城址公園の入口に建つ模擬城門はすぐ近くの膳所神社に移築された本丸大手門と瓜二つのようだ。城の別名石鹿(せきろく)が冠されたお地蔵さんは比叡山から坂本城・大津城を経て膳所城に運ばれてきたものなのだそうだ。
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2024/08/12 21:44
2024/06/11 23:06
脱兎の如く (2024/02/10 訪問)
どうも膳所藩は幕末期に幕府とうまくいってなかったようで、明治維新の後、早々に廃城願いを出し、解体・移築が進められたようです。石垣も徹底的に崩され、目に見える石垣は全て、模擬石垣のようですね。正直、オーラが無いです。残っているのは、いのさんの投稿にあった、琵琶湖の底に沈んでいる石列くらいのようですね。
よくもまあここまで‥暗い怨念の様なものを感じます。残念なことに、そこに城への愛はありませんでした。
鬼の勢いで移築が進められたためか、城門などの遺構は豊富に残っています。
本丸二重櫓‥芭蕉会館
北大手門‥篠津神社(重要文化財)
犬走門‥若宮八幡社表門
遵義堂表門‥和田神社表門
勢多口番所‥残っていません
南大手門‥鞭崎神社神門(重要文化財)「未掲載」
二の丸水紋‥新宮神社「未掲載」
城門‥膳所神社北門「未掲載」
城門‥膳所神社表門「未掲載」
城門‥膳所神社南門「未掲載」
城門‥近津尾神社神門「未掲載」
多いですね。こうして見ると結構行ってない。膳所神社は合わせて訪問したほうが良さそうです。
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2024/06/11 21:02
日本三大湖城 (2024/02/10 訪問)
日本三大湖城の一つ、膳所城は慶長6年(1601)豊臣方への押えとして、徳川家康によって天下普請で築かれました。縄張りは藤堂高虎によって行われ、四重の天守が建てられていました。これほど立派な城であったにも関わらず、今は本丸が「膳所城跡公園」として整備されているのみで、石垣の多くは琵琶湖疏水等の建築用の資材に転用されてしまったようです。
天守台周辺の石垣は当時のものでしょうか? 慶長6年の石垣にしては積み方が稚拙な気がします(こんなもの?)。城内にある案内板の「旧膳所城郭明細図」の挿絵と随分違いますね‥。後世の公園化の際に余った石垣を積み直したような気がするんだけど‥。
築城当時の本丸と二の丸は寛文2年(1662)の地震を機に接合され、今の膳所浄水場がある位置に、新たに二の丸が築かれました。膳所神社、篠津神社、鞭崎八幡宮に城門が移築され、国の重要文化財として指定を受けています。
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分類・構造 | 梯郭式平城 |
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天守構造 | 型式不明[4重4階/1601年築/破却(廃城令)] |
築城主 | 徳川家康 |
築城年 | 慶長6年(1601) |
主な改修者 | 本多俊次 |
主な城主 | 戸田氏、本多氏 |
廃城年 | 明治3年(1870) |
遺構 | 石垣、移築櫓、移築門 |
指定文化財 | 国重要文化財(膳所神社表門(移築本丸城門))、国重要文化財(篠津神社表門(移築北大手城門))、国重要文化財(鞭崎神社表門(移築城門)) |
再建造物 | 模擬門、石碑 |
住所 | 滋賀県大津市丸の内町 |
問い合わせ先 | 大津市歴史博物館 |
問い合わせ先電話番号 | 077-521-2100 |