にれんぎじょう

二連木城

愛知県豊橋市


旧国名 : 三河

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主郭西側土塁
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しんちゃん

豊橋を代表する城郭の一つ (2025/09/28 訪問)

二連木城は三河湾を押えた戸田氏が田原から三河平野進出を目指して築いた城です。戸田氏は田原の本家と分家の二連木戸田氏に分かれ、田原の戸田氏が今川義元に滅ぼされた後に今川氏・徳川氏(松平)に使えました。
城址は大口公園になっていて主郭の周囲には土塁が残っています。北西部は地形の改編が有る可能性が有り、再現されたものの可能性があります。東の豊橋二連木老人福祉センターが二郭跡と見られ北側に土塁の一部が残っています。また主郭と二郭の間の堀は通路として転用されています。
元亀2年(1571)武田信玄が三河に侵攻して来た際に、武田軍の吉田城攻略に備えて酒井忠次が二連木城に入っています。二連木城は元々は戸田氏が牧野氏の吉田城攻略に使用したりしましたが、後に吉田城の支城の役割を果たすようになっていたようです。
家康が、からくも吉田城に入ったので忠次も吉田城に戻ろうとしますが、武田軍の攻撃を受け多くの犠牲を出してしまったようです。
家康と忠次が吉田城に籠って守りを固めたため、信玄も無理に攻めずに甲斐に引き返しています。この翌年、信玄は3万(諸説あり)の兵を率いて青崩峠より侵攻し、三方ヶ原の戦いに至ります。
天正3年(1575)に武田勝頼が三河に侵攻をしてきたときも付近を放火し(落城とも)、吉田城を包囲しています。こののち武田軍は長篠城攻略に乗り出し設楽ヶ原の決戦に至ります。

※内容を一部修正しました。

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todo94

日帰りに予定変更の三河攻城⑩ (2025/04/12 訪問)

三河吉田城からの転戦です。住宅地の中の城ですが、豊橋競輪の潤沢な駐車場があるので駐車場所には困りません。大口公園として整備されている部分は市民の憩いの場の公園然としていますが、城の遺構とみられる部分も結構残っていました。この日の攻城はこれをもって終了。豊川インターから、往路は夜間通行止だった東海環状道を経由して、帰着いたしました。

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しんちゃん

三河武将 戸田氏の野心の城 (2023/03/12 訪問)

豊橋市中心部にある吉田城から東に約2㎞のところに仁連木城はあります。
戸田氏中興の祖 戸田宗光が息子に田原城を譲り渡し仁連木城を築城し移り住みました。
後に仁連木戸田氏は徳川家康に仕え、家康の関東移封に伴い関東へ移り、仁連木城は廃城になります。
周囲は宅地化が進んでいますが、城址公園として整備されています。
比較的高台に位置し、本丸の周囲に土塁が良好に残っています。
数年前から本丸に梅を植樹しているようですが大きくなるにはまだ年月がかかりそうです。
これからも長く市民の憩いの公園として残ってくれればと思います。

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Yosihiko

初、城址 (2021/05/03 訪問)

攻城址🏯4城、攻城址1

意外と大きな石有りました。
駐車スペース無し。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 戸田宗光
築城年 明応2年(1493)
主な城主 戸田氏
廃城年 天正18年(1590)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
再建造物 碑、説明板(大口公園ご案内)
住所 愛知県豊橋市仁連木町
問い合わせ先 東田校区自治会
問い合わせ先電話番号 0532-61-9822