視覚効果も抜群の圧倒的な迫力です。

お城までは麓の大月駅から小一時間程のプチ登山で大半、石段を登ります。途中、築坂の大手門や巨大な自然石の間に設けられた揚げ城戸跡など見所も有り、本丸周囲には馬場や狼煙台、物見台跡なども。本丸山頂からは富士山が望め、秀麗富嶽十二景、関東の富士見百景にも選定されています。かつての狼煙台跡地に現在は電波塔が建っており、今も昔も情報通信の拠点に変わりがない事が、面白いですね。訪問時は、桜が満開で見事でした。

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ぴーかる

高島城 (2018/11/04 訪問)

【続百名城22城目】
<駐車場他>天守台西側脇に城公園の無料Pあり。 
<交通手段>車

<見所>冠木門・石垣

<感想>1泊2日信濃攻城の旅3城目。諏訪に宿泊し朝8時に来城する。まず内堀を1周する。内堀は方形で外周は600mもあるかぐらい小さい。堀石垣は野面積みでさほど高くなく苔が付いてて味がある。本丸内は現在は池の庭園や藤棚になっていて北と東側は土居になっている。本丸北側に冠木門と呼ばれるが絵図から堂々とした櫓門を復興して見応えある。西側は今は三の丸の裏門(現存)が移築されている。艮の方角に隅櫓が再建されて茶屋になっている。天守は小天守跡の石垣があり、残念なことに天守出入口のコンクリの渡階段廊下で埋めてしまっていた。連結式の天守だったのだろうか。天守は天守内にある明治初期の古写真の通り良く再建されていて、望楼型の大きな破風、秀麗な感じで湖上の城を連想させる。しかし下見板の色が薄茶なのがあまり自分好みではなかった。当時は何色だったのかな?高島城築城者の日根野高吉、父の弘就という戦国武将も知らなかったのでこちらも興味がわいた。

<満足度>★★☆

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街道おじさん

清洲城登城 (2019/01/05 訪問)

信長が生まれ育った城であり、日本の戦国史にとっても極めて重要な意味を持つ城である。
新幹線から見ることが出来る。天守の近くには信長像と濃姫像があり、ロマンを感じさせる城でもある。

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街道おじさん

清州城登城 (2019/01/05 訪問)

信長が生まれ育った城であり、戦国史にとっても極めて重要な城である。
新幹線から見ることが出来る城としても有名。信長像と濃姫像とがあり、戦国のロマンを感じさせる城でもある。

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カルビン

四天王関連の中では微妙なのが多いかも (2019/06/01 訪問)

先週訪問した、微妙だったお城の1ヶ所・上野城。
群馬県・館林にある館林城同様、徳川四天王・榊原康政ゆかりのお城です。

館林城は思っていた程は残っている遺構が少なく、今でこそ及第点の残り具合と言えますが、自分がお城巡り始めた当時としてはハズレの部類に入っておりました。。。他が良すぎたっていうのが実際の所ではあるのですが(汗)


榊原康政の出身地・上野城自体に遺構等は殆ど無いのは解っておりましたが、もっとこう・・・何か推すものがあると思っておりましたが・・・駅から特に何も無かったんですよねw

道沿いにあるお城に対して小さな看板が見えるので、行き過ぎる事は無いとは思いますが、主郭?跡にはちょっとした土塁形状の上に祠が二段に鎮座しているのみ。。。
周辺の地形と合わせてお城っぽさはありましたが、まぁ特出して良い所・オススメする所は見当たりませんでした。


徳川四天王、武将としては大成してますが、その後徳川政権の中央から徐々に外れて行ったのは、やはり本多正信等の政治力に敵わなかったからなんでしょうね。。。唯一対応できそうだった井伊直政も若くして鉄砲傷が元で亡くなっちゃいましたし。

しかし家康時代に移る関ヶ原合戦前に亡くなった酒井忠次は仕方ないとして、本多忠勝(大多喜城)・井伊直政(彦根城)が元祖・続100名城になっているのに対し、榊原康政のお城が登録されていないのは。。。ただ館林城が開発の手を逃れられなかったからだけなんだろうか・・・


かなり脱線しましたが、上野上村城は狙って来る程ではなく、やはり何かとのタイアップで訪問する方が宜しいかと。

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やす

杉山城 (2019/06/08 訪問)

滑河町 おがた様

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街道おじさん

日本百名城最初の登城 (2019/01/09 訪問)

日本百名城スタンプを初めて手に入れた。残りあと99城。たいへんだ。
岡崎城は自宅から最も近い100名城。家康生誕の地でもあり、私の最初の登城に相応しい城。

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やす

菅谷館跡 (2019/06/08 訪問)

2019年6月8日4

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小城小次郎

新宮城

一国一城令で城を壊した本人によって再建された珍しいお城は昭和になって旅館になったりいろいろあったが、今は綺麗な公園になって見事な石垣美を楽しませてくれている。

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ぴーかる

山本勘助公墓所・川中島古戦場 (2018/11/03 訪問)

【山本勘助公墓所・川中島古戦場】
<駐車場他>各所無料Pあり <交通手段>車

<感想>お城とはあまり関係ないですが、歴史に関する投稿としてお許しを。
松代城登城後長野市内に食事の途中寄ってみた。先に山本勘助公の墓所にお参りした。墓所は千曲川の河川敷内にあり、土手上からすぐわかる場所にある。川中島古戦場は公園になっていて有名な一騎打ちの像・首塚・八幡社がある。激戦地はここではないらしい。

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ぴーかる

松代城 (2018/11/03 訪問)

【百名城43城目】
<駐車場他>城南側正面入り口前に無料Pあり。 <交通手段>車

<見所>真田邸・二の丸・本丸内堀石垣・櫓跡

<感想>1泊2日信濃攻城の旅2城目。まず真田邸・宝物館に行くと文化の日で無料でラッキー!だった。大好きな真田親子の末裔の邸宅でテンション↑堪能する。軒瓦の家紋六連銭がいい。邸宅自体はそんなに大きくない。次に宝物館内は撮影禁止。真田家の遺物はそこそこある。次に城は十数万石の松代藩の城にしては非常に小さい。二の丸は外郭に空堀があるが手つかずって感じで土で埋まっているが、二の丸跡内は土塁、本丸内堀からは石垣で非常に良く復元・整備されている。本丸は正方形で四隅に櫓跡がある。一番古いとされている戌亥隅櫓跡も非常に良く積み直しされていて良く感じた。城見学後、山本勘助のお墓(千曲川の河川敷内にある)、川中島古戦場跡に行って、長野駅ビルで夕食ソースかつ丼・馬刺しを食べ、宿泊の諏訪へ行った。今回満足度は真田邸を含む。

<満足度>★★★☆☆

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赤い☆稲妻

駿府城 (2018/10/13 訪問)

天守台石垣の発掘工事を公開してるということで訪問しました。
元からあった天下普請の石垣も凄いですが、発掘している現場を目の前に見られるのは貴重な体験でした。

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赤い☆稲妻

上田城 (2018/10/27 訪問)

会社の後輩と一緒に訪問。
松本城〜上田城をセットで回りました。
千曲川側からの河岸段丘に聳える櫓は圧巻。
落ちない城として有名ですが、そうだろうなと。
真田神社で願掛けしました。

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ぴーかる

松本城 (2018/11/03 訪問)

【百名城42城目】
<駐車場>城周辺に有料あり。 <交通手段>車

<見所>天守群・黒門・太鼓門

<感想>1泊2日信濃攻城の旅1城目。2度目の松本城だがよく記憶していた。当時はすんなり天守に入れたが、様々な方のを拝見するに近年は入城制限があるようなので朝4時頃出発し9時前に到着入城してすんなり入れた。入城口の黒門は外観のみ。次に天守群内の乾小天守には入れないが、1Fフロアは覗ける。天守内は格子窓は小さく狭間しかないので非常に暗い。3Fは特に天井が低くくフロアには入れない。天守後本丸内を散策したが埋橋の門跡も立入禁止や櫓跡の形跡もなかった。太鼓門は櫓は復元、石垣はほぼ積み直しだが、櫓内に入れて鯱・瓦の展示物がある。石垣も鏡石の「玄蕃石」見応えある。太鼓門を出ると、東側の外堀が一部残っていて土塁および腰巻石垣になっている。6年前より城郭の知識も増えて天守以外の見所ある遺構も楽しみにしてたが、案外少なくて残念な感じだったがやはり天守存在感は強烈で良かった。さらに天気が快晴で写真が栄えた。城後十割の新そばを食べた。

<グルメ>蕎麦倶楽部佐々木 城の南側10分程歩くとあります。開店前から行列ですが十割でおいしいです。

<満足度>★★★☆☆

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ヒロケン

21棟の重要文化財 (2019/04/30 訪問)

松山城の創始者は加藤嘉明公で慶長5年の関ヶ原の戦いに於いて徳川方に従軍し、その戦功を認められて20万石となった嘉明公は、同7年に道後平野の中央にある勝山(海抜132m)に城郭を移すため、普請奉行に足立重信を命じて地割りを行い工事を着手させました。
しかし残念なことに加藤嘉明公は松山在城25年、完成直前の寛永4年に会津に転封されました。

日本屈指の名城、松山城は21棟の重要文化財があり、天守を含む各櫓・城門が有名ですが、自分は何と言っても石垣ヮ(゚д゚)ォ。姫路城の次に文化財が多いと言われる櫓も素晴らしいですが、天守閣がある本壇を囲む石垣が恐ろしく素晴らしい。住み着きたいとさえ思います。

4月30日天候雨、14時30分頃宿泊先のホテル駐車場に車を止め、二の丸史跡庭園を写真に収めつつロープウェイ乗り場に約1時間程で到着。到着した途端あまりの人の多さに仰天。ロープウェイ待ちで1時間(°д°)。徒歩で本丸まで20分!!迷わず雨の中傘を差して徒歩で天守を目指し、ずぶ濡れになりながら各櫓を写真に収めつつ本丸に到着。
本壇への入城は16時30分が最終受付で残り15分(○゚д゚)ャバィカモ・・・。しかも、ここにも行列・・・。松山城へは3回目の登城であった事から、本壇への入城は断念し周りの櫓・石垣を堪能。本壇には入れませんでしたが、十分楽しい時間を過ごせました。

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カルビン

何もなさそうで実は良く見ると・・・ (2014/11/01 訪問)

JR上野原駅からそんなにかからないと思っていたら、いきなり結構な登りを強いられ・・・
更に距離もなかなかで、駅から20分かけてやっとお城の場所に到着。

住宅街の一角にある小さな稲荷神社の中に上野原城の解説があります。


地形的に眼下に中央高速が走る場所なので、崖端城だったと推測出来ますが、あいにく住宅街と言う事で整地されてしまい遺構は残っておりません。。。とおもいきや、
稲荷神社の道を挟んで反対側にある畑が一段下がった場所にあったんです。。。もしかして堀跡?そんなまさか・・・

と思って一応撮影しておいて後で調べてみたら、確定ではないものの堀説は存在するらしく。。。いや、堀であったと思いたいw


ま、それ以外には目ぼしいものは残っておりませんので、無理して訪問する程ではないですが。

更に駐車出来る場所も無く、行くとしたら電車での訪問となると思います。


上野原城域から高速道路を挟んで遠く先の山には尾根続きで2ヶ所の砦跡があるそうです。

ハイキングコースにもなっているそうなので、本当に行く場所尽きたら行ってみようと思いますww

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チェブ

兄弟喧嘩。 (2019/05/04 訪問)

福島県喜多方市の「新宮城」に行きました。
佐原 盛連さんの六男 新宮 時連さんが築城しました。
昨日、投稿した「猪苗代城」の猪苗代氏のお父様も佐原氏です。
佐原氏の子供達を調べてみました。
長兄=猪苗代氏。
次兄=北田氏。
三兄=金上氏。
四兄=蘆名氏。
五兄=加納氏。です。この「新宮城」蘆名氏との戦いで滅びました。
ちなみに加納氏とも戦います。金上氏とも対立します。北田氏とは同盟を組みます。
兄弟、仲良くできなかったのでしょうか?
ずっと田んぼ道を運転しました。
途中「新宮熊野神社 長床」といった看板を見ました。「新宮城」の住所がナビに無かったので「新宮熊野神社」を目指しました。
とても立派な神社でした。
「長床」は熊野神社の拝殿の事でした。
でも「新宮城」ではありません。
街の案内図があり「新宮城」は車で2、3分ほど行った所です。
駐車場がありました。
城碑を見つけましたが国道沿いにあるので写真を撮る際は車に気をつけてくださいね。
あわてて撮ると私の写真のようになります。
きれいな紫色の幟が立ててあります。
、、、折れてましたが。新宮さんの戦いの後みたいです。
遠くに掘や土塁っぽい所が見えました。
新しい幟と広い駐車場、何やら整備でもされるんじゃないでしょうか?期待してます!

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リャンス

暑かった〜! (2019/05/12 訪問)

私服とスニーカーでは
ちょっと無理
途中で断念 (涙)

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