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リャンス

明石氏の居城 (2019/05/25 訪問)

所在地は神戸市西区ですが
明石市までほんの数百m
地名は由来か?

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にこゆう

私費で再建されたお城 (2017/06/06 訪問)

別名「代物城」(だいもつじょう)
荒木村重が謀反の際、有岡城から逃げ込んだお城でもあります。


当時の場所に建てられたようではないようですが、
四層天守はそのまま再現されているようです。


今回登城はせず、周辺を探索。
ちなみに入館料500円。


一帯は公園のように整備されており、
駅からも近く市民の憩いの場となってる様子。


すくそばに櫻井神社があります。
尼崎城跡の石碑と拝殿の前に尼崎城で使われていた瓦がありました。


遺構は少ないです。


お城から線路を超えて歩いていくと、
ディープなB級グルメスポット尼崎中央商店街があり飲食には困りません。

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くろもり

中堀・外堀巡り (2015/05/23 訪問)

内堀はほとんど埋められてしまっていますが、中堀はほぼ完全に残っており、外堀も6・7割残っているので、外堀と中堀の周りを歩いてみました。

外堀・・・周囲約2.7km、北面西側から西面北側にかけて石垣に折れがたくさんあり(写真4枚目)、堀の水も綺麗です。南西にある静岡市立静岡病院の西側に外堀に面した櫓台で唯一残って入る櫓台(写真5枚目)があります。

中堀・・・周囲約1.7km、北面は大部分が腰巻石垣ですが、石垣が低く、ほぼ土塁でした。東面に外堀と内堀をつなぐ水路を見ることができます。

外堀+中堀+二ノ丸の土塁をそれぞれ反時計周りに散策して、後は城内をウロウロ計7時間程散策を楽しみました。

お城好きが楽しめるのはもちろんですが、駿府城公園として地元の方の憩いの場になっていました。静岡市出身の後輩に「駿府城公園凄く良かったよ」と伝えると学生時代によく行ってたらしく、「あそこいい所っすよね!」と嬉しそうに答えてくれました。公園に姿を変えてしまっても、城跡が親しまれる場所となっており、本丸跡の家康公の像もなんだか嬉しそうに見えました。

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まーやん

日本最古の木造再建築の城 (2019/02/16 訪問)

1566年、遠藤盛数が陣を敷いた地に子の慶隆が築城し、その後秀吉による左遷で稲葉氏が入るが関ヶ原の戦功により遠藤氏が領土回復を果たしたらしい。
鮎とアマゴの名川、長良川支流の清流吉田川を南の堀、小駄良川を西の堀とした日本一美しいと言われる山城。野面積みの石垣も町から見上げた出で立ちも最高。
城下の新橋からの13mの飛び込みはあまりにも有名。古い町並みも残っており、郡上踊りや食品サンプル体験など観光資源の宝庫。
功名が辻で有名になった賢妻山内千代の出身地とも言われている。
スタンプゲットのために6年ぶりにリベンジを果たしたが、そんなことより城と城下町の美しさに心奪われた。
注:天守閣は大垣城を模した建物で史実に基づいておりません。

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ぴーかる

赤木城 (2018/10/07 訪問)

【続百名城21城目】
<駐車場他>登城口にあり。 <交通手段>車

<見所>東郭・西郭・本郭

<感想>日帰り南紀攻城の旅2城目。まず鉱山資料館にてスタンプを貰おうとすると、なんと盗まれていて、印刷した物で代用してほしいとの看板があったが、資料館の方がちょうど新調したものが寸前に届いて、運よく捺印できた。心無い人の盗難絶対やめてほしい事です。資料館の方に丁寧に道順を教えてもらいとても好印象でした。城跡の遺構は見受ける郭跡が9箇所と主郭で小規模だが、東・西・主郭は石垣で囲い横矢もある。東郭と主郭の間に虎口の枡形があるが添付写真の通りその枡形状にセメントで補強してしまっている箇所が残念。しかし城は非常に良く整備されており、石垣も積み直しているが今でも草木が取払われて見易い。主郭門跡には鏡石も見られる。北郭にも石垣があったが、あまり整備はされておらずよく分からない。北郭の更に北に堀切があるらしいが、山中で行ける状態ではなかった。この赤木城が1589年の築城とすると藤堂高虎は聚楽第などの作事奉行を行っているので城跡は野面乱積みの低めの石垣で曲輪も小さめ、中世感のある臨時的な城だったことを感じた。築城にしてはくまなくゆっくり見ても1時間だった。1日走行距離601㎞

<グルメ>新宮城で紹介を忘れていたのでここで紹介。新宮市のマグロの店「やまき」マグロ丼が安くておいしいお店です。

<満足度>★★☆

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チェブ

磐梯山と桜。 (2019/05/04 訪問)

福島県の猪苗代湖の近く「猪苗代城」に行きました。
鎌倉時代初期、奥州合戦の功労により会津を与えられた相模国出身の佐原氏が築城します。
佐原氏の子孫が猪苗代の名前を名乗ります。
江戸時代には一国一城令の時も存続が許されているそうです。
そして幕末、戊辰戦争の時、城代の高橋氏が「猪苗代城」を焼き会津若松に向かいました。
ずいぶん長い間 「猪苗代城」活躍したんですね。
どの時代を調べても深い歴史がありました。
「猪苗代城」、石垣がたくさん見られました。
もう最初の大手口の石垣から「ありゃ~」の連続です。
蒲生さん時代の 穴太積みなんだそうです。
本丸まで登りました。
土塁に囲まれています。更に深い堀切がありました。
その向こう側に高い土塁。
表現が上手に出来ないのですが、二段の平行している深い掘といった感じです。
なので、お城の東側が石垣エリア。西側が土塁、堀切エリアといった感想です。
実は「猪苗代城」、野口英世さんの子供時代の遊び場だったそうです。
首だけの像があって、ギョッとしました。
お城に首だけは笑えません。

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リャンス

昨年4月 (2018/04/13 訪問)

月日の経つのはホント・・・

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にゃんこ

琉球王朝の繁栄と滅亡 (2019/06/03 訪問)

昨日まで三日間にわたり沖縄の城を巡ってきました。
首里城は復元ながらとても素晴らしかったです。
中国式と和式を融合させたような作り。
赤い色が琉球王朝の繁栄を髣髴させました。
本土の石垣と違う石組はとても美しかったです。
緩く弧を描いてそれでいて死角なしのつくりは素晴らしいです。
何度行っても魅力的な城でした。
次回は冬に訪問予定です。

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朝田 辰兵衛

ガッキーズ! (2018/08/30 訪問)

石垣の織りなしに芸術性を感じます。

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くろもり

内堀巡り (2015/05/22 訪問)

人の少ない平日を狙って訪れたのですが、本丸のある皇居東御苑の休園日の月曜日と金曜日に当たってしまい休園日だったので、内堀巡りに変更しました。

大手門前から反時計回りにスタートしたのですが、途中、外桜田門の誘惑に負けてしまい、外桜田門から西の丸下に入ってまた内堀の外に出て和田倉橋を渡って一周しました。

皇居一周が約5km程なので、大体それくらいの距離だったかと思います。ウォーキングだと1時間くらいだと思いますが、写真を撮ったり城を眺めたりするので、2時間20分ほどかかっていました(写真は120枚程)。

平川門の東にある広場になっている所に、和気 清麻呂(わけのきよまろ)公の像が建っています。西の丸下にある楠木正成公の像と同じく、江戸に縁もない奈良時代末期から平安時代初期の貴族の方です(出身は今の岡山県和気町)。称徳天皇がお気に入りの側近の弓削道鏡に皇位を譲ろうとした時に、皇族ではない道鏡が皇位を継承することに反対し皇統を守った功労が後世に大きく評価され、この場所に像が建てられたようです。やはり、楠木公同様おそらく来たことのない土地にあるのでなんだか可哀想です。それなら江戸城築城者の太田道灌公の銅像を建てて欲しいです。

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小城小次郎

赤木城

藤堂高虎が天正期に築いた初期的近世城郭として知名度急上昇。とはいえ典型的な織豊系城郭なのに瓦が出土しないとか、よく考えると誰が城主かよくわからないとか、謎多き城でもある。

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ぴーかる

新宮城 (2018/10/07 訪問)

【続百名城20城目】
<駐車場>城に無料駐車場あり <交通手段>車

<見所>松ノ丸・鐘の丸・本丸・出丸・水ノ手郭・石垣

<感想>日帰り南紀攻城の旅1城目。カメラを良い物に新調したので我慢たまらず、天気も良かったので思いつきで城攻めに行った。先に資料館にてスタンプと城のパンフレットをもらい城に向かった。大手口から松ノ丸→鐘の丸→本丸→出丸を見て→二の丸跡外観→水ノ手跡の順で廻る。大手道を進むと松ノ丸の門では黒ずんだ切込接の石垣で蔦が這っていてすごく雰囲気がありいい。資料では城の石垣はほぼ切込接の布積と書かれているが、自分では櫓跡か横矢の隅角部から2M程は布積に見えるが、隅角から隅角の間は乱積みに見えるのだが勉強不足なのかも。鐘の丸の南側の石垣は切込接の布積が20M程残っており美しい。本丸南側石垣は高石垣で見応えあり。水ノ手郭跡は城からは通行止めなので、一旦下山し二の丸跡横の道から回り込めば行ける。石垣は打込接と河原の石を積んだような野面があり遺構が棚田のようにも見える。城跡の船着き場跡も初めて見たのでまた感動した。見応えありで必見です。良い城跡でした。2城しかないですがこれで百・続百名城の和歌山県制覇。

<満足度>★★★

<連絡>写真のサイズが10MBを超えるので大きさを切って添付しています。編集も逆に大変になってしまった(>_<)

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カルビン

岡山県指定史跡 (2016/07/23 訪問)

庭瀬城から200mも離れていない場所に撫川城があります。

こちらも沼城と言う事で、やはり庭瀬城同様住宅街にある平城ですが、こちらはお城としての形を残しており、野面積みの石垣も見られます。
流石県指定史跡の名に恥じぬお城でした。

周囲を水堀で囲まれた先の、神社の御本堂のある一段高い場所が当時庭瀬・撫川城が1つのお城だった時代の主郭にあたるそうです。

宇喜多氏の領土だったのが関ヶ原合戦で一度廃城となり(昨日の庭瀬城のコメントちょっと間違ってました・・・スイマセン)、その後戸川氏の管轄となり、その戸川氏が四代目で断絶すると、その親族が「庭瀬城」と「撫川城」を別に治める事になってお城が分かれたみたいです(全部解説のままw)

駅近でマイナーな場所ではありますが、庭瀬城(個性ある)も撫川城(意外とお城お城してる)も行って損は無い場所かと思います。


お城の近くに車が止まって、何かもそもそしてから車が立ち去った跡地から子猫の鳴き声が・・・

行ってみると独眼竜の子がおりました。。。旅先で保護出来るハズもなく。。。若駒は住宅地の方向へ。。。見届ける事しか出来ませんでした(悲)

政宗の様に強く生きてくれる事を望みます(ー人ー)

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チェブ

庭園と緑色の桜。 (2019/05/04 訪問)

福島県の「向羽黒山城」に行きました。
続100名城に選ばれているので、山城攻めスタイルで出陣です。
蘆名 盛氏さんが築城します。
盛氏さんは亡くなるまで「向羽黒山城」で政務を仕切っていたそうです。
ワンマンな武将かと思い調べてみました。
側室を持たない方です。男の子は嫡男しか産まれません。
禁酒令を2回出します。嫡男がお酒が原因で急死してしまいます。
政務を仕切らなくてはならなかったんですね。
その後「向羽黒山城」は伊達 政宗さんが1年、蒲生氏郷さん秀行さん親子が8年、上杉 景勝さんが3年、治めます。
ちなみに蘆名 盛氏さん、上杉 謙信さんの後継者争い「御舘の乱」では景勝さん方に付きました。
まずは整備資料室でモケイとパネルでガイドさんから見どころを教えていただきました。
二曲輪の近くに石垣とは違う丸い石が発見され、庭園があったかもしれないとの事です。
こんな戦うお城に庭園?是非とも確認したいです。
あと、緑色の桜が見頃と教えてもらい車で駐車場まで行きました。
駐車場から二曲輪に向かうと堀切等々あります。
私の写した写真では迫力が伝わらないかもしれませんが山の形を利用し更に掘ってあります。
堅掘も見たことない長さでした。
残念な事に庭園かもしれない石積は分かりませんでした。
私の想像する蘆名 盛氏さんのお人柄からすると庭園、あったような気がします。
、、、緑色の桜は、新緑にまぎれ探せませんでした。
でも、たくさんの遺構があるので大満足の「向羽黒山城」でした。

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北条氏勝

何度も本で見たことあるのに・・・想像を超える名城!

城好きなら何度も何度も山中城の写真を見ますよね?障子堀、きれいに整備された山城。100名城の1つ。しかし、駅から徒歩ではいけない。なので、いつも行くのは保留にしていました。が、行くと逆に城好きだからこそ「やられた!」と思うほどの名城でした。

アクセスの悪い山城への交通手段はバスです。ですが、城好きが行く山城というのは比較的アクセスの悪いところが多い。ところが、三島駅は新幹線が通っているだけあって駅前は人もいますし、バスも止まっていました。三嶋大社という観光名所もあり、三島駅から山中城へ行く途中には「スカイウォーク」という観光施設もありました(意外といいところでした、最初は山城に行こうとしているのに大きな施設があって驚きました)。

山中城は、小田原征伐の最初に豊臣軍と北条軍が激突したお城。障子堀があって整備されてるとか・・・え!!日本中の山城の理想形なのではないかというほど、城郭全体がきれいに整備されていました。観光の為の整備ではなく、城好きの為の整備としか見えないほどで、お城の守りの構造、櫓跡、はっきりとした堀。うっそうとした木々の中を歩いていっていた山城は、往時はこんな姿だったのだろう、と思いました。建物こそありませんが、山城好きにはたまらないお城です。初心者の方、まだ山中城に行っていない方、全然おすすめします!

道中も晴れていればきれいな富士山も見え(自分が行ったときにはきれいで大きな富士山が見えました)、城の横には旧東海道の(再整備した)石畳があり、そこの景色も写真に収めたくなるスポットです。ぜひ行ってみてください。

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まーやん

何だこれ?(゚ω゚;) (2019/05/29 訪問)

試合時間が迫る中、城びと情報を見て甲子園に近いことから行って来た。

幕末に大坂防衛の為、勝海舟が計画し作られた砲台。品川砲台とは似ても似つかぬ容貌にビックリした。
4年もの歳月を費やしながら、完成後試射したら砲台内が煙って使われなかったってなんなの(゚ω゚;)

甲子園近くからか、、、周囲に置かれた虎模様のA型バリケードが幻滅するが、円形で漆喰の大きな砲台は海に映える。
外国船を狭撃するためいくつか設置された砲台は、西宮市内にもう一台あったらしく、次は探してみたい。

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百舌鳥古市古墳群 (2019/06/01 訪問)

古墳を城域の北側に位置する本丸に利用。古墳の北は川により急斜面になっている。東西も急斜面の舌状の台地。説明板の昭和23年の航空写真は、独立丘全体が高屋城であって、河内守護畠山氏の居城にふさわしい大きさであると見受けられます。
辺りは、百舌鳥古市古墳群の古市。近くに2番目に大きい応神天皇陵があり、テニスコートのフェンスに表示がありますが、古墳が大きすぎて何を指しているのやら。後円部は誉田氏の城だったと。土木技師集団の土師氏の里でもあり、道明寺駅に向かう道に埴輪作りをしてた登り窯の復元展示あり。道明寺駅横には、大阪夏の陣道明寺合戦記念碑あり。

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くろもり

縄張りが独特 (2015/05/17 訪問)

江戸時代に入ってから相馬氏が本拠とした近世の平城ですが、石垣は少なく、ほとんどが土造りの城でした。

城内の建物は外大手一ノ門しか残っていませんでしたが、食違いの虎口、土塁、堀、石垣等も残っており、なかなか見所がありました。

縄張りが独特でおもしろく、輪郭式という人もいれば、梯郭式に分類する人もいるし、中山良昭氏は著書の中で(すいません。書名を失念してしまいました・・・)稜堡式に分類していたりもしたので、縄張りを考えるのも楽しい城です。

本丸と西二の丸の間の堀付近は岩塊が突き出した山城のような雰囲気の所があり、平地の中であることを一瞬忘れてしまうような感覚でした。また、西二の丸は厩舎になっており馬がいたので、戦国時代に騎馬軍団で有名だった相馬氏を一層彷彿とさせてくれました。

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赤い☆稲妻

甲府城 (2019/04/07 訪問)

毎年のように訪問しています。
この回は会社の城攻め部にて訪問です。
武田神社、要害山、甲府城、新府城と訪問。
城跡自体が甲府駅で分断されている立地。
アクセスは最高に容易です。
天守の再建計画が注目されています。
よく調査してから検討してもらいたいですね。

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赤い☆稲妻

山形城 (2018/08/12 訪問)

家族旅行で米沢城と一緒に訪問。
山形城近くの冷しラーメンを堪能してから城攻め。
天守はありませんが、東大手門の構えは威厳あり。
本丸周辺の再整備が進んでいます。
発掘調査もされているようでした。
二の丸からは市民公園で、スポーツ施設など。
絶妙なバランスで新旧が混在しています。

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