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こげら

細川ガラシャの住んだお城 (2019/06/03 訪問)

細川ガラシャで有名なお城ですね。お城の前の通りもガラシャ通りとなってます。近くに土塁見れる公園もあります。

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朝田 辰兵衛

賤ヶ岳の合戦では… (2019/06/07 訪問)

柴田勝家が自らこの城を守ったそうです。『源平盛衰記』には「北陸道第一の城郭」と記されています。
標高:270m,比高:140m。新羅神社登城口から登城し,観音堂登城口から下山しました。

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カルビン

岬~巡りの~バスは~走る~♪ (2014/05/19 訪問)

以前三浦半島の新井城と京急油壷マリンパークを訪問しようとして、京急三崎口駅から間違えて三崎まで行ってしまった際に、携帯検索したら三崎城がある事を知ってついでに立ち寄りましたw

以前ほんの少しだけ三崎城の事を調べた際、遺構がちょっとした土塁と、舗装道路と化した堀切道がある事は知ってました。

どうも当時舗装された遺構は遺構と認めていなかったところがあり、解説のある道の先にある堀切はあえて見なかったんです。。。勿体ない事したwww


と言う事で見所はそんなものなので、新井城とセットでの訪問か、三崎漁港でお魚食べに来るついでに三崎城をちょろっと見学・・・というのもアリかと。


ちなみに三崎口駅からバスで油壷・三崎方面に向かう途中に「引橋」がありますが、ここは三浦氏が伊勢新九郎の軍から数年の長い間地形を利用して侵入させずに守り続けた場所になります。

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チェブ

法螺貝の頂上に鯉のぼり。 (2019/05/03 訪問)

栃木県の「皆川城」に行きました。
皆川氏が築城します。
戦国時代、城主 皆川 広照さんは主君をコロコロ変えました。
関東入りした織田 信長さんに誼を通じ、滝川 一益さんの配下になります。
本能寺の変後は北条家へ。
秀吉さんの北条征伐中に小田原城を脱出します。
家康さんに泣きついて、助かります。
秀吉さんからも所領を安堵されます。
この時「皆川城」上杉 景勝さんにやっつけられてます。
だいたい、こんな感じですが、他にもちょいちょい主君浮気してます。
「皆川城」はデーンと立派な山城です。
よれよれの横長説明板を読み終わり、「皆川城」に目をスライドさせると大きな竪堀が見えます。
では城攻めです。
頂上まで整備された道が続いていました。
中腹には井戸跡や土塁があります。
どのように歩いたか説明できないのですが、大きな掘もありました。
高い頂上には鯉のぼりが泳いでました。
車で「皆川城」に行ったのですが、遠くから鯉のぼりが見えていて目印になりました。
「皆川城」の広照さんの権力の強さを確認できた気がします。
一族を守る為に主君を変えていったと思いたいです。

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街道おじさん

吉田城登城 (2019/01/14 訪問)

長篠城登城後、続日本百名城の吉田城に登城。昭和29年再建の鉄櫓が資料館となっており、吉田城の歴史や城下町、宿場町等
展示されており、興味深い。
またこの城は、歌川広重の人気シリーズ『保永堂版東海道五十三次』の吉田 豊川橋にも描かれている。
ちなみに、保永堂版には、日本橋―江戸城、小田原―小田原城、浜松ー浜松城、岡崎―岡崎城、桑名―桑名城、亀山―亀山城等の
城が描かれている。城好きにとっては、訪れた城を広重の絵で再確認すると楽しいと思われる。

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こげら

石垣と案内板 (2019/04/05 訪問)

NTTビルの裏側に再現された石垣と案内板があります。

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こげら

光秀像 (2019/05/14 訪問)

光秀さんの像が妙に可愛ですね。案内板のボタンを押すと光秀さんの歌が流れるのはご愛嬌です。

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こげら

石垣と案内板 (2019/05/14 訪問)

神社の中を通り過ぎ、病院の脇を抜けるとその先にありました。
道案内がないので分かりにくいですね。

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モト

曲輪、空堀が見事な城跡でした。 (2019/03/05 訪問)

さすがは国指定!
行った後の正直な感想でした。
高台にあるその城跡にははっきりとそれだとわかる曲輪や空堀を見ることができました。
博物館も隣にありますので、寄ってから行きますと更に深められるかと思います。

入り口からすぐ横に横堀が見え、高台に目をやると曲輪が見えます。
すでに気持ちはワクワクです。
登って行くと本郭は土塁や虎口もあります。
また囲む空堀など見所は満載です。

規模は大きくはありませんが、見所ある遺構を確認できるオススメな城跡でした。
お近くにお越しの際は是非城巡りのプランには入れていただきたい城跡だと思います。

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チェブ

かわいいガイドさんがいます。 (2019/06/08 訪問)

私が行った福島県のお城は、調べてみると相模出身の佐原氏、その子孫の方々の築城だった事が意外な発見でした。
なので今回は相模の国=神奈川県の「早川城」に行きました。
残念ながら佐原氏のお名前は出てきません。
鎌倉時代の御家人 渋谷 重国さんの築城です。
「渋谷城」の渋谷氏とは親子?弟?はっきりとは言えませんが血縁関係はヒジョーに濃いんです。
「早川城」は城山公園です。
虎口や土塁、掘と残されていて分かりやすくなっていました。説明板も沢山あります。
そ・れ・か・ら、ずっと私の前を「にゃぐにゃぐ」言いながら案内をしてくれた猫ちゃんがいました。
立ち止まると振り向いて待っててくれます。
着いた所は猫ちゃんの恋人がいました。
「早川城」、バーベキューもできます。
これからの季節、賑わいそうな「早川城」です。

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ぴーかる

高遠城 (2018/11/04 訪問)

【百名城44城目】
<駐車場他>城の三の丸・勘助郭に無料Pあり。 <交通手段>車

<見所>各郭・堀・大手門・大手門跡

<感想>1泊2日信濃攻城の旅4城目。有名な勘助郭は今は駐車場になっておりそこに駐車する。えらく来城者が多いなあと思いながら二の丸付近に行くとちょうど城のもみじ祭りを開催しており、城内にある高遠閣で主催の新そばの高遠そばに運良くありつけ美味しかった。そば食べ後本丸の空堀を降りて下から桜雲橋の紅葉を撮影する。本丸の空掘は写真の通り深い。次に本丸の移築した問屋門を見て本丸内へ。石垣があるが枡形遺構になっておらず、パンフに現存の石垣は大手門しかないとのことで、これは組直ししたものかも。次に南曲輪→法幢院曲輪を観察、ここも結構掘は残っており城郭らしい雰囲気。法幢院曲輪の東面は土塁もしっかりある。次に笹曲輪→二ノ丸→大手門遺構→大手門跡を見る。大手門は写真の通り解体され遺構はわずか。高遠城は破却・移築された遺構が多く、江戸期を通して使用され建築物があった雰囲気はない。しかし高遠コヒガンザクラと紅葉が赤く色付いていたのがとてもよかった。桜の時期にはさぞかし美しいことだろう。帰路途中苗木城に行こうかとしたが、行っても見る時間があまりなく、雨が降り出した為この城で旅終了して帰路に着く。全走行距離930㎞

<満足度>★★☆☆☆

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街道おじさん

長篠城登城 (2019/01/14 訪問)

この城は、武田氏と徳川氏との戦いの舞台となった。空堀と土塁が魅力的である。
それにしても武田は遠い甲府からここまでよくぞ攻め入ったものである。

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赤い☆稲妻

岡崎城 (2019/01/26 訪問)

会社の部活にて東海ツアーを組みました。
私の運転で千葉発、浜松城〜岡崎城〜吉田城へ。
家康くんも武将隊もタイミング悪く会えませんで。
観光名所としては良いところです。

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小城小次郎

安慶名城

勝連按司を凌ぐ勢力を誇った安慶名按司の本拠地は、中山王・尚氏の琉球統一過程をも大いに苦しめた。森と岩と石垣とが混然一体となった独特の景観が、このグスクを強烈に印象付ける。

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中川藤兵衛尉

摂州郡山城 (2018/01/28 訪問)

その場所については、二説あるようですね。案内板があるのは少年院の所(上記の住所)。ですが、『茨木の史跡』(茨木市教育委員会)には池の向こう側である茨木市郡山2丁目、正現寺の辺りと記されています。『図説 日本の城郭シリーズ② 大阪府中世城館事典』(戎光祥出版 中西裕樹著)でも、郡山寺内町をこの地とし、寺内町の一角に城があったとしています

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赤い☆稲妻

山中城 (2018/05/06 訪問)

春の行楽に箱根散策。
メインは温泉ではなく山中城。
小田原征伐で東海道の要となった地。
多勢に無勢を絵に描いたような落城ぶりだったとか。
完成していれば、軍備がなされていれば。
この他の守りを見るたび妄想は尽きません、

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いんげん丸虫

小境城 長野県飯山市 (2018/11/11 訪問)

長大な竪堀。主郭背後の深く鋭い5重堀切など凄まじい城跡でした。武田勢を防御するための上杉勢重要な地だったのでしょう。看板等一切ありません。藪も酷く雪深い土地なので雪が降るまでの晩秋。雪解け後のわずかな時期しか行けないかもしれません。

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たにgucci

案外良かった (2019/06/10 訪問)

遺構も残っているようです。
案外良かったです。

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イオ

彦根城博物館 (2019/05/27 訪問)

(続き)
気を取り直して西の丸へ。以前は非公開だった(はずの)西の丸三階櫓に入ってみると、大堀切を隔てた出曲輪と虎口が見渡せ、大手側の天秤櫓と同様に搦手側を守る拠点であることを実感します。また、三階まで上ることができるのも嬉しいところ。

さて、西の丸を出て山崎山道を下り、山崎曲輪から梅林を経て大手門側に行くか、楽々園や玄宮園に行くか迷いましたが、時間の都合もあり楽々園へ。槻御殿を見学し、玄宮園から天守を仰ぎ(足場…)、彦根城博物館に向かいます。

今回はひこにゃんからの年賀状の招待券による登城でしたが、前回は行かなかった彦根城博物館にも入館できるようなので、見学してみました。館内には井伊の赤備えで知られる具足や武具をはじめ、能面や能装束、茶道具、雅楽器、書画、古文書など、譜代大名筆頭・井伊家に伝わる名品の数々が展示されていますが、中でも目を引いたのは、関ヶ原の戦いで使用されたと伝わる朱地に金の井桁紋が鮮やかな旗印で、さすがに展示品はレプリカだろうと思いきや本物とのことで、決死の敵中突破を図る島津義弘に追いすがる井伊直政のもとにこの旗が翻っていたのか…と想像すると、映画や大河ドラマで見るようなシーンが脳裏に浮かび、身震いするような感動を覚えました。
また、博物館内には能舞台が移築復元され、客席も設けられていて、能の公演も行われているんだとか。さらにその奥には、表御殿の奥向が発掘調査と資料に基づいて木造復元されており、普通の博物館としか考えていなかった私にとって思い掛けないことばかりで、大変興味深く見学することができました。

彦根城博物館の前ではちょうどひこにゃんのステージが行われており、ひこにゃんにも会うことができましたし(以前はまだいなかったので、実際に会うのは初めて)、強がりでなく、たとえ天守が足場に覆われていても彦根城大いに見応えあり! でした。
…とはいえ、やっぱり天守は天守で堪能したいので、今回行けなかった大手門側から山﨑曲輪にかけてと、内堀や中堀周辺、そして城下町の散策と併せて、また訪れたいと思います。今度はちゃんと直前に確認した上で…。
 

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イオ

修復工事中… (2019/05/27 訪問)

彦根城には10数年前に一度行ったことがあるものの、何分にも「城=天守」としか思っていなかった頃のことなので、天守と隠し狭間と西の丸三重櫓と玄宮園くらいしか記憶に残っていませんが、当時より多少は物事がわかってきた今ならもっと堪能できるはず! と勇んで登城しました。

いろは松沿いに進むと、水堀越しに連なる佐和口多聞櫓に気分が高揚してきます。枡形を抜けた先には、馬屋や鉢巻腰巻石垣、登り石垣など彦根城ならではの見どころが続き、大堀切から天秤櫓に向かう…前に鐘の丸を散策。特に見るほどのものはないかと思いきや、櫓台(鐘楼?)と思しき石積みや井戸があり、南東隅では表門から続く登り石垣が確認できました。
そして天秤櫓へ。以前は入れなかったように思いますが、公開されている櫓内からは鐘の丸や大堀切、廊下橋が見渡せ、大堀切に面した壁が二重壁になっているなど、防衛の拠点であることを実感しました。

さて、天秤櫓を出て、時報鐘の角を曲がり、太鼓門をくぐるといよいよ本丸です。天守だけが城じゃないと思うようになったとはいえ、やはり国宝天守は楽しみで、石段を上がり、わくわくしながら見上げると……足場!? 天守を足場がぐるりと取り巻き、何やら作業をしています。帰ってから調べてみると、昨秋の台風で剥落した漆喰の修復工事がGW明けの5月7日から行われている模様(9月20日までの予定)。もともとは桜の頃に行くつもりで下調べしており、今回改めて確認するのを怠ったのが間違いでした。数多の破風に彩られた華麗な天守をいろんな角度から撮りまくるつもりだったんですが…。

ショックを引きずったまま天守内へ。それでも隠し狭間や隠し部屋、現存天守ならではの急な階段、最上階からの琵琶湖の眺望などを楽しむうちに気分も晴れ、彦根城の魅力は天守だけじゃないやい!(強がり)と、気を取り直して西の丸に向かいます。
(続く)

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