ぜぜじょう

膳所城

滋賀県大津市

別名 : 石鹿城、望湖城
旧国名 : 近江

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しんちゃん

脱兎の如く (2024/02/10 訪問)

どうも膳所藩は幕末期に幕府とうまくいってなかったようで、明治維新の後、早々に廃城願いを出し、解体・移築が進められたようです。石垣も徹底的に崩され、目に見える石垣は全て、模擬石垣のようですね。正直、オーラが無いです。残っているのは、いのさんの投稿にあった、琵琶湖の底に沈んでいる石列くらいのようですね。
よくもまあここまで‥暗い怨念の様なものを感じます。残念なことに、そこに城への愛はありませんでした。
鬼の勢いで移築が進められたためか、城門などの遺構は豊富に残っています。
本丸二重櫓‥芭蕉会館
北大手門‥篠津神社(重要文化財)
犬走門‥若宮八幡社表門
遵義堂表門‥和田神社表門
勢多口番所‥残っていません
南大手門‥鞭崎神社神門(重要文化財)「未掲載」
二の丸水紋‥新宮神社「未掲載」
城門‥膳所神社北門「未掲載」
城門‥膳所神社表門「未掲載」
城門‥膳所神社南門「未掲載」
城門‥近津尾神社神門「未掲載」

多いですね。こうして見ると結構行ってない。膳所神社は合わせて訪問したほうが良さそうです。

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しんちゃん

日本三大湖城  (2024/02/10 訪問)

日本三大湖城の一つ、膳所城は慶長6年(1601)豊臣方への押えとして、徳川家康によって天下普請で築かれました。縄張りは藤堂高虎によって行われ、四重の天守が建てられていました。これほど立派な城であったにも関わらず、今は本丸が「膳所城跡公園」として整備されているのみで、石垣の多くは琵琶湖疏水等の建築用の資材に転用されてしまったようです。
天守台周辺の石垣は当時のものでしょうか? 慶長6年の石垣にしては積み方が稚拙な気がします(こんなもの?)。城内にある案内板の「旧膳所城郭明細図」の挿絵と随分違いますね‥。後世の公園化の際に余った石垣を積み直したような気がするんだけど‥。
築城当時の本丸と二の丸は寛文2年(1662)の地震を機に接合され、今の膳所浄水場がある位置に、新たに二の丸が築かれました。膳所神社、篠津神社、鞭崎八幡宮に城門が移築され、国の重要文化財として指定を受けています。

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いのさん

琵琶湖の渇水 坂本城だけではなく、膳所城もこんなんでした (2023/12/14 訪問)

昨年の12月、琵琶湖渇水時に話題になる坂本城の帰り、5年ぶりに膳所城に寄りました。5年前は水面に頭だけ出ていたものが、渇水のため水位が下がり、全体が現れていました。

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イオ

続・移築門めぐり (2023/07/15 訪問)

関ケ原の戦いの翌年に、大津城に代わる京都・大坂への備えとして、徳川家康が藤堂高虎の縄張により天下普請で築いた城で、琵琶湖に本丸が突出する梯郭式の水城であり、日本三大湖城のひとつに数えられます。完成すると戸田一西が入って膳所藩を立藩しましたが、戸田氏鉄が尼崎に移封されると本多氏、菅沼氏、石川氏と譜代大名が次々と入れ替わり、本多俊次が再封されると本多氏が13代続いて明治を迎え、最後の藩主・本多康穣の明治政府への廃城願いにより廃城となりました。

膳所城を訪れるのは約5年ぶり。前回は膳所城公園と近隣の移築門をめぐりましたが、離れたところには行けずにいたので、今回はその続きです。また、4年ほど前に泉大津市の移築門を訪れていますので、そちらもあわせて。

御霊神社高麗門(大津市鳥居川町)
社殿左手に膳所城のお倉門(本丸黒門とも)が移築されています。高麗門の説明板あり。

近津尾神社表門(大津市国分)
表門として膳所城の米倉門が移築門されています。本多氏家紋の立葵の瓦が見られる薬医門です。

鞭崎神社表門(草津市矢橋町)
表門として膳所城の南大手門が移築されています。右側に潜戸を設け柱や扉に鉄板を打ち付けた重厚な高麗門で、国重文です。

新宮神社薬医門(草津市野路)
鳥居の左手奥に膳所城の水門(本丸北手水門とも)が移築されています。説明板はありませんが、整備略暦の石碑に水門解体修理の記載があります。

芭蕉会館(滋賀県大津市秋葉台)
茶臼山公園に膳所城の本丸東隅櫓が芭蕉会館として移築されています。大幅に改修されているようですが、破風と鯱瓦を備えたいかにもな外観です(時季的に木々が茂っていて見づらいですが)。

六体地蔵堂(滋賀県大津市昭和町)
膳所城のお椀倉が六体地蔵堂として移築されています。立葵の鬼瓦が往時を感じさせます。

大養寺山門(滋賀県大津市本丸町)
膳所藩武家屋敷の長屋門が移築されています。膳所神社のすぐ近くですが、前回は見落としていました。

旧細見家住宅高麗門(大阪府泉大津市松之浜町)
膳所城の南(瀬田口)総門が移築されていましたが、平成30年の台風21号で倒壊しました。4年前に訪れた時点では倒れたままブルーシートがかけられていましたが、今はどうなっているんでしょうね。再移築されるという噂もあるようですが…。


なお、前回めぐった移築門は下記の通りです。

膳所神社表門・北門・南門(滋賀県大津市膳所)
膳所城の本丸大手門(表門)、本丸土橋の門(北門)、城門(南門)が移築されています。表門は国重文です。

篠津神社表門(滋賀県大津市中庄)
膳所城の北大手門が表門として移築されています。国重文です。

若宮八幡神社表門(滋賀県大津市杉浦町)
膳所城の本丸犬走門が表門として移築されています。両端には鯱瓦も見られます。

和田神社表門(滋賀県大津市木下町)
膳所藩藩校・遵義堂の門が表門として移築されています。

響忍寺表門(滋賀県大津市木下町)
膳所藩家老村松家の長屋門が表門として移築されています。

これらのほか、勢多口総門の番所が近隣の民家に移築されていましたが、解体されてしまったようです。
 

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城郭情報

分類・構造 梯郭式平城
天守構造 型式不明[4重4階/1601年築/破却(廃城令)]
築城主 徳川家康
築城年 慶長6年(1601)
主な改修者 本多俊次
主な城主 戸田氏、本多氏
廃城年 明治3年(1870)
遺構 石垣、移築櫓、移築門
指定文化財 国重要文化財(膳所神社表門(移築本丸城門))、国重要文化財(篠津神社表門(移築北大手城門))、国重要文化財(鞭崎神社表門(移築城門))
再建造物 模擬門、石碑
住所 滋賀県大津市丸の内町
問い合わせ先 大津市歴史博物館
問い合わせ先電話番号 077-521-2100