ぜぜじょう

膳所城

滋賀県大津市

別名 : 石鹿城、望湖城
旧国名 : 近江

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いのさん

琵琶湖の渇水 坂本城だけではなく、膳所城もこんなんでした (2023/12/14 訪問)

昨年の12月、琵琶湖渇水時に話題になる坂本城の帰り、5年ぶりに膳所城に寄りました。5年前は水面に頭だけ出ていたものが、渇水のため水位が下がり、全体が現れていました。

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イオ

続・移築門めぐり (2023/07/15 訪問)

関ケ原の戦いの翌年に、大津城に代わる京都・大坂への備えとして、徳川家康が藤堂高虎の縄張により天下普請で築いた城で、琵琶湖に本丸が突出する梯郭式の水城であり、日本三大湖城のひとつに数えられます。完成すると戸田一西が入って膳所藩を立藩しましたが、戸田氏鉄が尼崎に移封されると本多氏、菅沼氏、石川氏と譜代大名が次々と入れ替わり、本多俊次が再封されると本多氏が13代続いて明治を迎え、最後の藩主・本多康穣の明治政府への廃城願いにより廃城となりました。

膳所城を訪れるのは約5年ぶり。前回は膳所城公園と近隣の移築門をめぐりましたが、離れたところには行けずにいたので、今回はその続きです。また、4年ほど前に泉大津市の移築門を訪れていますので、そちらもあわせて。

御霊神社高麗門(大津市鳥居川町)
社殿左手に膳所城のお倉門(本丸黒門とも)が移築されています。高麗門の説明板あり。

近津尾神社表門(大津市国分)
表門として膳所城の米倉門が移築門されています。本多氏家紋の立葵の瓦が見られる薬医門です。

鞭崎神社表門(草津市矢橋町)
表門として膳所城の南大手門が移築されています。右側に潜戸を設け柱や扉に鉄板を打ち付けた重厚な高麗門で、国重文です。

新宮神社薬医門(草津市野路)
鳥居の左手奥に膳所城の水門(本丸北手水門とも)が移築されています。説明板はありませんが、整備略暦の石碑に水門解体修理の記載があります。

芭蕉会館(滋賀県大津市秋葉台)
茶臼山公園に膳所城の本丸東隅櫓が芭蕉会館として移築されています。大幅に改修されているようですが、破風と鯱瓦を備えたいかにもな外観です(時季的に木々が茂っていて見づらいですが)。

六体地蔵堂(滋賀県大津市昭和町)
膳所城のお椀倉が六体地蔵堂として移築されています。立葵の鬼瓦が往時を感じさせます。

大養寺山門(滋賀県大津市本丸町)
膳所藩武家屋敷の長屋門が移築されています。膳所神社のすぐ近くですが、前回は見落としていました。

旧細見家住宅高麗門(大阪府泉大津市松之浜町)
膳所城の南(瀬田口)総門が移築されていましたが、平成30年の台風21号で倒壊しました。4年前に訪れた時点では倒れたままブルーシートがかけられていましたが、今はどうなっているんでしょうね。再移築されるという噂もあるようですが…。


なお、前回めぐった移築門は下記の通りです。

膳所神社表門・北門・南門(滋賀県大津市膳所)
膳所城の本丸大手門(表門)、本丸土橋の門(北門)、城門(南門)が移築されています。表門は国重文です。

篠津神社表門(滋賀県大津市中庄)
膳所城の北大手門が表門として移築されています。国重文です。

若宮八幡神社表門(滋賀県大津市杉浦町)
膳所城の本丸犬走門が表門として移築されています。両端には鯱瓦も見られます。

和田神社表門(滋賀県大津市木下町)
膳所藩藩校・遵義堂の門が表門として移築されています。

響忍寺表門(滋賀県大津市木下町)
膳所藩家老村松家の長屋門が表門として移築されています。

これらのほか、勢多口総門の番所が近隣の民家に移築されていましたが、解体されてしまったようです。
 

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侍ホリタン

2023年春桜の名城を訪ねて④ (2023/04/01 訪問)

徳川家康公が関ヶ原の合戦の翌年に各地大名を動員して造らせた天下普請の城としては1番最初に造られた城で、島根県の松江城、長野県の高島城と並んで日本三大湖城の一つです。縄張りは築城の名手藤堂高虎公で、築城には廃城となった大津城の資材が多く用いられ4層の天守を備えた城で明治まで存続しました。当時の遺構はわずかな石垣と移築された城門のみとなっています。また膳所城跡公園内には多くの桜が植えられていて訪問時には満開で多くの花見客で賑わっていました。

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城好きのメガネ

「膳所城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★☆
膳所城は、徳川家康の命により藤堂高虎が築城した天下普請・第1号の城。関ヶ原の戦いで功をあげた戸田一西が藩祖。京都へ入る交通の要衝にあたるため、一西の後は譜代大名が入る。藩主が頻繁に変わり、本多俊次が7万石で入り、13代220年の間、本多氏の居城となり幕末まで治める。困窮した領民を救済するため米を貯蔵する「安民蔵」の設置や火災対策も行った。戊辰戦争では新政府軍に参加し伊勢桑名藩追討に参陣する。廃藩置県後、廃城となる。現在、移築門が現存する。

<アクセス>
京阪石山坂本線 膳所本町駅 徒歩15分

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城郭情報

分類・構造 梯郭式平城
天守構造 型式不明[4重4階/1601年築/破却(廃城令)]
築城主 徳川家康
築城年 慶長6年(1601)
主な改修者 本多俊次
主な城主 戸田氏、本多氏
廃城年 明治3年(1870)
遺構 石垣、移築櫓、移築門
指定文化財 国重要文化財(膳所神社表門(移築本丸城門))、国重要文化財(篠津神社表門(移築北大手城門))、国重要文化財(鞭崎神社表門(移築城門))
再建造物 模擬門、石碑
住所 滋賀県大津市丸の内町
問い合わせ先 大津市歴史博物館
問い合わせ先電話番号 077-521-2100